第15話 あなたはそんな人ではなかったはずだ

「先生ってバスケ好きなんですよね?」


 春喜は教室の壁の上の方に設置されている時計を確認してから改めて話を切り出した。午後三時四十五分。放課からそれなりに時間は経っているが学校に残っていて怒られる時間にはまだ遠い。幸い加奈の保護者が迎えに来たという呼び出しもまだない。


「好きだよ」


 桜は笑顔を消して、大事な連絡をするときのように真剣な表情で答える。以前もそうだった、と春喜は思い出す。バスケの話題を出すと、深入りしないで欲しいような話したくないようなオーラを発し、何かを警戒しているように見える。


 その警戒を解きほぐそうと慎重に言葉を選ぶ。


「体育でやったり、昼休みに遊んだり、龍のプレーを見たりして俺も好きになったんです」


「うん」


「先生と一緒にできるのも楽しくて」


「うん」


「龍から誘われたんです。『一緒にバスケやらないか』って」


「……うん」


「でも父さんにバスケがやりたいって言ったら一蹴されちゃいました」


「……そっか」


「理由は教えてくれなかったんです。確か先生、龍に桜高校のバスケ部を見学してみないかって声をかけたんですよね? 父さんにも相談して、父さんがバスケ部の人に言って実現させたって言ってました」


「え? ……う、うん、そう。龍君、元気出るかなって思って」


「そんなことをするくらいだから、父さんは決してバスケが嫌いなわけではないと思うんです。だからなおさら反対される理由が分からなくて」


「えっと、お金のこととかじゃないかな? スポーツを始めるとどうしても結構なお金がかかっちゃうし」


「バスケ以外のスポーツならいいって言うんです。バスケよりお金がかかりそうな野球を瑛太と一緒にやったらどうだとも言うし。母さんは理由を知ってるみたいなんですけど教えてくれないんです。いつか教えるからって」


「いつか教える……お母さん、そう言ったの?」


「はい」


「なら、そのいつかが来るまで待てばいいと思うよ」


 私も理由は分からないけど、一緒に考えよっか? 


 最後にはそう言ってくれると思っていた。春喜の知っている桜なら春喜の気持ちを無視してこんなことを言うはずがない。


 父親と桜は恩師と教え子という関係。今も連絡を取るくらいに繋がりがある。そこから考えられる可能性は一つ。桜も両親が春喜がバスケをすることに反対する理由を知っている。


「春喜君はこれからたくさん勉強して、たくさん運動して、大きくなって、彼女を作ったり、友達と何かを成し遂げたり、そういう経験をたくさんして成長するの。春喜君ならきっと色んな人を助けたり、感謝されるようなことをたくさんできると思う。そうやって大人になるの」


「それが、母さんが言う、いつか……?」


「そう」


「分からないです。先生は知ってるんですよね? どうしても教えてもらえないんですか?」


「春喜君……」


 桜が春喜をまっすぐに見つめる。険しい表情と揺らぐ瞳はこれが桜にとってもつらいことなのだということを物語っている。


「ごめんね。今は大人の言うことを聞いて欲しい」


 普段の桜ならこんな言い方は絶対にしない。何故それをやって欲しいのか、何故やっては駄目なのか、桜はいつもきちんと説明して納得させてくれていた。それをやらないほど、絶対に話したくないという強い意志を持って放たれた言葉だと理解できてしまった。


『桜先生、保護者の方がお見えです。職員室にお戻りください。繰り返します――』


 教室に取り付けられたスピーカーから無機質な教頭の声が響き渡る。加奈の保護者が迎えに来たようだ。つまりタイムオーバー。今日はこれ以上桜と話すことはできない。


「ごめんね、行かなきゃ」


「……はい」


「気をつけて帰ってね。また、いつでも相談してくれたら嬉しい」


 煮え切らない思いを抱えたまま春喜は頷く。答えることを拒絶する桜に抵抗する術も意志も持ち合わせていなかった。


「ごめんね」


 そう言いながら教室を出て行く桜の背中をただ見送った。


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春の喜びを詩(うた)にして 高鍋渡 @takanabew

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