立秋〈りっしゅう〉

そんな馬鹿げた関係は暫く続いた。

しかし、最初は可愛らしかった牧村澄香も、次第に女の部分を曝け出し始めた。

まずは、オレの心の中に、別の誰かがいることに気がついて、こちらが求めなくても、自ら積極的に求めてくるようになった。

身体で繋ぎ止めようという、魂胆が見え透いていた。


どうにかして、自分を好きになってもらいたい。

その気持ちは伝わるけど、されればされるほど、冷めていく自分がいた。


少しずつ間隔が空き、いつしかメールにも返信しなくなる。

クラスの奴らや、あの牧村澄香の気持ちを伝えに来た別のクラスの女子にも、付き合ってることはナイショにさせてたし、夏休み中にこのままフェードアウトして…。

それもまぁ、この時期の高校生にはよくある事だろ。

そう思っていた。


相澤さんから電話がきて、夏祭りで笛を吹かないかと聞かれたが断った。

穂高とのことを聞かれそうになったので、失礼極まりないけど、途中で電話を切った。


もう何ヶ月、会ってないんだろう。


電車から見えた田んぼには、夏の凛とした稲穂が伸びていて、白鷺がすくっと立っていた。

たったそれだけで、いつかの夏、田んぼで空を見上げてた穂高を思い出す。

「分げつって言って、どんどん枝分かれして伸びてって…」

一生懸命、稲の成長過程を説明するのに、オレはちんぷんかんぷんで、穂高の眉間のシワが深くなって…。

オレは小さく笑った。

気が付いた。

振り払っても、振り払っても、ここにある。

もう、ヤツとの思い出は、オレの一部なんだ。

切り離せるはずが無い。


きっと爺さんになっても、オレはあの燦めいた日々を思い返すんだ。


一見穏やかな日々が終わりを告げたのは、お盆前のことだった。

赤羽からの電話。

両親共々、学校への呼び出し。

嫌な予感がした。


学校の応接室に通されると、見知らぬおばさんと赤羽が待っていた。

「牧村澄香の母です。」

オレは何となく先が読めて、オレにはまだ落ちる底があったんだと思い知らされた。

大丈夫だから、と言われて、中で出したことがあった。何かで読んだことがあったのにな、ああいう時の女の大丈夫は、信じちゃダメだって。

「娘が妊娠しました。お宅の息子さんの子だと言っています。」

牧村澄香と付き合っていた事さえ、両親は知らなかったから、二人とも絶句した。

「主人はまだ知りません。知ったら大変な事になるから、先に私が来ました。」

赤羽がオレに聞く。

「どうなの?三枝…」


これは罰だ。

人の好意を利用して、弄んだ罰だ。

オレはゲイなのか?女は抱けるのか?自分の気持ちを認めたくなくて、人の身体でリトマス試験紙みたいに実験した罰だ。

それ相応の罰を受けるしかない。

もう落ちるとこまで、落ちればいい。

「澄香さんとお付き合いしていたのは本当です。その…そういう関係にあったのも…事実です。責任は取ります。」

淡々とオレは言った。

次の瞬間、母さんがオレの右頬を平手打ちにした。

「母さん!」

父さんが驚いて止めに入る。

父さんが驚くのも無理ない。

母さんに打たれるなんて、生まれて初めてだ。

「責任?責任を取るってどういうことか、分かって言ってるの?簡単に言うもんじゃないわよ!」

こんなに怒ってる母さんを見るのは初めてだ。

「お母さん、ここは冷静に。叩いたって何も解決しません。むしろ、紘太くんを意固地にしてしまうだけです。」

赤羽が立ち上がり、母さんとオレの間に割って入る。

「人生に関わる問題ですから双方のご家庭でよく話し合ってください。幸い夏休み中ですから、暫くは大丈夫でしょうが、人の口に戸は立てられません。田舎ですし、こういう話はすぐに広まります。口さがなく言う人もいるでしょう。メンタルのケアも含めて、お子さんたちの為に良い結論を出していきましょう。」

ずっと黙って聞いていた牧村澄香のお母さんが、最後にボソリと言った。

「今言うのが妥当なのかは分かりませんけど、娘は結婚を前提に子供を産むと言っています。」

お母さんはオレの眼をしっかりと見つめて、

「責任取るのよね?」

そう言った。


昔、母さんがよく言った。

『一つ嘘をつくと、その嘘を隠す為に、次々に嘘を重ねて、最後は破滅してしまう。嘘つきは泥棒の始まり。』

自分の気持ちについた嘘は、やがてオレの全てを覆い尽くすだろう。

「学校辞めます。辞めて働きます。」

「紘太!」

いいんだ、母さん。

ここから離れられるなら。

とうとうちゃぶ台返したよ。

もう、限界だったんだ。


母さんはそれ以降口を開かず、父さんはオロオロしながらも、こちら側から牧村のお父さんに話をしに行くことなどを決め、その場はお開きとなった。


帰り際、赤羽が言った。

「夏休み中、補習したりして遅れた分取り返して、夏休み明けから川島復学するんだよ。」 

「いま穂高の話はするなっ!」

食い気味にオレが怒鳴るから、父さんも赤羽も眼を丸くした。

母さんは、無言で先に昇降口へと降りて行った。

ちょうど良かったんじゃね。

入れ替わりで、オレが辞めるから。

もう、ヤツに会わせる顔もないんだし。

何でか知らないけど、オレは力なく笑っていた。


「逃げてるだけよ。」

家に帰ったオレに、母さんは言った。

「あなた、その子の事本当に好きなの?その子と赤ちゃん、本当に愛せるの?これから一生負う責任なのよ?」

「好きだよ。」

ああ、また塗り固めた。

「覚悟は出来てるよ。母さん。」

「嘘。」

吐き捨てるように言う。

「今はいいでしょう。学校辞めて、ここから離れて。あなたここから逃げたいだけだもの。」

ああ、全てお見通しか。

「それに付き合わされて、傷つく澄香さんも赤ちゃんも可愛そうよ。どこまで自分勝手に人を傷つけるつもりなの?ねぇ、そんなことも分からない子だったの?」 

オレは答えなかった。

答えるのが億劫だった。

「今からでも遅くないわ。今ならまだ、手術して…」

「もういいよ!」

声を荒げたオレに驚く。

こんな風に言い争ったこともないくらい、仲良し親子だったね。

涙が止まらない。

「オレを逃がしてくれよ、母さん。」

 

そのやり取りを、父さんが見ていた。

父さんが言った。

「帰ろうか、向こうへ。」


その日から、母さんがオレと話すことは無くなった。

嘘をつけばつくほど、大切な人を失っていく。

それでも、オレはもう止まらない、転がり落ちる石のようだった。

父さんと二人で牧村家に行って、牧村澄香のお父さんに殴られながらも、結婚を前提として子供を産むこと、すでに噂が広まっていること、子育て出来るサポート体制、就職先など総合的に考えて、三枝家が住んでいた街に引越すことなどが決められた。


久しぶりに会った牧村澄香が、

「怒ってる?」

と聞いたから、確信犯なんだろうなと思ったけど、今のオレにはそれはどうでも良かった。

むしろ、ここから逃げる口実を作ってくれた女神のようにさえ思えた。 


いよいよ夏休みが明ける、という頃。

オレは学校を中退した。

噂は爆発的に広まり、買い物に出るにも視線が気になるようになった。

一刻も早く離れたくて、オレだけ先に就職先が用意してくれた社宅に入ることになった。


最低限の荷物だけ持って、家を出る。

母さんは、見送りにも出ない。

父さんは、来年の春までこっちに残る。


春祭りの終わりまで、こんな夏の終わりは想像もしていなかった。

青々と茂った稲が、実をつけるべく、上へ上へと伸びていく。

電車の車窓越しの田んぼが眩しい。

稲の茎の膨らみを確認して、あとちょっとで穂が出ると、はしゃいだヤツを見るのが幸せだった。

今思えば、ずっと、ずっと好きだったよ。


中二で出会って、三年とちょっと。

ずっと一緒にいたのは、一年だったけど、オレには多分永遠の一年。

何もかもが忘れられない。

特に、この駅は。

何百回もの『じゃあな。』が、頭を駆け巡る。

オレはシンドくて、ホームから眼を逸した。 


「ドン!」

窓に衝撃があって、驚いて視線を戻す。


「穂高…」

あの眉間にシワの寄った顔で、電車の窓を叩いていたのは間違いなく穂高だった。

オレは立ち上がろうとしたが、瞬間ドアが閉まった。もうどうしようもない。

車掌に何か言われたのか、穂高が電車から少し離れる。

敬礼。

ヤツが敬礼した。

あの日のように。

何百回と繰り返された、あの日々のように。

オレは涙が流れるのを、隠さなかった。

一秒でも長く、穂高を見ていたかったから。

眉間のシワがさらに深くなって、穂高がオレに向かって、何か叫んだ。

ゆっくり電車が動き出す。

もう一度、穂高が叫んだ。

今度は微かに聞こえた。

「バカヤロウ!」

最後の言葉がそれかよ。


オレは、小さくなっていく穂高を見ながら、むせび泣いた。

 

こんな状況なのに、こんな別れ方なのに…、もう一度会えた喜びの方が勝ってる。

オレに別れを告げに来てくれた。

ただそれだけで、救われる気がする。


こんなにも、好きだったんだな、オレ。


何処までも続く緑の田んぼの間を、電車が進んでいく。あんなにも離れたかったのに、今は恋しい。

もう戻ることのない町。


夏の終わり、オレは一人、田んぼのない街へ戻った。


















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