第32話 ヒスイの森 ②

「んんーっ、美味しい!」


私たちは大きな木の下で、柔らかな草の上に座り、昼食のお弁当にランドルフ家の料理長が作ってくれたサンドイッチを食べていた。

目の前の碧い泉が、キラキラと陽の光を反射してとても綺麗だ。


「あんたって、ホントうまそうに食べるのな」

立てた片膝の上に肘をつき、長い指に乗せた顔を傾けて、こちらを見るレイが、ふわりと微笑んで言った。

銀の髪が陽光を受けて柔らかく輝き、前髪がさらさらと額にかかる。

ほんと絵になる男ね。これが無意識なんだから、罪作りだわぁ。


「え、だって、ほんとに美味しいんだもん」

「料理長が聞いたら、泣いて喜ぶだろうな」

「こんなに美味しいんだから、レイももっとうちで食べればいいのに。夜もあまり一緒に食べないでしょ?」

「ああ。夜は城で騎士団の奴らと食べることが多くて。やっぱ、若い奴らの話しも聞いたり交流も必要だろ?」

若い奴らって……、レイもまだ19歳じゃない。あなたも年下のほうでは?

そんなふうに言う彼に思わず笑ってしまう。


「ふふふ……あ、でも。朝はちゃんと食べたほうがいいよ?」

「朝はニガテなんだよなぁ」

「朝ごはん食べないとパワー出ないよ?レイの大きな身体を動かそうと思ったら、ちゃんとごはんをしっかり食べて、身体の隅々まで燃料がいくようにしてあげなきゃ」

「燃料って……」

「車もガソリン切れたら走れないように、肝心なときに力が出ないよ?」

「車?ガソリン?」

「あ、車ってね、私たちの世界の乗り物。こっちでいう馬車の代わり。車はガソリンていう燃料で動いてるの」

「あれか!このまえ、あんたの世界に行ったときに見たやつ。車っていうのか、一度乗ってみたいと思ったんだ」

レイが目をキラキラさせて、良い反応をしている。やっぱり男子だなぁ~なんて思う。


「じゃあ、レイが私達の世界に来たときは、私が案内してあげるね」

「やった、約束な」

って、レイが自然な感じでいうもんだから、私達の関係もこのまま続いていくのかなって勘違いしそうになるじゃない。


聖女様の代わりに来てしまった私が、元の自分がいるべき世界に戻って、正当な聖女様がこの世界にやって来たら……

きっと、私達はもう会うことはないのだろう。

そう思うと、なんか寂しい……


ズキン……

なぜか胸の奥がキュウってなる。


そんな私の気持ちを彼は知ってか知らないでか、彼は少しふてくされたような顔をして言う。

「てか、その馬車みたいな車と俺の身体を一緒にするなよ」

「あはは。ごめん」

笑って言うと、彼もにっこり笑った。

ズルいなぁ~、可愛い。


「わかった。朝食は努力してみるよ」

私は寂しいと思った気持ちをかき消すように、無理に意識して「よかった」と笑顔で答えた。


「とりあえず、今夜は一緒に食べよう」

彼がにっこりと笑って言った。

夜まで彼と一緒にいられるんだ。

そう思うと嬉しくて、心がふわふわと軽くなる。

今日は朝から夜まで長い時間、一緒に過ごせることが嬉しいって思ってる。


彼の一言に一喜一憂してしまう。

この自分の気持ちを見ないフリするのは、もう難しいのかもしれないって、そう思った。

私は、きっとこの気持ちをなんて呼べばいいのか知っている。 


そのあと彼は、少し周囲を調べると言って、すぐ側の木立へと立った。

私はせっかくなので、綺麗な泉周辺を散策することにした。

陽の光を受けてキラキラと輝く水面と、緑のコントラストがほんとに綺麗。


私がほとりを歩いていると、近くの木立から、なんの前触れもなく、いきなりポーンとドッジボールくらいの大きさのボールが飛び出してきた。


え?

いきなりボール!?


驚いてるうちにボールはポンと跳ねて、コロコロと転がって泉に向かっていく。

ボールに続いてすぐに小さな男の子が、木立から飛び出してきた。ふわふわ金髪に白いブラウスを着て、見た感じ貴族の子どものようだ。


こんなところに子ども?近くに家があるのかな。

驚く私に気づかないまま、その子はボールを追いかけて走るけれど、ボールはコロコロと転がり続けて無常にも泉の中へポチャンっと落ちた。


「あ……」

私も思わず声が漏れる。

男の子は泉から30センチほど離れた縁に立ち、どうしたらよいのか考えてる様子で水に浮かぶボールを見つめている。

ボールは幸い岸から離れてはいなくて、あれなら何か木の棒か何かあれば取ることができそうだ。


「大丈夫だよ、今、取ってあげる」

私が声を掛けると、男の子は初めて私に気づいたのか驚いた様子を見せた。

慌てて走り去ろうとして、あっ……と水面に浮かぶボールに目を向ける。

「私がボール取ってあげるよ。ちょっと待ってね」

私はキョロキョロあたりを見回し、ちょうど脇のくさむらにちょうど良さげな木の枝を見つけた。


「ほら!これでどう?」

男の子は金色のをして色白で、表情があまりわからないけど、やたら綺麗な顔の男の子だった。

私は木の棒を手に泉の縁へ近づくと、しゃがんで草の上から滑り落ちないように、木の棒でボールを手繰たぐり寄せる。

ゆらゆらとボールがこちらへやってくるのを、私は気を付けて取り上げた。


しゃがんだまま後ろを振り向くと、そばで見ていた男の子に、ハイってボールを渡してあげる。

男の子はすぐに両手を出しボールを受け取った。


「お姉さん、ありがとう」

彼の声は鈴の音のような小さくて綺麗な声だった。そして、出てきた木立のほうへと駆けていき姿を消した。

少し勇気を出して、人が困ってるのをちょっとでも手助けが出来たと思ったら、なんだか嬉しい……

ほくほくしたあったかい気持ちで、よいしょって立ち上がる。でも、私は立ち上がることが出来なかった。


ふわっとした草の上でしゃがんだまま私はバランスを崩し、そのまま後ろに尻もちをついてしまったのだ。

あっ!……ヤバい!!

お尻のすぐ傍に水面が見える。

ヒヤッとした次の瞬間、

「遊びましょうよ」と、女の人の声が聞こえたような気がした。そして、私の身体は後ろにぐいっと見えない力に引っ張られたのだ。

日頃のインドア生活のせいで腹筋が乏しい私は、後ろへひっくり返ろうとする自分の身体を支えきれず、そのまま泉の中にボチャンと音を立てて、転げ落ちてしまった。ああ…情けない。


ゴボっと耳を覆う水の音。

私は、泉に落ちたんだ……そんなことを思いながらも、伸ばした自分の手の先にある水面の、その向こうにキラキラと揺らめく陽の光が見えて、ああ、こうして沈んでいくんだ……なんてぼんやり考えてしまった。


遠のいてく水面上の光にハッとして、このままじゃ溺れる!って慌てて思う。

ええと、手と足を動かさなきゃ!

でも……、どうやって!?私は、足の届かないところで泳いだことがない。

焦って、手と足をめちゃくちゃに動かしてもがく。


いやだ……、怖い。

死にたくない……


そう思うのに水面にたどり着けない。

泣き叫びたい気持ちでいっぱいになる。


いやだっ!!


そのとき、大きな影が水面の向こうの光を遮り、水の中へ飛び込んでくるのが見えた。レイだった。

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聖女様と間違って召喚された腐女子ですが、申し訳ないので仕事します! 夕浪 碧桜 @mozu4648

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