第7話 ほのかな温もり
夜明け前――。
ここは最果ての村、アイシーローグ。人口三百人にも満たない小さな村だ。木造の家屋が軒を連ねていて、季節は夏だというのに、屋根には残雪が残っている。
あれから、それぞれの戦いを終えた俺とレイチェルは、アイシーローグの診療所の手前で合流した。みーあんがまるで俺たちに知らせるように雄叫びを上げていて、二人ともそれを聞いて、駆けつけたのだった。
レイチェルは見るも痛々しいほどに全身傷だらけだった。トレードマークのポニーテールもなくなっていて、肩につくぐらいのセミロングになっていた。レイチェルは「似合うでしょ、これ?」と言って微笑したが、その瞳には涙が滲んでいた。
ナースによると、気絶したシェリルをみーあんが口にくわえて村の入り口まで運んできたらしい。村人から報告を受けて、シェリルを保護したとのこと。
レイチェルもまた応急措置を受けることになり、日付が変わる頃、シェリルは目を覚ました。そして、申し訳なさそうに言った。「どうして、《オグマ》の私を助けてくれたんですか?」と。確かに、シェリルが着用しているギャンベゾンに施されたエンブレムを見れば、《オグマ》の戦闘員であることは一目瞭然だ。シェリルの問いかけに対し、治療に当たっていたドクターは言った。「命は、命だ」と。
そして今、俺たちは外に出て、空を仰いでいる。
まだ夜は明けていないというのに、空は淡い桜色に染まっていた。覇気が充満している証だ。ただ、範囲はここ限定だ。それはまさしく、小さなメグ=メルと言えるだろう。
村人たちの姿がちらほらと見られるが、誰も騒ぎ出す様子はない。この空を見ることができるのは俺たちだけなのだろう。そう、術によって、運気を可視化できる人だけが、この幸せに満ちた空を仰ぐことができる。
「あのさ、教官。あたし、思うの」
空を見上げたまま、レイチェルは言う。
「とにかくがむしゃらに瘴気を断っていけば、いつかメグ=メルに辿り着ける。今までのあたしはそう信じて疑わなかった。だけど、今なら分かる。それだけじゃだめなんだって」
レイチェルは視線を俺に向けた。
「あたしたちに欠けていたのは、”融和”という視点じゃないかな?」
「……融和」
はっとする。それは決して、俺には導き出せなかった答えだった。
「だから思うの。もし世界中の人たちが本当の意味で一つになれたとき、メグ=メルを連れてくることができるんじゃないかなって」
そう言うとレイチェルは目を細め、自身の左胸に両手を置いてみせた。
「そうですね。私もそう思います。ですが、そのためにはどうしたらいいのか、今の私には分かりません。ですからと言ってはなんですが、しばらくの間、二人の旅に同行させてもらっていいですか?」
「もちろんよ」
レイチェルは頷く。
「教官も、いいよね?」
「ああ、俺としても異存はないさ」
俺もこの旅を通じて、いろいろと気づかされることがあった。俺はこれまで《オグマ》の関係者とは一生涯、相容れることはないだろうと思っていた。だけどシェリルはミルルを守るために共に戦ってくれた。思想は違えど、心を共にすることはできるんだ。
「……ところで、教官はずっと前から、ミルルがハーデスだってことに気づいていたんだよね?」
「まあ、な」
「じゃあどうして、あたしをここまで導いてくれたの?」
「……へ?」
思いもよらない質問に、つい素っ頓狂な声を漏らしてしまう俺。
「だって、教官にしてみれば、放っとけば勝手にアリアンロッドの討伐隊が勝手にやっつけてくれたんだから、何もメリットないじゃん?」
俺は深く嘆息する。
「あのなぁ、今更そんなこと言うなよ……。いいか、シェリル? 朴念仁とは、こういうやつのことを言うんだ」
あのとき俺が言われた言葉をそっくりそのまま返してやった。
シェリルはくすくすと笑う。
「そうですね。ちょっとばかり野暮ですね、レイチェルは」
「な、何よっ、二人して馬鹿にして! もしかして意趣返しのつもり、それ!?」
憤るレイチェルの頭に、手を置き、ぽんぽんとしてやる。
「むにゅぅぅぅ……」
頬を赤めるレイチェル。
「宿題だ。俺の心情について七日以内にレポートにまとめて提出しろ」
そう言って、俺が手を離すと、
「む……」
レイチェルは唇を尖らせた。
「ただな、一つだけ言うとすれば――」
俺は空を仰いだ。
「今度ばかりは、自分の心に忠実でありたかったんだ」
夜が明け、辺りが活気づき始める。
ぐしゃぐしゃになった花畑の復旧は、俺が生かすことに成功した騎士たちが総出で行っている。特に誰が指示したわけでもなく、自らの意志でだ。
「じゃあ、手伝いにいきますか」
「そうね、ただ見ているだけというのもなんだし」
あっさりと言ってのける二人。
「おいおい、もう大丈夫なのかよ」
俺にしてみれば、二人ともまだまだ満身創痍だ。七日間は診療所で世話になることを覚悟して、どうやって日銭と診察代を稼ぐか頭を悩ませていたほどなのに。
「別に大丈夫よ、これぐらい?」
「そうですよ。私たちを見くびりすぎじゃないですか?」
不服とばかりに二人は言う。この二人を説得するのは、俺には無理だろう。しゃあない。共に行くか。
新たな旅の始まり――。
最初の一歩を踏み出したときだった。
覇気に溢れた空から、目の前に、一筋の光芒が差し込んだ。
その中心にいたのは……。
『みんな、頑張ってね。わたしが、ずっと見守っているから』
ミルルだ。
ミルルが、俺たちに微笑みかけている。
「……そっか。あのとき、ミルフィは世界と契約して、”覇気”と同化したんだね」
やがて一陣の風が吹き、ミルルの姿は空に吸い込まれるように消えた。
風が去ったあと、胸に残ったものは、まるで祝福のような、ほのかな温もりだった。
(終)
最強騎士が導く最弱少女の成り上がり譚 @ikaarashi
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