玄鳥至〈げんちょういたる〉
新学年初日。
クラスの眼がなんか変だった。
あちこちで、こそこそ話。
「よっ、大変だったな」
佐藤が俺の肩を叩く。
ああ、そうか。
田舎の駄目なとこは、噂話があっと言う間に広がるところだ。
この様子だと、もうほとんどのクラスメイトが、あの日俺に起きたことを知ってるんだろう。
そして言いふらしてんのは、間違いなくコイツだ。
何も知らねぇんだろな。
自分の母親の本性なんか。
あんな奴が母親なんて、心底同情するよ、佐藤。
「うちの親父むちゃくちゃ切れまくってたわ。親として信じらんねぇって」
俺は、お前の母親が信じらんねぇ。
家では良妻賢母を装って、陰でゲスいことやってる。その方がよっぽどたちが悪いと思うけどな。
もし、ウチの親父と母親の関係や、俺にしたことをコイツが知ったらどうだろう。
コイツは責められるとすぐ泣く奴なの、小学校の頃からよく知ってる。
めそめそと泣いて『ママはそんなことしない』って言うんだろうな。
グダグダうるせぇ佐藤を黙らせたくて、拳を握ると机を叩く。
クラス中が沈黙した。
バツが悪くなった佐藤は、身をかがめて自分の席へと戻る。
その様子を見て、クラスメイトたちも自分の席へと戻り始めた。
あぁあ。
暫くは、誰も話しかけて来ねぇだろうな。
その方が楽でいいんだけど。
チャイムが鳴る。
一斉にみんなが席についた。
間髪入れずに、担任とコータが教室に現れた。
「はい、今日から2年生、おめでとうございます。みんな知った顔しかいないけど、今年も仲良く協力して頑張っていきましょう」
転校生の存在を知らなかったクラスメイトたちがざわつく。
「そして、今日から新しい仲間も加わります。自己紹介お願い」
担任に促されてコータが少し前に出た。
「え、三枝紘太と言います。父の仕事の関係で引っ越してきました。どうぞよろしくお願いします」
教壇から俺の顔を見つけたコータが微笑んだ。
「とりあえず後ろに席作ったから、そこに座って」
担任が言った。
ふと見ると、隣の席が空いていた。
まっすぐに歩いてきたコータが、
「席、隣だね。よろしくね」
と声をかけたので、クラスメイトたちが、またざわついた。
転校したてなのに、俺と仲が良いと思われて、みんなに話しかけられなくなったりしたら、可愛そうだ。
あとでコータに話をしよう、そう思った。
休憩時間、コータは何度か俺に話しかけようとしたが、興味津々のクラスメイトたちに質問攻めにあって、話せないでいた。
俺はコータの為にも、あまりみんなの前で話したりしない方がいいな、と思ったから、静かに席を立った。
「穂高!」
廊下に出たところで、呼びかけられて振り向いた。
コータが追ってきていた。
「こないだは、ありがとね」
これはまずいな。
教室の中から、視線を感じる。
俺は声をひそめた。
「今、あんま俺と話さないほうがいいよ」
キョトンとしたコータが振り向くと、教室から様子を伺っていた奴らが、姿を隠した。
小さな溜息をひとつ、コータが真っ直ぐな眼をして、俺を見つめた。
「事情は分かんないけど、オレ、そういうの気にしないよ」
「!」
「俺、1人で本読んでる方が好きだし。前の学校じゃ、オレに興味あるやつなんかいなかったから、今みんなに話しかけられて、正直ビックリしてるんだ」
やっぱりコイツ、今まで会った誰とも違う。
「ずっと、クラス一緒なんでしょ? これからも、よろしく」
転校生がモテたりするのってこれなんだろうな、って思う。
下手したら、保育園あたりから小学校、中学卒業までメンツの変わらない小さな世界に、外からやって来て違う風を入れる。
「よ、よろしく」
俺が、おどおどと答えるのを聞いて、またクシャッと笑った。
みんなから距離を取られがちな俺にとって、コータが特別な存在になるには、そんなに時間はかからなかった。
俺が、コータにまで被害がおよばないように、距離を取っていることを、奴はすぐに理解した。
つかず離れず。
絶妙な距離感で、コータはいつも傍にいた。
たまに図書室で、最近読んだ本の話をして、盛り上がる事もあるけれど、行き帰りベッタリみたいなことはなかった。
心地良い距離感。
コータは、小さなゴシップで大騒ぎする輪に加わらなかった。
下ネタまじりの話題を振られた時は、
「ごめん、苦手なんだよね」
と、スマートに切り抜けた。
クラスの中にも、この外から来た異質な存在は、自分たちとは違う、という空気が漂い始めた。
男子たちはスカした野郎だと距離を取り、女子たちはその田舎の男子と違う魅力に眼をハートにした。
でも、そんな状況をどこ吹く風で、コータはコータのまま、揺るがなかった。
普通にカッコいいなコイツ、と思った。
ジッチャンのカッコ良さとは方向性が違うのに、根底が同じように思えるのは、コイツが自分を持っていて、まわりに左右されないからなんだと思った。
ある日の授業中、俺は書き損じて消しゴムを探していた。ペンケースに入れていたはずなのに、どこかいってる。
俺があちこち探す間、コータは何かを笑いながら書いていた。
やっぱりないや、と諦めた時、隣からサッと手が伸びた。
消しゴムだ。
俺は驚いてコータを見た。
「あげるよ。もう一個持ってるから」
「ありがと」
やけにクスクス笑うから、何だろうと消しゴムを見たけど、何の変哲もない消しゴムに見えた。
?
消しゴムに何か書いてある?
俺は消しゴムのスリーブをスライドさせた。
変なネコの絵と、『ジョバンニ』と書いてある。
『銀河鉄道の夜』
お父さんのことでみんなにからかわれる主人公はジョバンニだ。確かに、何か俺みたいだ。
ああ、だからあんなに刺さったのか。
だとしたら、コイツは……
書かれているものに気が付いた俺を、優しい笑顔で見ている、カムパネルラだ。
距離を取りつつも、見守ってくれている。
俺の友達。
いや、違うな。
もう、俺にとってコータは、もっと大切な存在になりつつあった。
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