桜始開 〈さくらはじめてひらく〉
ダメだ。
好き、が加速していく。
行き過ぎちゃいけない。
友達のラインを越えたら、もう一緒に居られなくなる。
俺は、親友として存在しなきゃいけない。
何度もブレーキをかけるけど、その度に俺が引いたラインをコータが飛び越えちゃうから、ヒヤヒヤするんだ。
合格のお祝いに、ジッチャンが携帯を買ってくれた。必然的にコータとのやり取りが増える。
何気ない雑談の中で、もうすぐ春祭りの神楽の練習が始まる事を話すと、コータが興味を持った。
「何で今まで誘ってくれなかったの? 穂高が舞うとこ見たいよ」
ダメだよ、そんな事言っちゃ。
中学の間は我慢してた。
距離感を保とうとしていた。
でも、もうそっち側の歯止めはいらない。
面倒なクラスメイトとは、卒業と同時にオサラバ。
これから通う高校には、2人で通うんだ。
もっと傍にいたい。
いつも傍にいたい。
また、気持ちがオーバーランして、
「じゃ、練習見学する?」
とか言っちゃったよ。
「もちろん!」
コータが即答した。
これ以上近づいたら、俺どうなっちゃうんだろ?
ジッチャンが氏子総代を務める神社は、普段神職もいない小さな神社だ。
親父が小さい頃は、神職が横に住んでたらしいけど、亡くなってしまってからは、跡を継ぐ人がいなくて、隣町の少し大きな神社の神職が兼務する事になった。
俺のウチは昔から大きな農家で、結構な昔からずっと氏子の代表をしていたらしい。
俺は物心ついた頃から、当たり前に祭りを動かす側にいた。ジッチャンに連れられ、ジッチャンが祭りを仕切るのをずっと傍で見てきた。
中学に入ってからは、神楽にも、神輿渡御にも、参加するようになった。
いつかは俺が継ぐ仕事。そう思って毎回やってる。
神社の境内にある集会所で練習して、神楽殿で舞う。毎回だいたい同じメンバーが、同じようにやってきたけど、今年は神楽頭の中学に入ったばかりの息子さんが、新たに舞手として参加することになったから、いつもより早く練習が始まった。
「穂高は後からでも大丈夫だぞ」
神楽頭はそう言ったけど、俺も舞の確認がしたくて、初日から顔を出すことにした。
それをコータが観にくるという。
神社の場所をコータは知らないから、駅にコータを迎えに行って、そこから神社に向かうことにした。
俺は自転車で駅まで向かう。家から駅までは10分ちょっと。
学校以外で会うのは、合格発表の時が初めてで、私服で会うのはきっと初めてだ。
何だかやけにドキドキしてる。
神楽の練習にはいつもスウェットで参加してるから、いつも通りで来たけど、もうちょっとまともな格好で来れば良かったかな、なんて今更思っても遅い。改めて、くたびれたスウェット上下を確認して、少し恥ずかしくなった。田舎のヤンキーと言われても仕方ない。自業自得だ。
駅の駐輪場に自転車を停めて、時計を確認する。もう電車はやって来るはずだ。
駅舎の中で待つか、外で待つか。何度か、出たり入ったりを繰り返した頃、上りの電車がくるアナウンスが流れた。緊張する。
やっぱり、いま来た感を出して外で待ってよう。
駅舎の外のポストあたりで、俺は電車の到着を待った。
電車の音がする。でも振り向かない。鼓動が早くなる。眼を閉じる。
落ち着け、俺。ただ、友達と春休みに遊ぶだけだよ。なんでこんなに緊張するんだよ。
「穂高! 」
名前を呼ばれて、意を決して振り向く。
「お待たせ! 」
駅舎から出てきたコータが、俺を見つけて駆け出す。
パーカーの上に薄めのコートを羽織り、ブラックデニムのコータが眼鏡姿でそこにいた。
何だよ、それ。スウェット上下の自分を隠したくなる。
「何、ちょっと都会っ子感出してんだよ」
「え、何が、普段着だよ」
俺はコータの肩を小突いた。
「普段着っつーのは、こういうのだろ? 」
俺は両手を広げて、このくたびれたスウェットを見せた。
「パジャマじゃなくて? 」
真顔でコータが言う。
「おい! 」
コータがまた顔をクシャクシャにして笑った。
「ごめん、冗談。これから練習なんだから、動きやすい格好がいいもんね。」
不貞腐れる俺の頬に、コータの手のひらが触れる。
ドキッとする。
「ごめんって」
俺が手のひらを避けるように首を振ると、拝むようにコータが謝る。
いちいちドキドキする。
「遅れるから、行くぞ」
俺は駐輪場に歩き出した。その後を、コータがついて来る。
普段眼鏡じゃない奴が、休みの日に眼鏡で来るとか、それも反則なんだよ。チラリと隣を歩くコータを見る。
今日は、心臓がいくつあっても足りない気がした。
「え、穂高んちってどっちだっけ? 」
ひたすら続く田んぼの間を歩きながら、携帯とにらめっこのコータが聞く。
「まだもうちょっと先」
「結構歩くね」
駅を振り返り、歩いた道のりを確認してる。
「だから入学したら駅までチャリ。チャリで10分」
頷いてたコータの首が止まる。
「え? 雪の日は?」
無言になる俺。
「歩く……かな」
「大変だ……」
俺が、コータをあまり見ないように、下を向いて歩いているのに気がついて、顔を覗き込んでくる。
「ねぇ、何で四高にしたの?」
息が詰まる。この質問は想定外。
「ち、近いから……」
「ふーん」
ぐーっと屈み込んで、俺の表情を読み取ろうとするから、俺は思わず左手で顔を隠した。
「同じ高校を選んでくれたのかと思ったんだけど、違ったんだ」
「偶然だよ、偶然!」
ムキになるほど、嘘っぽく聞こえるだろうけど、今の俺にはスマートに嘘つけるほどの技量はない。
「ふーん」
納得いかなそうに、コータは視線を携帯に戻した。
「次の十字路を右に行くと俺んちの方。神社はもう少し真っ直ぐ」
地図と照らし合わせながら頷く。
「俺、ほとんど祭りとか行かないし、神楽とか全然観たことないんだよね。だから楽しみ!」
屈託のない笑顔って、こういうのを言うんだろうな。そんな笑顔見せられたら、こっちまでつられて笑顔になっちまう。
「みんな、マジかっけーから、覚悟しとけよ」
「うん」
その屈託のない笑顔のまま、コータは大きく頷いた。
田んぼの先のどん突きに、その一角だけ緑の小山のようになっている場所が見えてくる。
「あそこが神社」
もう、石造りの一の鳥居が見えている。
「ホントだ」
ちょうど鳥居の横の駐車場として使っている空き地に、神楽頭が車を止めるところだった。
「あの車の人が俺の師匠。神楽仕切ってる神楽頭の相澤さん。その横に止まってるのが、ウチの軽トラ。ジッチャンももう来てるね」
車を降りた神楽頭が、俺たちに気がつき、手を上げた。俺もそれに答える。助手席から降りたのは、きっと今日から参加する息子の辰哉くんだろう。ちょっと見ない間に、かなり背が高くなってる。
2人は神社に向かわず、そこで待っている。
俺たちを待っているのかも知れない。
俺は少し歩く速度をあげた。
「穂高、辰哉が初日はまず見学したいって言うんだけど、今日種播舞えるか?」
やはり俺たちを待っていた神楽頭が聞く。
「いいけど、相さん1回軽く見て確認してよ。種播は俺も1年ぶりだから」
今日は軽く確認のつもりだったから、正直心の準備は出来てないけど、舞うしかない。
「もちろん」
答えた神楽頭が、俺の後ろのコータに気が付いた。
「友達か?」
「あ、去年転校してきた三枝紘太。来月から高校一緒なんだ」
コータが頭を下げた。
「神楽見てる相澤です。あんま見ない顔だと思ったら、転校生か。何、神楽参加するの?」
「見学だよ、見学」
神楽頭は何かと人を神楽に勧誘する。無理もない。後継者不足は深刻だ。今も、本来はあと何人かいないといけない笛をやれる人がいなくて、笛2人と太鼓1人でどうにかやってる。
小さな神社の祭りや神楽は、どこも人手不足で、途絶える寸前だ。
ふと、もし本当にコータが参加したら…
一瞬考えて、その考えを否定する。だって、これ以上距離が近くなったら俺……
みんなで一の鳥居で一礼し、短い石段を登る。その先に二の鳥居。コータも俺たちの真似をしながら付いてくる。
集会所の入口でジッチャンが待っていた。
辰哉くんとコータはそちらに吸い寄せられるように近づいて行ったけど、俺と神楽頭が拝殿に向かうのを見て、慌てて追ってきた。
「まず神様に挨拶しねぇでどうする。人んち来て、その家の主に挨拶しねぇ奴はいんめぇ? 」
辰哉くんが正直乗り気じゃないのはヒシヒシと伝わってきた。父親にそう言われても、何も言わなかった。
それとは対照的に、コータは、
「すみません!」
と声に出して、しきりに頭を下げた。
「二礼二拍手一礼。見様見真似でいいから」
俺がコータに囁くと、奴は頷いた。
俺と神楽頭が拝礼するのを見ながら、後追いで辰哉くんとコータが真似る。
「本当は清めてからだけど、ここの手水はもう水出ないからな」
石の手水には、雨水が溜まり濁っていた。
その様子をずっと見ていたジッチャンがビニール袋からペットボトルのお茶を出して、みんなに差し出した。
「ご苦労さん。ご苦労さん。次世代の星たちが来て、神さんも喜んでる」
ジッチャンがいつになく嬉しそうにしてる。
「コータくんもありがとな」
お茶を受け取ったコータが、ジッチャンと挨拶する。
家族ぐるみの友達ってやつ?
なんか、コータがグッと俺のテリトリーに入ってきたようで、嬉しかった。
集会所の中には、舞の大先輩の上坂さんや、太鼓の松崎さん、笛の三國さんがもう揃っていた。
「好きなとこ座ってて」
俺はコータに告げると、神楽頭に歩み寄った。
「相さん、種播後半ちょっと見てよ」
それを聞いて、三國さんが
「笛いる?」
と聞いてきた。
「まだいいよ。流れ見てもらうだけだから。上坂さんも見ててよ」
上坂さんが無言で神楽頭の横に立った。
俺は2人の前で倍速で舞いながら、流れを確認する。
それを集会所の皆が見ていた。
本来、扇を持つ右手が宙を幾度となく切る。
途中で止められるかと思ったけど、最後まで声はかからなかった。
「いんでねぇか」
上坂さんが言う。それに神楽頭も頷く。
「流れは間違ってねぇ。流石だ」
「今日はこのままのカッコでいいんでしょ?」
「ああ、扇だけでいい。装束も鈴もまだ出してない」
「分かった」
ふと、コータを探す。
折りたたみの机のところで、パイプ椅子に座ってるジッチャンと話しこんでる。
俺が近づくと、コータが拍手した。
「凄かった」
キラッキラした眼で見てくるから、照れくさい。
「能ある鷹は爪を隠す、だね。学校では目立たないように隠れてるのに、ここだと大人と対等に話して、活き活きして、なんかカッコいい」
俺はどんな顔してればいいのか分からなくて、忙しなくあちこち見回した。
「俺なんて、まだまだだよ。次、上坂さんが音ありで舞うから見てな。スゲーぜ」
言い終わるかどうかのところで、三國さんの笛が鳴った。
そこに幕はないのに、幕を潜ったのが分かるように、上坂さんが中央に現れる。
しっかりと腰を落とし、ぶれない礼。
やっぱり筋トレとかしないとダメだな。あんな風に身体を支えるだけの筋肉が俺にはない。
もっと、上坂さんみたいに体幹をしっかりしなくちゃ。
みんなが上坂さんの神招の舞に釘付けになっている。俺もいつか、この舞を舞えるようになりたい。
小さい頃からの夢。
「穂高もあれ舞えるの?」
コータが聞く。
俺は首を振る。
「今の俺には、まだ無理だよ」
その会話を聞いていたジッチャンが、話に入ってきた。
「来年は舞わせる。上坂さん、来年で引退って言ってっから」
「嘘だろ?」
思わず口に出てしまった。
「引退って、まだまだ舞えてるじゃん」
「早くに引き継いで、若い世代に舞って欲しいんだと。舞えなくなってからでは、教えらんねから」
突然のことで、頭が追いつかない。
俺が神招の舞を舞うようになるのは、もっとずっと先だと思ってた。
「上坂さんが、穂高なら自分より何倍も良い神招に出来るって言ってくれた。上坂さんのご指名だ。来年まで、しっかり引き継げ」
俺はいろんな感情がこみ上げるのを抑えて、上坂さんの舞に向き合った。
憧れが現実になる喜び。
伝統を背負う怖さ。
上坂さんというカリスマを失う寂しさ。
渡されたバトンを引き継いでいくという誓い。
見えない幕を潜り、上坂さんが舞を終えた。
自然に起こる拍手。
やる気がなさそうだった辰哉くんも、拍手をしている。
「お祖父さん、笛が足らないって言ってましたよね?」
背後でコータがジッチャンに聞いた。
「ああ、あと1人か2人は欲しいんだが、いい人がいねくてな」
その答えを待っていたように、コータが続ける。
「オレ、前の学校で吹奏楽部だったんですけど、篠笛ってフルートみたいな感じで吹けますか?」
「どうだか……ミクちゃん、ちょっと!」
ジッチャンが笛の三國さんを呼んだ。
待って……、この展開は……。俺は振り向いた。
「篠笛ちょっとこの子に吹かしてみ」
走ってきた三國さんがジッチャンの言葉に頷く。
「おばちゃんが吹いた後でごめんね」
手ぬぐいで笛を拭きながら、三國さんがコータに渡した。
「音が出るまでが、ちょっとかかる……」
三國さんが説明を始めた瞬間、コータの持った篠笛が当たり前のように綺麗な音を鳴らした。
みんなが眼を丸くした。
「オレ、笛やります。神楽、参加させてください!」
ああ、またコータがラインを踏み越えた。
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