第5話

「痛いじゃないか、そんなに強く握ると」

 

 おたかを引っ張り、通りからはずれて連なった店の裏側に回ると、人の行き来は急にさびしくなった。

 溝が掘られて水が流れてい、柳の木が枝を垂らしている。その柳の陰に駒吉は隠れるようにたたずみ、銀次とおたかもそれを習った。


 おたかは俯いて、唇を噛み締めている。銀次が足元の小石を蹴り飛ばしてから、声をあげた。

「さあ、言ってみろ。江戸で何をしていたんだ?」

 おたかは俯いたまま口を開こうとしない。

 今度は駒吉がおたかを見据えた。


「あの十手持ちは仁助といってな、神田あたりを歩き回っている博徒上がりの男だ。一旦狙った獲物は易々と逃さないって噂だぜ」

 おたかは怯えた目で二人を見上げ、

「――お屋敷に、奉公に出ていた」

と言うと、大きく息を吐いた。

「十手持ちの言ったことは、本当なんだな。阿部様のお屋敷か?」

 こくんと、おたかは頷く。

「阿部様のお屋敷と本妙寺は目と鼻の先だ。火をつけたってのは」

 おたかは慌てたように、首を振った。

「じゃあ、言ってみろ。おめえ、あの火事のときどこにいた?」

「――それは」

「言えねえのか?」

 火付けは大罪だ。本当だとしたら、大変なことになる。銀次の怒鳴り声に、おたかは泣き声になった。

「本妙寺の脇にいた。西側の塀のところに」

「やっぱり、おめえ」

「そうじゃない。火をつけたのは、あたしじゃない。あたしは見張りを頼まれただけなんだ」


「見張りだと?」

 銀次が怒鳴り返すと、駒吉が割って入った。


「まあまあ、銀次、そう怒鳴るな」

 そして駒吉は、おたかの肩に手を置いた。

「どういうことだ? もうちょっと、詳しく話してみな」


 駒吉の優しい声に、おたかは震えながら話しはじめた。

「あの火事の二、三日前だよ。庭で薪を集めていたら、知らない男がやって来たんだ。それで刃物で脅されて、盗みの見張りをするよう言われた」

 その盗っ人は、深川界隈を根城にしている鴉の庄兵衛と名乗ったという。どこにでもいそうな職人風のいでたちの、一度会っただけでは忘れてしまいそうな男だったという。


 御救い小屋でおたかを見つめていた、不気味な男のことが思い出された。おたかの言う風体に、あの男は当てはまる。


「あたしは屋敷を抜け出して、言われたように、本妙寺の西側の塀のところに行ったんだ。榎が陰をつくっているところがあって、そこで見張れと言われたから」 

 遠くを見るように、おたかは目を細めた。

「ひどく風が吹いて、嫌な日だった。それでもあの鴉の庄兵衛が恐ろしくって、あたしはやつが来るのを待ったんだ。そしたらやって来たのは庄兵衛だったけれど、あいつはお屋敷には入らなかった。代わりに、屋根に投火をしたんだ」

「本妙寺の屋根にだな」

「違う。お屋敷の屋根だよ」

 そしておたかは、激しく地団太を踏んだ。


「盗っ人が押し入ろうとしていたのは、阿部様のお屋敷さ。盗っ人は阿部様のお屋敷に火を放ったんだ」

 思わず銀次は駒吉と顔を見合わせた。


「――ということは、火元は、阿部様のお屋敷か?」

 銀次はまわりをうかがってから、呟いた。

 巷の噂では、今度の火事の火元は、本妙寺だと言われている。振袖火事などと、もっともらしい名前までついて、人々はそれを信じきっている。


「匕首を首筋に突きつけられて脅されたんだ。怖くって、もう、怖くって」

 おたかは、激しく肩を上下させた。

「嘘じゃない。これが証拠だ。見張りを引き受ける代わりにと、その男がくれたんだ」

 おたかはそう言って、髷の間から根付を取り出してみせた。

「これは、ずいぶん、値の張りそうな」

 駒吉がおたかの掌の根付を食い入るように眺めた。

「盗みに入るだけかと思ったんだ。そしたら、鴉の庄兵衛が火を投げて。あっという間に火は風に煽られて広がって」


 火事の模様を耳にするたび、おたかの様子が変になったのは、そのときの恐怖が蘇ってきたからだろう。

 おたかは、江戸中を焼いた火元が、何にあるかを知っていたのだ。


「信じてくれよ、嘘じゃないよぉ」

「――わかった。わかったから、もう泣くな」

 そうは言ったものの、おたかの言葉を、あの十手持ちが信じるとは思えなかった。 

 証拠の根付があるといっても、おたかが盗んだと言われてしまえばそれで終わりだろう。


「深川の鴉の庄兵衛か」

 駒吉が柳の枝を千切って、丸めた。

「ちょいと、調べてみよう」

 そう言った駒吉の横顔を、銀次はふと見つめた。

 大工の下働きの駒吉に、盗っ人を探るどんな手立てがあるというのか?


 九つの鐘が響いてきた。駒吉に枝を折られた柳が揺れて、鐘の音が昼時の緩んだような空を流れていった。


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