菜虫化蝶〈なむしちょうとなる〉

 緊張して全く眠れなかった。


試験の日は、むしろ決戦! って感じで、たかぶってキレキレだったけど、終わってから一気に不安が襲ってきた。

もし駄目だったら……

自己採点ではイケてると思うけど、みんなの出来が良ければ、きっと俺は落とされるだろう。

そんな当落線上にいる感じ。


 コータはなんと言うか、いつもにも増してマイペースで、

「落ちたらその時はその時。滑り止めの方の県立行こうかな」

なんて言ってたけど、試験当日は珍しく無口になってた。

だから俺は、あの消しゴムをコータに渡した。

「まだ持ってたんだ」

当たり前だろ。

これは俺の宝物なんだから。

〈ソレ〉に気がついたら、コータはどんな顔するかな?

俺は思わずニヤけて、それを隠すように口元を手で隠した。

俺が笑ってる事に気づいて、コータは消しゴムのスリーブを取った。

当たり前にコータが描いたジョバンニがそこにいる。

更に俺がニヤけて、落ち着かなくなるので、俺と消しゴムを交互に見て、ふと消しゴムを裏返す。

そこには俺が描いた細長い顔の猫と、『カムパネルラ』の文字があった。

フワッと笑顔になったコータが聞いた。

「映画、観たんだ?」

俺は頷いた。

初めて会った日に話してた、アニメ映画の『銀河鉄道の夜』それを見て、あの猫の謎が解けた。あの猫がジョバンニだったんだ。

だから、俺は裏側にカムパネルラの絵を描いた。

2人は対だから。

「ありがとう。お守りにするね」

コータが消しゴムを握りしめた。

「一緒の高校になれたらいいね」

「おう」

照れくさくてニヤけるのも隠さず、俺は頷いた。


 発表にはジッチャンも付いてくると言った。

俺んちの車は軽トラだから、コータのお母さんが

「うちの車で一緒に行きましょう」

と言ってくれて、4人で合格発表を見に行くことになった。

今どき、ネットでも発表されるけど、やっぱり貼り出されるのを見て喜びたい。

もうすぐコータの家の車が迎えに来る頃だ。

鏡を見る。

ショボショボの眼が、寝れなかったことを物語ってる。

こんな顔でコータに会いたくないけど、もう遅い。

ジッチャンが後ろを何度も行き来する。

「ジッチャン、落ち着いてよ」

全く聞かずに、また部屋に戻っていく。

俺の仕度も進まない。

案外俺もテンパってるのかも。

何度かブレザーを羽織っては脱いでを繰り返してる。

こんな人生の岐路なんて、初めてなんだ。

これで全てが決まる。

そりゃテンパるか。

今度こそ、ネクタイを直し、ブレザーに袖を通すと、両手のひらで顔を2回叩いた。

そろそろだ。

車の音がする。

来たに違いない。

「ジッチャン! 来たよ!」

ジッチャンに声をかけると、飛び出すように部屋から出てきた。

「ジッチャン、ほんと落ち着いて」

「ジッチャはいつでも冷静だぁ」

いや、声上ずってるから。

「ジッチャンの合格発表じゃないんだからさ」

「俺の可愛い孫の発表は、ジッチャの発表だ。さ、いくぞ!」

スタスタと玄関に向かっていくジッチャンの後ろ姿に思わず苦笑した。

「もう、よくわかんないよ」

俺はカバンを持つと、その後を追った。


「こんにちは!」

玄関でコータの声がする。

「ああ、どうもどうも。コータくんかい?」

ジッチャンが食い気味に挨拶に出る。

「はい、三枝紘太です。はじめまして」

俺が玄関に着いた時、ちょうどコータが挨拶したところだった。俺たちは目線だけで挨拶し合う。

「紘太の母です。穂高くんには、いつも紘太と仲良くして頂いて……ありがとうございます」

コータの後ろからコータのお母さんが現れて、挨拶した。

「いやいやこちらこそ、車出してもらって申し訳ない。おしょうしなっし」

なるべく標準語で話そうとしていたジッチャンも最後に気が緩んだ。

コータもコータのお母さんも、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してる。

「あ、こっちの言葉で、ありがとうとか、感謝を表す言葉です」

2人が納得したような顔で頷く。

ジッチャンが照れくさそうに頭をかくから、俺はそっと肘でジッチャンを小突いた。


「これ、返すよ」

車の中でコータが言った。

手のひらから渡された物を見ると、あの消しゴムだった。

「返すって元々お前の……」

「もう、穂高にあげた物だから」

そう言うと、俺の手を消しゴムごとコータの手のひらが包みこんだ。

「お守り。今度は穂高の」

触れた手が温かくて、なんだかドキドキした。

俺が女だとして、こんな事されたら、間違いなく落ちる。だって、男の俺でも今、心ごと持っていかれそうになってる。

それでも、コイツにそんな自覚はない。

何でもなく普通に、コイツはカッコいいことをやってのける。

ふと、バックミラー越しにコータのお母さんが見ているのが見えて、俺は照れ隠しに

「俺が落ちるみたいにいうなよ。絶対受かってっから!」

そう言って、消しゴムをポケットにしまった。

車内にドッと笑いが起こった。

しきりにジッチャンが頷きながら、

「いがった。いがった」

と繰り返していた。


 車を降りたあたりから、俺もコータも口数が減った。その空気を振り払うように、コータのお母さんとジッチャンが天気の話をしている。

気を紛らわせようとしてくれてるのは分かるけど、もう会話が遠くに聞こえて、自分の鼓動の音しか聞こえない。

ざわめく会場。

いろんな制服の中学生が、結果について話している。女子がキャッキャッと高い声でじゃれ合っている。

俺はポケットの消しゴムをグッと握りしめる。

ここまできたら、合格したい。

あんなに、生きるに困らないくらいの勉強したら、あとは米作りって思ってたのに……

ふと肩に手が置かれて、振り向く。

「大丈夫。穂高頑張ったし」

当たり前だ、そう言いたいのに、声が出て来ない。

「オレも、穂高も、大丈夫」

コータだって、そう言いつつ、自分を落ち着かせようとしてる。

みんな、怖いんだ。

「来たぞっ」

校舎の方から声がする。

貼り出す紙を持った男性教師が2人、足早にやって来るのが見える。掲示板の前に人だかりが出来始めた。掲示板前まで来た2人は深々と頭を下げる。

「それではこれより、県立第四高校入学試験合格者の発表をさせていただきます。本日、合格者には合格通知及び入学のしおりを発送しております。明日以降、ご自宅でご確認ください」

もう1人が、手に持っていた紙を広げはじめる。

担任がまとめて願書を出したから、俺とコータの受験番号は『145』と『146』。


あちこちからあがる歓声。

溜息は女子たちの甲高い叫び声でかき消される。

すぐ近くの男子が雄叫びを上げたので、鼓膜が震えた。後半の番号は見えているけど、前半が見えない。肩に置かれたコータの手が、僅かに震えているのが分かる。

そろそろだ。

「あっ……」

あった! と言うより早く、強い衝撃に俺の身体がバウンドした。一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。

直立不動のままの俺を、包み込むように抱きしめるコータ。

「良かった……」

耳元でコータの声がする。

俺はただただ呆然と立ち尽くす。

コータのお母さんやジッチャンも何か言ってるけど、全く頭に入ってこない。

この瞬間、俺は確信した。

俺はコイツが好きだ。

もう絶対に離れたくないくらい、コータが好きだ。

人目なんか気にせず、抱きしめて……

俺の腕が全力でコータを抱きしめる。

息が出来ないくらいの幸福感が身体を包む。

コータが、俺の肩に顔をつけて泣いてる。

「良かった……」

頬を寄せると、コータの涙が俺の頬を濡らした。

平気な顔して、本当はこんなに泣いちゃうくらい怖かったんだな。

俺と一緒じゃん。

愛しさが募る。 

「4月からも一緒だね」

一瞬身体を離して、見つめ合って、お互いに泣き笑う。

そしてもう一度、お互いを強く抱きしめあった。

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