雷乃発声〈らいすなわちこえをはっす〉

 中2になる目前の春休み。


図書室開放の日だった。

俺んちは、親父はゲームとか持ってるけど、俺にはやらしてくんないし、携帯も持たせてもらってなかったから、暇を持て余しては図書室で本を借りてた。

ヤンキー顔に似合わないとよく言われるけど、そんな事知ったこっちゃない。

顔で、本読むわけじゃないからな。

本は行ったことのない世界に連れてってくれる。

ほとんどこの小さな町しか知らない俺にとって、読書は旅行と同じくらい魅力的な娯楽だった。


 春休みの学校は静かで、がらんとしている。

俺は上履きに履き替えると、2階の図書室へと向かった。

上で声がする。

「それじゃ先生、新学期からよろしくお願いします」

何だろう。

俺は2階に辿り着くと、図書室と逆の職員室の方に眼をやった。

知らない制服を着た男子。

歳は同じくらいかな。

背が高くて、スラッとしていて、この辺じゃ見ないような、何て言うの? 上品? 気品? とにかく、垢抜けてる男子が担任と話していた。

両親らしき人たちもいる。

俺の存在に気づいた担任が、手招きした。

「穂高! また図書室? ちょっとおいで!」

俺は呼ばれるままに、近づいた。

「田舎なんでクラスは1クラスなんでね、4月から同じクラスになる川島穂高。地元のお祭りで神楽を舞ったり、お神輿担いだりしてる子なんですよ」

「転校生?」

俺は担任に聞いた。

「そう。三枝紘太さえぐさこうたくん。引っ越してきたばかりだから、何か困ってたら助けてあげるんだよ」

「はーい」

俺は三枝紘太を正面から見た。

俺はそんなつもり全く無いけど、後でコータに聞いたら、がん飛ばされてると思ったらしい。

少し怯えて、コータが引きつって笑った。

「よろしく……」

担任が笑った。

「ごめんね三枝くん。この子、こんな顔してるけど読書好きの優しい子だから、心配しないで」

「は?ちょっと、先生!」

俺以外のみんなが笑った。

「読書とか、神楽とか、素敵だね」

コータが、笑った。

素敵?

素敵なんて言われたの初めてだ。

何だろう。

猥談で盛り上げるクラスの男子たちと違う。

コイツは他の奴らと違う。

そんな気がした。

「オレも本好きだから、よろしくね」

さっきまで怯えてたのに、無茶苦茶垂れ目にしてコータは笑った。

「お、おう」

それが、俺と三枝紘太さえぐさこうたとの出会いだった。


 ちょっと前から、親父の新しい女が帰らずに家に居候していて、家にあんまり帰りたくない。

ジッチャンが毎日、

「邪魔だ、帰れ!」

って言ってるけど、

「うるさいわね、クソジジイ!」

って一歩もひかない。

どうでもいいけど、母ちゃん以外の親父の女の趣味、最低最悪。

そのせいで、余計に俺は女が苦手になっていく。


特に今日は、ジッチャンも親父も農協の会合に出かける日だ。

夜、あんな女と家に2人きりとか、嫌なこと思い出しちまう。

俺は本を選びながら時計を見る。

ギリギリまで学校に残ろうと、俺は決めた。

今日はどうしよう。

ちょっと前から、宮沢賢治にハマっている。

『銀河鉄道の夜』がめちゃめちゃ刺さって、それからよく読んでる。

「どんなの読むの?」

俺の後を追って、図書室に来たコータが聞いた。

「なんか雰囲気のある図書室だね。前の学校、どっかの有名な建築家がデザインしたらしいんだけど、図書室に変な柱があったりしてさ、なんか使いづらいんだよね。それに比べると、シンプルだけど使いやすそう」

「そうなんだ」

図書室の使いづらさとか、考えた事もなかったわ。

面白いこと考える奴だな。

「で、最近読んだの何?」

俺は、まさにまた手にしようとしていた本のタイトルを言った。

「銀河鉄道の夜」

「宮沢賢治!」

物凄く嬉しそうにコータは言った。

「いいよね? 名作! ジョバンニとカムパネルラ。俺オチに気が付いた時、号泣しちゃったよ。アニメ映画もあるんだけどさ、めちゃめちゃいいんだよ。観たことある?」

めちゃめちゃテンション高いな。

俺は少し驚きながら首を振った。

「観てみてよ」

俺が若干引き気味なのに気が付いたコータが笑う。

「ごめん……あんまりこういう話できる友達とかいなくてさ。『銀河鉄道の夜』大好きだから、テンション上がっちゃった。引くよね」

「いいや」

俺も笑った。

「図書室通ってる男子なんて、俺しかいないから、俺も嬉しいよ」

安堵したコータが、またくしゃくしゃに笑った。

俺より背が高いのに、子供みたいな奴だな。

俺もまた同じように笑ってた。


「紘太、帰るわよ」

コータの母親が呼びかけた。

「じゃ、またね。川島くん」

「穂高でいいよ。みんな穂高って呼ぶし」

「じゃ、穂高」

笑い合う俺たち。

「じゃあな、コータ!」

俺たちは手を振って別れた。


「穂高、また来てたの?もう閉めるよ」

図書室担当の先生が、図書室の鍵をかけに来た。

もうここまでか。

「穂高…家に帰りたくないとかあるの? 」

「え?何で?」

そんな家帰りたくないオーラでも出てたかな。

「いや、何となくそんな感じがしたから。もし、辛いこととかあったら、無理しないで誰かに言うんだよ」

いや、それが出来ないから、シンドい訳ですよ。

でも、気持ちは嬉しいよ。

心配してくれる人がいるってのは、良い事だよね。

「大丈夫」

自分に言い聞かせるように、俺は言った。


悪い予感ってのは、経験に基づいてるから、大抵は当たるもんだ。

どっかいなくなっててくれ! って思ったけど、残念ながら女はまだ家にいた。

しかもいつもは奥の仏間にいるのに、わざわざタンクトップ姿で居間でテレビを観ている。

「おかえり!」

いつもはそんなこと言わないのに、わざわざ挨拶なんてしてくる。

俺は軽く会釈だけして、自分の部屋に向かおうとした。

「ねぇ、穂高くん? だっけ?」

心臓がバクバクする。

もうこの猫なで声、フラグが立ちまくってる。

俺はまだまだ身体が小さい。

もう少ししたら、鍛えたりした方がいいかもしれない。自分の身を守る為にも。

今のままでは、また逃げられない。

俺は答えずに、通り過ぎようとしたけど、逃げ切れず腕を掴まれた。

「そんな逃げなくてもいいじゃん。耕一から聞いたよ。おばさんにされちゃった事があるんだって?」

何余計な事言ってんだよ、親父。

「ああ見えて繊細な奴だから、変なことしたらただじゃおかねぇぞって、耕一に釘刺されちゃった。」

親父の悪いとこは、そういうこと言うと火に油な女どもと付き合ってるって事に、気づいてないとこだ。

「いいじゃんね。思春期なんて、何にでも反応しちゃう時期なんだし、タダでお手伝いして貰えたらラッキーだよね?」

女のみんながそう思ってるとは思わないけど、男がみんなどんな奴ともタダでヤれたらラッキーなんて思ってると思ったら大間違いだ。

お前らが、おっさんにヤラシイ眼で見られたら嫌なように、俺だってそういう対象としてお前らに見られたら、反吐が出る。

俺にだって、選ぶ権利はあるんだよ。

喉元まで口に出そうになる言葉を飲み込む。

「離せよ」

女は掴んだ手を離さない。

「離せよ!」

離さないどころか俺の手を、ゆっくり自分の胸元に入れようとした。

俺は全身の力を振り絞って、女の手を振り払うと、走り出した。

靴を履く暇さえなかった。

もうこれははっきり言おう。

ジッチャンにあの女を追い払ってもらおう。

じゃなきゃ、家に帰れない。

ポツポツとしか街灯がない田舎の暗い道を、俺は泣きながら走った。

トラウマの上塗りされたことだけじゃない。

蓋をして見ないようにしていた現実も、目の前に迫って来ていた。


俺、もう女駄目かもしれない。

以前は反応していた身体が、全く反応しなくなってる。 


このまま、ずっとこうだったら……

どうなるんだろ、俺。

振り払っても振り払っても迫ってくる影に怯えながら、俺は走り続けた。


 農協の会合は、紛糾した。

裸足の俺が、泣きながらやってきたことで、ただ事ではない事が起こっていると、みんなが知ってしまった。

よりによって、あの佐藤の親父さんが、ウチの親父に説教したもんだから、親父も意固地になって余計な事言って、大ゲンカに発展してしまった。

元々、ジッチャンの顔を立てて文句を堪えてきた人たちまで、親父を責め立てた。

「これは児相に相談するぐらいのことですよ。ある意味、虐待ですよ」

結果、ジッチャンまでもが、厳しいことを言われる事になった。

そんな風にしたかった訳じゃないのに…。


「ごめんな、穂高……。ジッチャン、そこまで気づいてやれなくて……」

ジッチャンには言えなかった。

これが初めてじゃないなんて。

前のことは、ジッチャンに知られたくなかった。

そして、その後の事も知られる訳にはいかなかった。

「もう、家に女上げたりさせねぇがらな。安心しろ」

ジッチャンが優しく俺の髪を撫でた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る