黒いカーネーション
エモリモエ
round of applause
幕が開き、曲が始まる。
いつものように。
ほら、今日もあの子がそこにいる。
この劇場では有名な話。
中央扉の左端。
小さな男の子の幽霊がときどき立つ。
いつ、どんな時に現れるのか、誰も知らない。
その子は舞台の上からしか見えないし。
誰にでも見えるわけじゃない。
どこの誰かもわからない。
けど。
ずっと前からいるらしい。
「淋しいんだろうね」
と、スタッフの誰かが言ってた。
「淋しいから、みんなが楽しそうに舞台を作っているこの場所に、惹き付けられてくるんだよ」
そうかもしれない。
歌って、踊って。
スポットライトのなか。
魅惑的に輝く。
けど。
舞台のうえでは全てがニセモノ。
まばゆい光は太陽じゃない。衣装はヤスモノ、なにもかもがハリボテ。
たったひとつ、ホンモノなのは芝居を作るあたしたちの情熱。
それだけだ。
死んでから行くところは、冷たいって聞くよ。
だからあの子は、あたしたちの熱気に引き寄せられて、ここに来るのかもしれないね。
わかってる。
ほめられたもんじゃないよ、情熱なんて。
舞台に立ちたい。
演じたい。
もっと強く。
もっと激しく。
もっと鮮やかに。
誰かの心を揺さぶりたい。
喝采を浴びたい。
誰よりも。
このどうしようもない欲望は、誰もが知ってるわけじゃない。
理解されない渇望のために、たくさんのことを犠牲にしてきた。
自分自身も。
まわりの人も。
なにもかもを傷つけながら。
ごめんね。あたし、あんたのことも犠牲にした。
堕胎をしろと迫られて、結局別れた男の、子供。
悩んで、悩んで、でもできなくて。
十月十日を一緒に過ごした。
あんたの死を、喪中ハガキで知ったのよ。
そんな母親どこにいる?
あれから5年も経つんだね。
まだ1歳にもならないあんたを、別れたはずの男の母親が連れて行ってしまったのは。
あんたはあんたのお婆ちゃんの家で幸せに暮らしていると思ってた。
あたしは。
いつか会いに行こうと。
いつでも会いに行けると。
けど、あたしがあんたを思い続けていたなんて、いまさら聞きたくないでしょう?
もうすぐ6歳の誕生日だったね。
あんた、庭の池に落ちたんだって?
遊んで足をすべらせて。
水は苦しかったろう。
水は冷たかったろう。
お婆ちゃんの家で幸せに暮らしていると思い込んでた。
ママを恨んでもいいよ。
ううん、お願い。ママを恨んで……。
曲が終わり、カーテンコール。
喝采のなか。
あたしには泣く資格がない。
中央扉の左端。
小さな男の子の幽霊が。
今はあの子でもある、幽霊がいる。
小さな幽霊のくちびるが動く。
「おめでとう。ママはしあわせ?」
しあわせ?
答えではなく。
あたしはあの子の名前を呼ぶ。
小さく、何度も、何度も呼ぶ。
だけど。
いつも。
舞台のうえで。
喝采はすべてを飲み込んでしまう。
あたしひとりを残したままで。
黒いカーネーション エモリモエ @emorimoe
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます