芒種〈ぼうしゅ〉
結論から言えば、オレたちの結婚生活は秒速で終わった。
ちゃんと働いて、真面目に父親やろうとしてたんだよ。
でも、最初から愛のなかった結婚に、未来なんてなかったんだ。
ある日、家に帰ったら、牧村澄香は言った。
「好きな人が出来たから、別れて」
と。
2歳になって、「パパだっこ!」を連発する可愛い娘〈
オレの人生には、まだ下があったか?ってくらい、底があるらしい。
1人残されたオレを見て、
「自業自得よ」
と母さんが切り捨てた。
同級生たちが、大学でキャンパスライフを謳歌する頃、オレは工事現場で、工場で、引越屋で、自分を罰するように、働き続けた。
あれからどれだけの季節が過ぎたろう。
父さんとは、たまに一緒に飲みに行ったりしてるけれど、母さんは決してオレを許さない。
オレはそれでいいと思ってる。
オレはそれだけのことをした。
それを忘れさせない為にも、母さんはそうしてくれてるのかもしれない。
牧村澄香は再婚したみたいだけど、瑞穂の為に養育費は送り続けてる。
幾度となく仕事を変え、今は派遣でフラフラと、その日その日の職場で仕事をしている。
その方が気が楽だった。
『前の職場は?』
『結婚は?』
『子供は?』
『彼女は?』
何もかも聞かれたくなかった。
6月といえば梅雨のイメージだが、この街の6月上旬は快晴で気持ち良い風が吹く日が続く。
梅雨に入るまでの短いこの期間、地元の球団、フェニックスの試合を観戦するには、お
フェニックスの試合の日は、飲食店から警備まで、たくさんの仕事の派遣求人が出る。
時給もそこそこいい。
そこで、家族の幸せな光景を見るのも好きだ。
非日常の空間で、はしゃぐ子どもたち。
このスタジアムには小さな遊園地みたいなスペースもあって、どこを見ても笑顔が溢れてる。
瑞穂は大きくなったかな。
前は写真や手紙が送られて来てたけど、最近はそれも途絶えがちだ。
自分は手にすることが出来なかったものたち。
リア充爆ぜろ、なんて思うカップルもいるけど、悲しみや苦しみを見るより、ずっといい。
「おい、派遣! パセリのってねぇぞ!」
名前を呼ばれない事にも慣れた。
毎回違う奴が来る。
そんな派遣の名前、いちいち覚えてらんないの、よく分かる。
「すみません。今のせます!」
オレはトリュフ塩のかかったポテトに、パセリをちらしながら言った。
今日は、新しいデザインの入場者特典Tシャツの配布日だから、6月にしては人が多い。
次から次へ注文が入る。
今日の仕事は、スタジアムの飲食店。
いろんな味のポテトや、選手プロデュースのパフェなんかを売る軽食系のスタンドだ。
ひたすらポテトを揚げてて、眼がまわりそうだ。
でもその方がいい。
暇な職場では、余計なことばかり思い出してしまうから、忙しい方があっという間に過ぎてくれて助かる。
「次、ダブルチーズ、カップ付きで」
「はい、カップ付き!」
球団マスコットの絵柄が入ったプラカップを取って、その中にポテトを入れ、チーズソースをかける。
レジ担当に渡そうとすると、レジ担当の社員が休憩に入ろうとしていた。
「派遣、そのままレジ入って。あんた前にもやったことあったよな」
「はい、ちょっとだけ」
オレはダブルチーズソースカップ付きを持ったまま答えた。
「じゃ、お願い。それはお客さん呼んで」
促されるままレジ横に立ち、
「ポテト、ダブルチーズソーススーベニアカップ付きでお待ちのお客様!」
オレは叫んだ。
「ハイ!」
?
どこかで聞いたような……
うっすら思いながらも、気にせず声の方に呼びかけた。
「お待たせしま……」
ほんの一瞬が、スローモーションのように物凄く長く感じる。
ドラマなんかじゃよく見る演出。
時が止まるって、こういう事を言うんだ。
ポテトを取りに来た客が言った。
「コータ……?」
そこにいたのは紛れもなく、穂高だった。
小学生くらいの男の子を連れて、新デザインの配布Tシャツを着ている。
結婚したのか?
しててもおかしくない。
もうオレたち、
オレは普通を装い、穂高の問いに答えなかった。
聞こえなかったように、
「こちらになります」
とやり過ごそうとした。
「コータだろ? 俺だよ! 穂高だよ!」
うん、知ってる。
チラリとヤツの後ろを見ると、列が出来かかってるのが分かる。
「ごめん……仕事中だから……」
そう言って、ポテトを手渡そうとするが、ヤツが受け取らない。
「何時まで?」
「えっ?」
後ろの客が不機嫌そうにこっちを見ている。
「試合終了までです」
言わないと引き下がりそうになかったから、オレはそう答えた。
穂高が笑う。
「逃げんなよ」
ヤツがオレを指さした。
まるで一瞬、制服姿の自分がそこに立っている
気がした。
高2の春、ヤツが図書室で『サボんなよ』と指さした。
あの瞬間のリプレイのように。
「すみません、注文いい?」
客に呼びかけられ、オレは現代に戻った。
「失礼しました。どうぞ」
まだ、ヤツがこっちを見ているのが分かった。
連れている子供が呼びかける。
「ほだー、あれだれ? ほだの知ってる人?」
ヤツが子供にポテトを渡しながら、耳元で何か答えた。
子供がオレを見る。
「コータ! あれ、コータなの?」
ああ、もう。
仕事に集中出来ない。
注文を受けるオレに、ヤツの連れている子供が手を振った。
「コーター!」
チラリとヤツと子供を見る。
2人とも、笑顔で手を振ってる。
「コーター! 仕事しろ〜!」
ヤツが
視線を戻すと、あからさまに客がムスッとしていた。
「失礼しました。今お持ちします」
いったい、子供にまで何吹き込んでんだか……
何人かの客を対応して、もう一度見ると、ポテトを貪る子供の頭を撫でながら、優しい顔で穂高がオレを見ていた。
オレと眼が合って、ニッコリと子供のように笑う。
オレの好きだった、あの笑顔の穂高。
アナウンスが間もなくプレイボールを告げている。
ヤツが子供に声をかけて、2人は歩き出す。
オレが見ているのを知ってて、ヤツはもう一度オレを指さした。
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