穀雨〈こくう〉

オレたちは、夜、神楽の稽古での再会を約束して別れた。


けれど、その約束は守られることはなかった。

お祖父さんの容態が急変し、穂高は病院を離れられなくなった。

神楽頭もしている総代代理の相澤さんが、もしもに備えて自分の中学生の息子の辰哉くんに、穂高の代役が出来るよう、教え始めていた。

「コータからしたら冷たいと思うかもしれねけど、総代にもしものことがあったら、川島本家の人間は祭りに入れらんね。穢れを入れるわげにはいがねがらな。」

勿論、分かってる。

田植えを前に、山から降りてくる神をもてなし、豊作を祈る祭り。

二度祭りに参加して、神聖な祭りの前には穢れを祓わなければならない事も知ってる。

身内が亡くなったら、神社参拝を控えるどころか、家の神棚も半紙で隠さなければならない事も、ヤツから聞いてる。

頭では理解してる。

でも、心が追いつかない。

今回初めて、穂高が大役である神招の舞を舞うことになっていた。

それを人一倍喜んでいたのはお祖父さんだ。

こんな皮肉なことってあるか。

オレの複雑な表情を読み取ってか、相澤さんがオレの肩を叩いた。

「総代代理としてはそうだけど、個人的には絶対に穂高が舞うと思ってるよ。」

相澤さんが少し声を震わせた。

「見舞いに行った時によ、総代が、『心配するな。祭りが終わるまでは、石にかじりついたって死なねぇがら。』って、『穂高の神招見るまでは死ねねぇだろ。』って…。」

今度は二回、相澤さんがオレの肩を叩いた。

「誰よりこの神社を大事にしてきた人だ。俺は総代を信じるよ。」

オレもそう思う。

穂高が舞い、祭りが終わるまで、きっとジッチャンは約束を守るだろう。

オレは、大きく頷いた。


結局そこから、穂高は稽古にも学校にも全く顔を出せないまま、祭りの当日を迎えた。

相澤さんから、総代が危篤であることが告げられる。深い沈黙。集まった祭り関係者に重苦しい空気

が流れる。


その時だった。

「穂高…」

鳥居で一礼して、向かって来るのは、間違いなくヤツだった。

関係者がざわつく。それを感じて、相澤さんが続ける。

「神招の舞は予定通り、穂高が舞う。」

みんな知ってる。

誰よりそれを見たかった人は、ここにいない。

それでも、祭りは続けなければならない。

たとえ、死に目に会えなくなったとしても、穂高が舞うべきだ。

みんなそう思ってる。

関係者の輪に加わったヤツが頭を下げる。

「ご迷惑おかけして、すみませんでした!今日は精一杯努めます。よろしくお願いします!」

沈黙の後、ポツポツと起こり始める拍手。神輿の担ぎ手達が口々に

「頑張れよ!」

「期待してるぞ!」

と声をかける。

深く深くお辞儀した後、顔をあげたヤツの顔は今までのどんな穂高とも違った、力強く男らしい顔だった。

「よっしゃぁ、やるぞっ!」

ヤツが担ぎ手達を鼓舞すると、それまで沈みがちだった関係者の輪に活気が漲った。

「おおお!」

一瞬で、祭りの空気が帰ってきた。


スゲェよ、やっぱり。

たった一言で場の空気を変えやがった。

シンドかったろうことは、また痩せてこけた頬が物語ってる。

今だってきっと、シンドいに決まってる。

でもヤツは今、自分のなすべきことを分かっていて、それを精一杯やろうとしてる。

オレにはきっと、こんな事出来ない。

輪の中のヤツが、オレを見つけて微笑んだ。

オレは上手く笑いかえせずに、ヤツをただただ見つめていた。


午前中にこの神社を兼務している隣町の神職が訪れて、神事が行なわれた。

この季節は土日になると、何社も兼務している神職は大忙しなのだと言う。

お神輿が間もなく出発する。

普段は静かなこの神社も、溢れんばかりの人で賑わっている。

地域の人達が、焼きそばや大判焼の模擬店を出して、びっくりするような安い値段で振る舞っている。

久しぶりに会う顔も多い。

他の高校に行った同級生達が、声を掛けていく。


ヤツと話したい。


でも、オレも穂高も、それぞれの役回りがあって、忙しく動いているから話せない。

もどかしい。

相澤さんや他の大人たちから、仕事を振られて動き回る間も、ヤツの姿を探してる。

何度となく眼が合うのだけど、見える距離にいるのだけど、一向に距離が縮まらない。


赤い天狗に似た面を付け、高下駄を履いた猿田彦大神が現れると、自然とお神輿の周りに人が集まり始めた。担ぎ手達が、各々気合を入れる。

ヤツはお神輿の左前、オレは右後ろの決められた位置で出発の時を待つ。

秋の時より担ぎ手が減っている。

お祖父さんも、相澤さんもよく言ってる。

どんどん氏子が減って、祭りの維持が難しくなってると。

氏子総代のお祖父さんがいなくなったら、この神社は、祭りはどうなってしまうのだろう。

そう思った時、今はお神輿で見えない、ヤツの顔が浮かんだ。

それも背負っちゃうんだろ?ジッチャンの跡を継いで。

神輿渡御の合図の太鼓が打ち鳴らされる。

猿田彦大神の後ろに紋付で正装した相澤さんが並んだ。

始まる。

祭りでテンション可怪しくなってんのかな、オレ。

心が騒いで落ち着かない。

太鼓が鳴り止む。

担ぎ手が次々と声をあげ、

「行くぞ!」

穂高の声を合図にお神輿が動き出す。

自然と湧き起こる拍手。

相変わらず重いが、次第に重みを感じなくなるから不思議だ。

オレは、雑念を振り払うように、無我夢中で担いだ。


町の中を、各地区ごと巡って、神社に戻ったのは日が大分傾いてからだった。

途中、何度か御旅所で休んだ時、ヤツと話そうと試みたけど、小さい頃からお祖父さんと共に祭りを見てきた穂高は、地区毎でも話さないといけない人がいて、それをオレは邪魔出来なかった。

結局、ヤツが落ち着いたのは、神楽の前の休憩の時間だった。他の人たちが、神輿渡御を終え、水分や食べ物を補給する中、ヤツは神楽殿の影で一人、黙々と舞の確認をしていた。

一週間以上、稽古に参加していない。不安になるのも無理はない。ましてや、今回初めて舞う、神招の舞の後半は、穂高一人が舞う重要な舞。

特にその部分を確認してるのが見てとれた。

あれだけ話したいと思ってた。でも、今は邪魔しちゃいけない。

オレは頭の中で、ヤツの舞に笛の音をのせた。

稽古を休んでたとは思えないほど、ちゃんと出来ている。病院にいる時も、こうして練習してたのかな。ヤツのことだから、きっとそうに違いない。

ふと、舞を止めたヤツがこっちを見た。

オレが見ていること、気づいてたんだ。

手招さえしない。眼力と一回頭を縦に振るだけで、オレを呼んだ。

オレは、笑いながらヤツに近づいた。

「眼力だけで、人を呼ぶなよ。」

「ちゃんと出来てた?」

急に不安そうな顔で、ヤツがいう。

「出来てたよ。」

そう言っても、ヤツはおさまらない。

「神輿終わったら、緊張してきて、何度確認してもこんがらがりそうで…」

「大丈夫だって…」

「ずっとやってきたのに、鈴と幣束を逆に持ちそうなくらいバクバクしてる…」

逆…オレは、いいこと思いついて、笛を入れている袋を閉じるのに使っていた組紐を解いた。

「左手出して。」

「えっ?」

「いいから。」

オレは不安そうなヤツの眼を微笑んで見つめた。

きっとこうしても、狩衣の袖で隠れてしまうけど…。

オレは穂高の左手首に組紐を蝶々結びした。

「左手に幣束な。そして、ちゃんと舞えるおまじない。」

ヤツも理解すると、微笑んで左手をあげて組紐を見つめた。

「フレッドのおまじない。」

嬉しそうに確認する穂高に、何だか感極まって泣きそうになるのを堪える。

「コータ…」

ヤツはまだ左手の組紐を触りながら、オレの顔を見ずに言う。

「全部、全部、ありがとな。」

「…うん。」

ちょっと照れくさくて、軽く答えると、ヤツが顔をあげオレの眼を見据えて言った。

「おしょうしな。」


「お前らも準備にかかれ!」

相澤さんが走ってきて、オレたちに言った。

神楽が始まる。

穂高が頷く。

オレも頷き返す。

笛のオレの方が先に神楽殿にのぼる。

オレは視線を外して、その場を離れた。


他の笛の人たちはもう舞台裏に揃っていた。

一人先に舞台に出ている太鼓の松崎さんが、合図の太鼓を打ち鳴らす。

幕を潜り、オレたちは神楽殿の舞台に出た。

上手に順番に座っていく。

オレも緊張してない訳じゃない。緊張しているけど、でも先輩たちがいるので、まだ心強い。

しかし、初めての舞を、たった一人で舞う穂高はどうだろう。

あの組紐が穂高を護ってくれることを祈った。


ふと観客を見る。

最前列にどっしり構える相澤さんの横に、席が空けてある。

いつもお祖父さんが座ってた席だ。

危篤と言われながら、ここまで何の連絡もなくきている。きっと大丈夫。そして、きっと見ている、穂高の晴れ姿を。

イス席の横の最前列に、図書室前であったあの新入生の女の子が陣取っている。

やっぱり、穂高が好きなんだろう。


祭りの時の穂高に惚れるのはよく分かる。

男の俺から見ても、痺れるくらいカッコいい。

神輿を担ぐ男らしさと、神楽での美しさ。

このギャップと、普段とのギャップ、ヤラれる女子がいても不思議じゃない。

そう思いながら、オレはゆっくり笛を構えた。


まずは舞台を清める四方拝の舞。

大ベテランの上坂さんが幣束を手に、四方を祓う。

これで、神を招く準備は出来た。

いよいよ神招の舞だ。

松崎さんの太鼓が一つ鳴る。

笛の面々が呼吸を合わせる。

幕が上げられる。

鳥甲を被った辰哉くん、そして穂高が舞台に現れた。

拝殿に深く腰を落とした礼をした後、三方に置かれた幣束と鈴を手に取り、舞は始まる。

大丈夫。いつも通り。ちゃんと舞えてる。

二人の息も揃っている。

舞手の持つ鈴の音が、笛太鼓と溶け合う。

四方に向けて、舞が繰り返された後、リズムが突如変わる。

ここからが一人舞だ。

辰哉くんが深く礼をして、幕の奥に消えた後、その広くなった舞台を存分に使うように、大きく舞台を回り、紫色の幣束を高くかかげ穂高が舞う。

指先、足の払い、鈴の音。

一つ一つの所作が、魂が込められているように、確実に、そして綺麗に決まっていく。

そりゃ、そうだ。

きっと穂高は、ジッチャンが見ていると思って舞っている。

たとえこの場にいなくとも、きっと見ている。

オレもそう思ってる。

舞が終盤に差し掛かり、舞台正面に向かって穂高の左手が高く空を指した時、ちょうど境内の灯りがともり、舞台に向けたライトがオレたちの眼を眩ました。

「えっ?」

思わず笛から口が離れそうになるのを、どうにか留めた。

一瞬、相澤さんの隣にお祖父さんがいた気がした。

そんなはずはないのに、穂高の舞を誇らしげに見ている、そんな姿が見えた。

オレは驚いて穂高を見た。

穂高も全く同じ場所を見つめていた。

ダメだ。

笛から口を離してはいけない。

ジッチャンが見ているなら、最後までしっかりやり遂げなければいけない。

きっとそれは穂高も同じなんだろう。

最後の深い二礼まで、ヤツは手を抜かない。

しっかりと腰を落とした、美しい礼で舞をしっかりと終えた。

振り返ったヤツが幕の向こうに消える寸前、その頬を涙が伝ったのが見えた。

相澤さんの隣を見る。

勿論、そこは空席だった。


小さな女の子の、神子の舞を終え、種播の舞になった時、席に相澤さんが居ないことに気がつく。

本来なら、上坂さんと穂高が出てくるところ、上坂さんと辰哉くんが出てきた時、オレは全てを悟った。

オレも、オレの仕事をキチンと全うしなければ。

泣きそうになるのを堪えて、オレは笛を吹き続けた。


祭りの翌日。

夜半から降り出した雨は、シトシトと空気を煙らすように大地を濡らした。

朝早く、相澤さんから電話が来て、お祖父さんの死を知らされた。

亡くなったと連絡が来たのが、神子の舞の最中で、

「総代は約束破らねえ漢だな。」

と、相澤さんが電話越しに泣いた。

分かってる。

最後、ちゃんと穂高の舞を見に来たよ。

それをきっと、穂高も分かってた。


「ジッチャン、おしょうしな。」

オレは最後に見た穂高の顔を思い出しながら、声を殺して泣いた。






































































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