第6話

 ちょいと調べてくると言った駒吉は、七ツになっても現れなかった。


 銀次とおたかは、町屋のはずれにこんもり暗い陰をつくっている竹薮の中にいる。 

 まだ日は落ちていないものの、藪の中は夕暮れどきのような薄暗さだ。


 すぐに戻って来るから、ひとまずここで待っていてくれと、そう言って駒吉は姿を消したが、どこでどうしているのか。

 そのとき、背後で竹が揺れ、人の足音が近づいてきた。

 足音の数が多い。銀次は咄嗟におたかの腕を引っ張ったが、おたかがなんだい?と声をあげたと同時に、藪を分けて、見覚えのある顔が飛び出してきた。


「見つけたぜ」

 十手持ちの仁助だった。そしてその後ろには、仁助の子分らしき男に縄をかけられた駒吉が、大きな体を丸め俯いている。

「――駒吉、どうして」

 すまねえと呟いて、駒吉は唇を噛んだ。

 そんな駒吉を一瞥してから、仁助が言った。


「火事の前に、ずいぶんこの辺りを荒らしたスリで、川流れの藤ってやつがいてな。ケチな野郎だが、巧妙なやつで、なかなか足を掴むことができなかった。ところが仲間割れで居場所が知れてな、隠れ家へ行ったのよ。そうしたらな、駒吉がいたってわけだ。火事からこっち、藤たちの仕事には体の大きな男が加わって、追い詰めた御用を蹴散らしていたが、それが駒吉だったってことだ」

「そんな、そんなはずはねえ」

 言いながらも、銀次には、思い当たることがあった。おたかに見張りを頼んだ盗っ人を調べてみると言われたとき、何か妙だと思った。  

 そして何より妙だと思ったのは、魚屋のおしなに何かと世話を焼いているという話を聞いたときだ。いくら江戸で大工が引っ張り凧だといっても、まだ下働きの駒吉に、他人の親子の面倒をみてやれるほどの稼ぎがあるずがない。


 ふいに、おしなの話をしたときの駒吉の目が蘇った。


 そうだったのか。


 銀次は俯いた駒吉の、うなだれた肩を見た。

 駒吉はおしなのために、スリの仲間に入ったのだ。おしなにまともな暮らしをさせてやるために、自分をスリの手先に落としたのだ。

 御救い小屋で、銀次が声をかけたときの、駒吉の泣き笑いのような顔。

 駒吉は銀次が死んでいることを願っていたのではないか。


「おしなさんのところに」

 子分の後ろで、駒吉が顔をあげた。

「おめえに渡すものを預けてある」

「渡すもの?」

 駒吉は先を言おうとしたが、仁助に遮られた。

「駒吉はすっかり白状した。この娘がおたかであることも、あの火事の日、盗っ人に頼まれて見張りをしたってこともな」


 銀次は仁助に向きなおった。

「それなら、おたかが脅されて見張りをしただけだとわかったじゃねえか。投火をしたのはその盗っ人で、おたかはただ見ていただけだと」

「それがな」

 凄みのある目つきで、仁助はおたかを見た。

「盗っ人の名は、深川を根城にしている鴉の庄兵衛だと言ったな。だけどよ、そんな名前の盗っ人は、いねえんだ」


「いない?」


 銀次はおたかをゆっくりと振り返った。

「こういうものを持ってるとな」

 仁助は腰の十手を取り出して、おたかの前にかざしてみせた。

「江戸の盗っ人の名前はたいてい頭に入ってんだ。まして、阿部様のお屋敷に押し入ろうとするような輩だ。一人働きの盗っ人じゃねえはずだ。そんな男を、この俺が知らねえはずがない。勿論」

 仁助は十手の先で、おたかの顎を突いた。

「念のため、深川の目明しにも訊いてみたが、そんな盗っ人はいなかった。川流れの藤も知らなかったぜ。駒吉がそれを訊きに藤を訪ねたようだったが」


「じゃあ、おたかに見張りをさせたのは、どこのどいつなんだ?」

 銀次は叫んだが、仁助は耳を貸さなかった。

「たわごとはそれくらいにしときな」

 おたかの片腕を取って、腕を掴み上げた。咄嗟に、銀次はおたかの頭に腕を延ばした。


「待ってくれ。証拠の品があるんだ。おたかが見張りを引き受ける代わりに貰ったものが」

 痛いよと叫ぶおたかに構わず、銀次は髷の中に手を入れた。指先に触れた根付を引っ張って、仁助の前に差し出した。


「――これは」


 仁助の顔色が変わった。

「こいつあ、日本橋の伊勢屋の主から盗まれたもんじゃねえか」

 そして仁助は根付を顔の前のかざした。

「こいつを盗んだのは、江戸を荒らしている大掛かりな盗っ人連中だ。こんな小娘なんかに関われる仕事じゃねえ。この小娘の言うことが本当なら、盗っ人の一味は、阿部様のお屋敷に火をつけ、そのあと盗みに入ろうとしたんだろう。このところ、火つけをして盗みに入る輩が増えてきている。だが」

 仁助は遠くを見るような目をして、唇を嘗めた。

「なんでまた、そんな連中がこんな小娘に見張りを頼んだんだ?」

 そして仁助は、掌の上で根付を転がし、それから静かな目でおたかを見た。


「おめえ、なぜ、阿部様のお屋敷に奉公に出ていた? 阿部様といやあ、捨て子を集めて屋敷で面倒を見ていると評判のお方だ。――おめえ、拾われたか?」

 引き寄せたおたかの体が、ぴくんと震えた。

 仁助の目が、するどく光った。

「おめえに見張りを頼んだのは、鴉の庄兵衛と名乗ったそうだな。おめえの知り合いだったんじゃねえか?」

「鴉」

 おたかが呟いた。目をさまよわせて、そしてその目は、はっと大きく見開かれた。

「そういえば、捨て子仲間に、鴉と呼ばれていた子が」

 銀次はそう言ったおたかの肩を強く掴んだ。いままでおたかに感じていたものが何であったか、すっきりしたような気がした。

 火に焼け出されて獣のように暮らした村で、しぶとく生き抜いていたおたか。銀次にまとわりつき、離れなかったおたか。行くところも、帰るところも、探す者も、待っている者もなかったのだ。


「鴉の本当の名前は、たしか佐吉といった。でも、あたしに見張りを頼んできたのは、あの子じゃない。――知らない顔の男だった」

 そう言ったおたかを仁助は見据えたまま、ひょいと懐へ根付をしまいこんだ。

「その佐吉が盗っ人におめえのことを教えたにちげえねえ、おめえがまだ阿部様の屋敷にいることを知ってな。投げ火をした男は、鴉の庄兵衛という名を騙ったんだろうて。――ということはだ」

 仁助は低く、続けた。

「この娘が火をつけたと訴えてきたのは、おそらく、盗っ人の一味だろう。火をつけたところを見たのは、この娘だけだ。この娘が火つけの下手人として捕まってくれれば、証拠はなくなる。となると、だ」

 凄みのある目つきで、仁助は銀次を見た。


「もしこの娘が火つけの下手人として捕まらなかったなら、一味はこの娘を狙ってくるはずだ。本当の火つけをしたのは誰か、この娘は知ってるんだからな」

 御救い小屋で見た不気味な男のことが蘇り、もう寒さは和らいでいるというのに、急に辺りが冷えたように感じた。

 夕暮れが藪の中に下りて、風が吹くたびに、竹の間からちらちらと紅い夕焼けが覗く。

 

 銀次の後ろで、おたかが泣き出した。すると仁助が、

「心配するな、とっつかまえてやる」

 銀次は耳を疑った。おたかを見逃してくれるというのか?

 仁助が行くぜと、子分に顎をしゃくった。それを拍子に、子分がぐいと駒吉を引っ張った。駒吉の大きな体が瞬間よろけ、それからひきずられるように歩き出す。


 ふいに、仁助が振り返った。

「元は、湯島天神下の指物師といったな」

 子分はそのまま駒吉と前を急ぐ。

「その娘とどういう関わりか知らねえが、おめえは早く元の暮らしに戻ったほうがいいぜ」

 銀次は返事をしなかった。


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