鶺鴒鳴〈せきれいなく〉

 中2も夏休みを過ぎると、進路の話が本格化してくる。

田舎と言っても、さすがに高校にはみんな進学する。

でも俺はずっと、高校はいいかなって思ってた。

コータに会うまでは。

俺はそんなに勉強ができる方じゃないし、義務教育終わったら、本格的に米づくりの勉強を始めるんでも良いと思ってたんだ。

ジッチャンにも、親父にもそう話してた。


でも、コータと出会って……


離れたくないと思ってしまったんだ。 

ずっと一緒にいたいと思ってしまったんだ。


 もしコータがいなくなったら、俺はまた1人ぼっちになってしまう。

暗闇に吸い込まれるみたいな恐怖が、ヒタヒタと近づいてくる。

この感情を何と呼べばいいか、俺にはわからない。

友情?

それとも、恋?

ただの甘え?

何なんだとしても、このままあと1年とちょっとでサヨナラなんて、とても耐えられないと思ったんだ。


さり気なくコータに志望校を聞いたら、

「一番近いとこがいいかなって思ってるよ」

ってサラッと言ってたけど、一番近いのはそこそこ偏差値高めの県立校で、うちの中学から目指す奴はそういない学校だ。

みんなちょっと離れても、娯楽がたくさんあって、帰りに遊べたりする町の高校を選ぶ。

県立、私立、通信制なんかも合わせると4校もあるから、中学の仲間とも遊びやすい。


もし同じとこを目指すとして、俺の頭だと相当頑張んないとだし、突然の進路変更をジッチャンや親父にどう説明すればいいかわからない。

高校に進むってのは、それなりにお金もかかることだからさ。


 悩みは尽きないよ。

相変わらず俺は女が駄目で、この思春期真っ只中にあって、これはさすがに異常だろって自分でも思い始めてた。

反応しそうになっても、あの時のあの瞬間の嫌悪感が甦って、萎えてしまう。

そんなことが続いていた。


幸い、あの一件以来、親父が家に女を上げることはなくなったから、少しずつ時間が解決してくれることを、今は祈るしかない。


 閉塞感が漂う毎日の中で、コータとの時間が、どんどん大切な時間になっていく。

唯一、自然でいられる時間だった。


 シンドい時は、あの消しゴムを握りしめるんだ。

いくつもの悩みを抱えて、世界に1人みたいに感じてしまうけど、俺にはコータがいる。

そう思うだけで救われたんだ。


俺は決心した。


「穂高、あとで職員室まで来て」

担任が授業終わりに俺を呼んだ。

それを見ていたコータが、不思議そうに近づいてくる。

「何かあった?」

耳元で小さくコータが聞いた。

「別に」

俺がとぼけると、コータが俺の顔を覗き込んでくる。

「ふ~ん」

含み笑いをしながら、腰の辺りで手を振って、コータは教室を出ていった。

平静を装いながら、心臓はバクバク。

進路のことはコータには知られたくない。

『あれ? 偶然だね』

ぐらいな感じで、入学式に一緒にいたいんだ。

だって必死こいてなんてカッコ悪いし、ちょっと重いだろ?

今の絶妙な距離を崩さずに、このまま一緒にいたいんだ。


職員室に呼ばれた理由にあたりはついていた。

進路調査のプリント、保護者の意見欄白紙で出したからだ。

2年になった時のプリントには、当たり前に家業を継ぐ為進学しないと書いた。

あまりにも違いすぎる進路。

呼ばれるだろうな、とは思っていた。


「親御さんに話してないな、さては……」

担任が言う。

「まあ、先生は高校進学はして欲しいと思ってたから嬉しいけど」

そうだったんだ。

「おうちの田んぼ継ぐにしろ、高校で学んでからでも遅くはないと思うから、良い変化ではあるけど、随分と目標高く持ったね。今のままでは、かなり難しいよ」

「分かってます」

俺は担任の眼を見て言った。

「まず、何より親御さんとよく話すこと。じゃないと正式な志望校として認められないよ。塾とか通わないと厳しいかもしれないし。三者面談までは時間があるけど、そこのとこちゃんと自分でお話ししておきなさい」

塾か……

進学を考えたことなかったから、塾に通うなんてことも考えたこともなかった。

ますますジッチャンや親父に何て話すのか、難しいな。

「あの……塾とか通って頑張れば、やってやれないことないですか?」

恐る恐る聞いてみる。

現状、俺が行ける高校なのか、自分で分からないから。

担任は微笑んだ。

「穂高はさ、最初からおウチを継ぐ気で、勉強も最低限みたいなとこあったでしょ?」

さすが、教師だけあって、全て読まれてる。 

俺は首を傾げて、そんな事ない感出しながら、

「そうですかね?」

と答えた。

「理解力はあるし、分からない訳じゃない。やってないだけだから、私は頑張ればグンと伸びる子、俗に言うやればできる子だと思ってるよ」

ちょっと嬉しい。

頑張っても無理って言われたら、どうしようかと思ったから。

「何はともあれ、親御さんと話して、親御さんのコメントも書いて貰って、もう一度ちゃんと提出しな。スタートはそこからだよ」

「うっす」

嬉しいのの照れ隠しに、俺は下を向いたまま返事した。


担任の言葉がいちいち嬉しかった。

やれば出来る。

少し道が開けた気がして、自然に頬が緩む。

コータと一緒の高校に行けたら、どんなだろう。

もうそこには、俺んちの事情なんて、俺の過去なんて知らない奴らばかり。

コータだけが俺を知ってる。

なにそれ、天国じゃん。

俺は教室に戻ると、机の中のあの消しゴムを手に取った。

今夜、親父と、ジッチャンに話そう。

消しゴムのスリーブの端から覗く、猫の顔。

俺はグッと握りしめると、教室を後にした。


 意気揚々と家に帰ったら、親父が電話で誰かと話していた。

「はい、きちんと話を聞きますので……。わざわざありがとうございます」

親父がしきりに頭を下げている。

まずはカバンを部屋に置こうと、電話の前を横切ると、親父が俺を引き止めた。

「穂高、座れ」

「カバン置いてく……」

「いいから、座れ」

少し強い口調で言われて、仕方なく俺は座った。

「いつ、俺が高校行くななんて言った?」

抑えてはいるが、怒りが滲み出ている。

「言ってねぇよ」

「じゃ、何でこそこそ進路変えんだ! 当たり前に高校までは行かすつもりだったのに、行かなくていいって言ってたのはお前だろうが!」

いけない。

ここで親父と喧嘩してしまっては、塾のこと含めて話せなくなる。

「何した?」

奥からジッチャンが顔を出した。

「学校の担任から電話あって、進路を進学に変えたいっていう話があったから、お子さんとよく話し合ってくださいって」

「そりゃ、随分と大事な話だな」

ジッチャンも居間までやってきて、俺の顔をまじまじと見た。

「早く田んぼの勉強がしたいんじゃながったのが?」

ジッチャンの顔をまともに見れない。

ちょっとがっかりしてる声がしてる。

ジッチャンは、俺がすぐにでも米づくり学びたいと言うたびに、嬉しそうにしてたから。

俺は意を決して、その場に土下座した。

「急に進学とか言ってごめんなさい。でも、本格的に進路を考えるってなった時、何をするのにしても高校は出た方がいいんじゃないかって思って……。でもずっと行かないって言ってたし、ジッチャン嬉しそうにしてたし、言い出しずらくて」

そこまで言うと俺は頭をあげた。

親父もジッチャンも土下座に困惑しながら、俺をジッと見ている。

俺は親父の眼をしっかりと見た。

「お願いです。進路変更して、普通科の高校に行かせてください。どうしても合格したいので、塾にも行かせてください」

俺はもう一度、頭を下げた。

「珍しいもんだ」

ジッチャンが言った。

「土下座までして……何か強請る《ねだ》ような子じゃねぇもんな」

声をかけられた親父は、黙ってる。

「ジッチャはかまわね。我儘ひとつ言わねで、頑張ってきたんだ。塾の金、少し出したっていい。耕一、おめぇどげな」

親父の俺の顔を見る眼を見て、もしかしたら親父もこうして頭を下げたんじゃ?と思ってしまった。

まるで昔の自分を見るような、そんな眼をして俺を見ていた。

叶わなかった夢。

親父は、今の俺を見て、何を思うんだろう。

「俺ははなから高校は出すつもりだった。2人で勝手に、高校行かずに田んぼだ田んぼだ、言ってたんだろうが」

その通りです。

俺は言い返せず、更に深く頭を下げた。

「塾っつーのは、どんくらいかかるもんなんだ?ちょっと、聞いてみっか」

誰に聞くかは考えたくないけど、これは……

俺は顔を上げてジッチャンを見た。

「えがったな」

ジッチャンが笑った。

俺は小さくガッツポーズをした。

「プリント書くから、出しとけよ」

「ありがとうございます!」

もう一度、深く深く頭を下げる。

これ以上ないくらいに。

「やるからにはちゃんとやれ! 最後まで投げ出すな」

親父の言葉はまるで、そのままブーメランのように自分に突き刺さってるように聞こえる。

俺はゆっくり顔をあげて、しっかりと親父の眼を見て、頷いた。


勿論、絶対諦めたりしない。

この夢は、是が非でも現実にするんだ。

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