主観的なものの見方をする人

https://kakuyomu.jp/works/16818093075666037277/episodes/16818093077191851662

これは上にリンクのある記事「信用できない語り手」の補足記事です。


「信用できない語り手」と聞くと、みなさんは恐らくこのタイプを想像するでしょう。「視野の狭い人間」による現実世界と認識上の世界の乖離を描き出す作品。例えば「阿Q正伝」とか「日の名残」とかですね。


物事を正しく捉えられないが故に徐々に悲劇へと向かっていく。私もブルアカの小説を書いていたときにこのタイプの信用鳴らない語り手を使っていました。


「なき王女のためのパヴァーヌ」

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20174933


主人公である先生(ゲームでのプレーヤーに当たる)がナレーションを務めているのですが、彼は「生徒達から無条件に好かれていると思い込んでいる」、という裏設定を全編を通じて意識して書いていました。テキストには顕示していないのですが、これは主な読者層、つまりブルアカユーザーの先生方はその感覚を既に内面化しているだろうと考えた故の選択です。以前にも語った「アンチサクセス構成」を採用していることはまた別の枠で。


こちら。

https://kakuyomu.jp/works/16818093075666037277/episodes/16818093076453137511


先生である主人公は確かに「生徒達から好かれている」ものの、「無条件」ではない。そこの誤謬が最後の、全ての生徒から見放され、孤独に死ななくてはならない結末、そして先生も生徒を信用できなくなってしまうという悲劇。これは先生であり、プレーヤー・ユーザーである読者お前らの話なんだぞ。というメッセージを込めている作品なんですね。意訳すれば、お前らみたいなキモオタは死ね。みたいな。私はそういう小説を書いてきた。し、今もそういう小説を書いている。


具体例は上に上げたピクシブのリンクから読めますし、名前を挙げた文学史に残るレベルの名作を読んでももちろん勉強になると思います。そして、「信用ならない語り手」にはもう1種類あるんですね。そちらも別枠で解説していきます。

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