02 依頼:ディルバル・シノート王子を護送せよ
全長百メートルといった所だろうか。
それは龍、あるいは蝙蝠に似ていた。
螺旋状に捻じれた一対の翼。先端に鉤爪。
尻尾は剣のように鋭く長く、同じく長い首の先には球状の頭部。頭部はガラス玉のように透けており、内部には巨大な目玉が一つ。この異形こそ、全銀河の知的生命体を脅かす怪物の一種。メルオーン型と名付けられた異形であった。
真空の宇宙を生身で活動し、平均的な宇宙艇を上回る移動速度を持ち、高い戦闘力をも備える災厄じみた存在。
そのメルオーン型と相対し、数隻の宇宙艦が戦闘を行っていた。
宇宙艦の数は四。艦隊と呼ぶには余りにささやかな数。うち三隻が前に出、奥の一隻を守るように射撃を行っている。
照準は正確。全ての艦艇の三連装ビーム砲が雨霰と降り注ぐ。
だが効かない。
同型の艦艇であれば穴を穿つ程の熱量を、メルオーン型の表皮は容易く弾いてしまう。恐るべき生体装甲である。
対するメルオーン型は、悠々と、異形の目で迫る三隻を順に見やる。眼球内へ灯る光。エネルギーを充填しているのだ。
それが射出される。一直線に飛ぶメルオーン型の光は、左側の艦艇を易々と貫いた。生体プラズマ・ビームである。
止まる艦砲射撃。一拍置いて炸裂する船体。一撃で撃沈したのだ。
残る二隻が今まで以上の弾幕を展開するが、メルオーン型はあざ笑うかのように、眼球内に光を溜めながら前進。右側の一隻へ光を放つ。爆沈。その頃には正面の一隻に肉薄している。
船体中央に聳える艦橋。そこ目掛けて突撃しながら、メルオーン型は一回転。長大な刃状の尾部を叩きつける。
尾部は攻性エネルギーフィールドを纏っており、斬撃範囲は見かけ以上に広く強烈。故にそれの直撃を受けた艦艇は、真っ二つに両断された。
「こ、んな」
最奥の四隻目、そのブリッジで一部始終を見ていた青年ディルバル・シノートは、愕然とするしかなかった。
前衛三隻は自動制御だったため、人的被害は無い。だが武装もまた全て前衛の三隻が担当していたのだ。これでは最早、ディルバルの乗る四隻目の撃沈も時間の問題ではないか。
「このままでは僕達は……僕は……! リーフェア姫……!」
「まだです王子! 最後の手があります!」
ディルバルの隣、艦長がそういった。
「それは何です!?」
「今斬られた船の通信と、ジェネレーターがまだ生きています! 今すぐ艦に自爆コマンドを送れば、あるいは」
轟音。
振動。
激烈な衝撃が艦長の言葉を遮った。
メルオーン型の放った生体プラズマ・ビームが、四隻目に着弾したのである。
慌ただしく状況を確認する艦長や乗組員達。
彼らに負けぬよう、ディルバルは声を張り上げた。
「先程のコマンドを実行して下さい! 僕が責任を取ります! 王家所有の船だろうと遠慮はいりません!」
「了解! それとバリアの出力をもっと上げろ!」
「現状で最大です! これ以上はジェネレーターが持ちません!」
「今撃沈されたら何もかも終わりだ! やれ!」
艦長は部下に命じ、先程のコマンドを実行させる。二発目の生体プラズマ・ビームが艦を揺るがしたのは、それとほぼ同時だった。
先程よりも激烈な振動と轟音。ディルバルは叫んだが、己の耳にすらその声は届かない。
赤く点滅する照明。火花を散らすコンソール群。絶体絶命の窮地の最中、艦橋に居る全員がメインモニタの望遠映像から目を離せない。
そこには両断した残骸を背に、三発目の生体プラズマ・ビームの充填を終えるメルオーン型の姿があり。
それが放たれる直前、両断艦の自爆コマンドが実行される。残骸は瞬時に巨大な火球と化し、メルオーン型を飲み込んだ。
ビームを遥かに超える熱量に焼かれ、さしもの生体装甲も限界を迎える。蒸発していくメルオーン型は、しかし最後の足掻きとばかりに最大充填の生体プラズマ・ビームを放った。
直撃。
バリアの出力強化もあり、ビームそのものは半分ほどまで減衰できた。だが残りの半分が、艦の腹に穴を開けた。
一際巨大な爆発と振動。
赤色の非常灯すら消えてしまい、そして。
「うあッ」
ディルバルは、目を覚ました。
真正面、圧縮空気を排出しながら、半透明のカバーが開いていく。医療用ポッドから解放されたのだと遅れて気付く。
身体を起こす。辺りを見回す。
モニタ越しに暴威を見せるメルオーン型。破壊に翻弄される艦橋。生死を共にしたクルー達。それら全てが見当たらない。
ここにあるのはディルバルが入っていた物を加えた医療ポッド三つと、天井の照明のみ。宇宙戦艦特有の、何の変哲もない、狭く金属剥き出しの部屋である。
「こ、こは」
朦朧とする頭を振りながら、ディルバルは思い出す。なぜこんな状況になっているのか。
「そうだ、僕は……僕達は、勝った。辛うじて」
あの時、メルオーン型を倒す事にはどうにか成功した。だが勝利の代償は大きく、重軽傷者が多数。ディルバルも傷を負った。だが何より深刻なのが、ジェネレーターが損傷した事であった。強制停止により暴走爆発は阻止したが、艦は航行能力を失ってしまった。生命維持システムもいつまで持つか分からぬ。
それでも一縷の望みを託し、艦は救難信号を放ったのだ。サブジェネレーターの出力をかき集め、可能な限りの広範囲に。
クルー達の命を救うため。何よりリーフェア姫にもう一度会うために。
なんと儚い望みだろうか。母星どころか、二重環惑星連合の領域までどれ程の距離があると思っているのか。サブジェネレーターを使った通信では、光の速度の十倍がせいぜい。最寄りの星に届いたとして、たっぷり数十年はかかってしまう。
辛うじて二光年程の距離に知的生命体の住む地球とか言う星があるが、文明レベルは余りに低い。この超光速通信に気付く科学力さえあるまい。そもそもこの手の文明がある宙域はシーリングが施されているものだ。
それでも誰かが、例えばたまたまこの近郊宙域へ調査に来ていた誰かが気づいてくれるような、そんな奇跡を期待しながら。
ディルバル達は、緊急用コールドスリープ装置に入った。
次に目覚めるのは、果たしていつか。
一年後?
十年後?
それとも――永遠に目覚める事の無い、アイスマンになってしまうのか。仮に目覚めたとしてカティクタ星は、リーフェア姫はどうなっている?
極限の不安の中、ディルバルは眠った。眠るしかなかった。
「こんにちはー! シロガネ・カンパニーでーす! 救援信号を受信してやって参りましたー!!」
だが果たして、目覚めはやって来た。
しかも解凍が行われたのは、メルオーン型との戦闘から僅か一か月後の事だった。
それらを思い出しながら、ディルバルは側頭部を小突く。
「シロガネ・カンパニー、でしたか」
互いの状況のすり合わせ、依頼と受諾。それらは手早く行われた、筈だ。だが不安がある。
重傷者多数のため、ディルバル以外の者は艦から離れられなかった事もある。コールドスリープ明けの体力回復のため、今までこうして医療用ポッドで寝ているしかなかった事もある。
だが、それ以上に。
真鎧装とは言え、本当に一機だけの力で、『空』を超える事など出来るのか。
改めてそれを確認すべく、ディルバルは医療室を出た。次いで艦内ワープゲートを潜り、会議室へ入った。
室内には先客がいた。正確には部屋の主だ。彼の船内私室を仮の会議室として使っているのである。いかにも立ち上げたばかりの企業らしかった。
「あ、どうも、ええと……ディルバル王子さん、で良いんでしたっけ」
黒い目に黒い髪。白いTシャツに青いチノパン。ラフな格好をした部屋の主、遊馬鉄郎は座ったまま頭を下げた。ディルバルも倣う。それから部屋を見回す。
六畳一間、という間取りらしい。床には畳なるものが敷かれ、部屋中央には丸いテーブル。他にも妙な形状のテレビや冷蔵庫などが壁際にある。何でも彼が地球に居た頃、暮らしていた場所を忠実に再現したのだとか。
そんな彼が、遊馬鉄郎がどうしてシロガネを制御するようになったのか。
平素であれば気に留めた疑問を、しかし口にする余裕が今のディルバルには無かった。
◆ ◆ ◆
「どうぞ、粗茶ですが」
言いつつ、鉄郎は部屋へ入って来た異星人へ湯飲みを差し出した。
心、ここにあらず。
不安がありありと透けている表情。
意外とそう言う感じが分かっちゃうんだなあ。
そんな妙な感慨を、鉄郎は覚えた。
「……ああ、これはご丁寧に」
ディルバルの外観は、一言で言うならオレンジ色のペンギンだ。しかも大きい。身長百五十センチくらいはあるだろうか。目がくりくりしている。その上宇宙服まで着込んでいる。何と言うかダルマのようなシルエットだ。
そんな異星人と共に、鉄郎は今、六畳一間でちゃぶ台を挟んで座っている。
少し前までだったらうろたえまくってただろうなあ、と鉄郎は思う。今はそれ程でもない。慣れとは恐ろしいものである。
「本当に、間に合うのでしょうか」
右ヒレで湯飲みを持ちつつ、ディルバルは呟いた。
「その辺は、コッチの性能とアイツの計算を信用してもらうしかないかな」
「大丈夫大丈夫! 絶対に間に合いますよ!」
その時、がらりと。
鉄郎の背後の襖を開けて、彼女は姿を現した。
「荒事は護送でも討伐でも! 輸送ならレアメタル小惑星からネジ一本まで! 迅速、正確、何より強力! いずれ宇宙に名を知られるでしょうシロガネ・カンパニーのお客様第一号となられた事、良い思い出になる事請け合いですよ!」
白い肌、はつらつとした笑顔。髪は眩しい銀色で、瞳は赤く、深紫を基調とした宇宙服を着ている。
そう、こちらもまた宇宙服だ。しかも地球のそれとはまるで違い、ダイバースーツのようにボディラインが見えるデザイン。ディルバルとは違った方向でこの六畳一間和室にはそぐわない彼女の名を、鉄郎は呼んだ。
「相変わらず無暗に前向きだな、ティオ」
「それが私の良い所だからね!」
「自分で言っちゃうのかい」
「……ティオ?」
首を傾げ、ディルバルはティオをまじまじと見た。
ティオは鉄郎の左側に座り、首を傾げた。
「はい、ティオですよ」
「ひょっとして、タームン・ティオさんでは?」
「おや」
一瞬。
ティオの表情が凍った。
「ご存知でしたか! 流石はカティクタ星の王子様ですね! ご見識が広い!」
だがすぐさま笑顔に戻る。
ディルバルは、何かを察した。
「成程。土壇場に居るのはあなたも、という事ですか」
「正直に言えば、そうです。ですが、殿下の護送は確実に成し遂げます」
「主に働くのは俺なんだけどな」
「そこは信用してるって事で一つ」
「調子の良い事で」
「それも私の良い所だからね」
一つ息をついた後、鉄郎はコメカミを小突く。
「まあーいいや、改めて確認しよう。シロガネ・カンパニーの初仕事。それはこちらにおわすご要人、ディルバル・シノート殿下を、指定時間まで故郷の星に送り届ける事だ」
「そうだね。現在カティクタ星では、星を上げた結婚式が執り行われようとしている。リーフェア姫とビゴッセ将軍の、ね」
「ああッ……! 姫! リーフェア姫よ!」
だん、と湯飲みをちゃぶ台に叩きつけるディルバル。ヒレと卓上に零れるお茶。宇宙服越しなので熱さはまったく感じないが、それでも我に返った。
「す、すみません、とんだ粗相を」
「お茶も気にならないレベル、って事ですか。熱いですなあ」
どこからか取り出した布巾で手早く卓上を拭く鉄郎。ティオは新しいお茶を注ぎながら続ける。
「殿下と姫の睦まじさは、私も小耳に挟んだ事があります。幼い頃からの許嫁同士なのですよね」
「へえ。幼馴染ってヤツか」
「そう、なるんでしょうか。国境を隔てた距離があるのですけどね」
「そいつは、思ったより気軽に行ったり来たり出来ない感じか」
「そうです。ですが……だからこそ、僕達の愛は本物なんだ……ッ! なのに!」
ヒレを震わせるディルバル。ティオはそっと湯飲みを差し出す。
「外遊からの帰途途上、ディルバル殿下を乗せた艦隊が空魔獣に遭遇。艦隊は壊滅、通信は途絶し、生存は絶望的。必死の捜索が行われるも、見つかったのは王子の死を裏付けるものばかり。二重環惑星連合のネット上には、そのような情報しかありませんでした」
「カティクタ星の捜索隊は、中々優秀なメンツが揃ってるみたいだな」
「ビゴッセ将軍の息がかかった者達でしょう。僕を排除し、議会を乗っ取り、リーフェア姫を……姫ぇぇ……!」
「まあ落ち着いて、ってのは酷な話か。大事なお相手なのは門外漢の俺でもよーく分かったし。ところでティオ」
「なに?」
「挙式の日はいつなんだ?」
「今日だよ」
「オイオイ、また急だな」
「そうでもありません。僕が行方不明になった事自体は、一ヶ月前から分かっていたのですから」
茶をすするディルバル。目の焦点が微妙に合っていない。
「なら、制限時間はあとどれくらいなんだ? 五時間か? 三時間か?」
「いやあそれが……」
宇宙服の手首部、多目的デバイスを操作するティオ。ホロモニタが投影され、じりじり減り続ける数字が表示される。
「あと十五分くらいなんだよね」
「うああ」
うなだれるディルバル。体が一回りしぼんだ。
「そ、そんな短時間で『空』を超えられる筈がない……やっぱり無謀だったんだ」
「大丈夫、大丈夫ですって! それを成し遂げるのが我が社の売りですから!」
その無茶ぶりのしわ寄せを処理するのは俺なんだがなあ。
喉元まで出かけた呟きを、鉄郎はすんでの所で飲み込んだ。これ以上ディルバルの心に負担をかけてはいけない。
「ま、実際難儀なもんだよな。『空』ってヤツは」
『空』
宇宙に活動圏を持つ文明にとって、それは二つのものを意味する。
一つは我々も良く知っている、地表から見上げた頭上に広がる空間。時間経過や大気成分により、様々に表情を変える自然現象。
もう一つは、上記のそれと似ても似つかぬもの。銀河系に数多存在するどんな文明よりも、なお古くから存在する障壁。この銀河系を三分割し、宇宙開発を妨げる巨大な障害物。
それが、『空』だ。
「宇宙へ進出する上で、最初の障害になったもの。二重環惑星連合とデルタ星雲統一知性群は、その名前を改めて拝借したワケね」
「で、その『空』の所に只今到着したワケだ」
鉄郎はちゃぶ台上のリモコンを手に取り、テレビをつける。
映り出したのはテレビ番組、ではない。外の風景だ。船外カメラと繋がっているのだ。
画面いっぱいに広がるのは、どこまでも広がる星々の群れ。そしてそれらを透かしている、奇妙な揺らぎであった。
透き通るくらいに薄い、やや青みがかった緑色の揺らぎ。
煙のような、オーロラのようなそれは緩やかに色を変えながら、宇宙空間を上下左右、どこまでも広がり続けている。
これが、『空』だ。
「こうして肉眼で見てるだけだと、宇宙にそそり立つまっすぐな壁にしか見えないが」
外部カメラと連動した視界で、鉄郎は『空』を見回す。
「実際にはこの壁は、銀河系の大体真ん中くらいを、ぐるっと球状に囲んで往来を邪魔してるエネルギー障壁な訳だ」
「場所にもよるけど、平均の厚さは恐らく五センチ未満。恐らくというのは、この障壁に接触した電子機器は、どんな処置をしていようと絶対に壊れるから」
ちゃぶ台の上で、ティオは指を組む。
「同様に、生物は死ぬ。理由は分からない。遠い過去から宇宙の開拓を阻む、巨大な壁。それが『空』。先銀河文明が残したものの中で、最も有名で厄介な代物」
「で、その『空』の向こうにある星に、ディルバル王子を送り届けるのが最初の仕事って訳だ」
立ち上がり、鉄郎は背後の襖に手をかける。
「確かに正規のルートで行ったら、とても間に合う距離じゃあない」
引き開ける。廊下の向こうにあるのは、柱のように立ち上る青色の光。機内の特定位置を繋ぐワープゲートだ。
「だが俺達なら、シロガネなら、行ける」
「手早くね。センサーでは出現の兆候は無いけど、こんなのは太陽風予報みたいなものだし」
手を振り、鉄郎はゲートを潜る。
辿り着いたのは、巨大な鋼鉄の掌の上であった。
今出て来たゲートを消去しながら、鉄郎はその手を遠隔操作。自分自身を真上へ放り投げさせる。
「ちと力み過ぎたな」
独りごちながら、鉄郎は己の重力を操作。姿勢を制御。真下を見下ろす格好になる。
視界に入るのはどんな夜より透き通った星空、即ち宇宙空間。それを我が物顔で分断するいにしえの障壁、『空』。
そしてその『空』の前で静止している、鋼の巨人であった。
戦闘機と武者鎧を組み合わせたような、細見ながら力強いシルエット。全身を包む装甲は銀色で、背部を始めとした身体各所には強力なスラスターが存在し、両肩と両足首には青色の球体がはめ込まれている。
これが「シロガネ」だ。
シロガネの足は青色を基調とした宇宙船「ボルテイザー」の背を踏みしめている。先程の和室や医療室があったのも、このボルテイザーの内部だ。
だが鉄郎が視線を注いでいるのはそこではない。シロガネの頭部だ。鎧武者のようなシルエットのシロガネだが、唯一その兜が、頭部が存在しないのである。
代わりにあるのは、赤い点滅を繰り返す何らかの接続コネクタ。それを目指して鉄郎は降下を初め。
「オイオイ、ホントにあてにならないな」
その最中、ちりちりと振動している『空』を視界の端に捉えた。
ささやかな振動は見る間に拡大し、巨大な水柱のようなものとなって立ち上がる。
その水柱を割って、巨大な獣が姿を現した。
獣は蝙蝠のようであり、龍のようでもあった。
螺旋状に捻じれた一対の翼。その先端に鉤爪。尻尾は槍のように鋭く長く、同じように長い首の先には球状の頭部。頭部はガラス玉のように透けており、内部には巨大な目玉が一つ、ぎょろぎょろと辺りを見回している。
「あ、あれは」
モニタ越しに慄くディルバル。『空』の存在を知る文明圏の者ならば、子供だろうと知っている悪夢の具現。
「
ふわふわな毛を逆立てるディルバルとは対照的に、ティオは空魔獣を、メルオーン型を観察する。
『空』から現れる怪物、それが空魔獣だ。『空』から切り離された存在だからか、接触して即死するような性質を持ったものは確認されていない。少なくともこれまでは。
しかしてその空魔獣とは、一体何なのか? それは分からない。分かっているのは三つだけだ。
一つ。『空』の中から現れる事。
二つ。程度の差こそあれ、出現時に『空』の表面へ揺らぎが生じる事。
そして三つ。捕捉した対象を、理由なく、完膚なきまでに破壊する事だ。
「だ、ダメだ! メルオーン型の戦闘力は艦艇数隻分に及ぶんです! そんな怪物相手にたった一機の鎧装で勝てる訳が無い! ましてやそいつを避けて『空』を渡るなんて」
「大丈夫です」
静かに。
まっすぐに。
ティオは、ディルバルを見た。
「鉄郎は、シロガネは、そんなものに負けませんから」
「信頼されたもんだねえ」
苦笑しながら、鉄郎は頭をかく。理由はどうあれ悪い気はしない。
「ならまあ、頑張らないとなあ」
首のないシロガネ、その右肩に着地しながら独りごちる鉄郎。だが何故船外の、しかも真空の只中に居る鉄郎にそれが聞こえているのか。いやそもそも、何故鉄郎は宇宙服も着ずに宇宙空間で平然としているのか。
「モードチェンジ。戦闘モード」
その答えを、鉄郎は言い放つ。
瞬間、全身が光に包まれる鉄郎。竜巻じみたその銀光は、一瞬で消える。同時に鉄郎の姿も無くなっていた。
代わりにそこへ居たのは、銀色の装甲に身を包んだロボットだった。
どことなくシロガネに似たシルエットの、鉄郎より少し大きいくらいの背丈をしているロボットは、おもむろに両手の五指を握る。開く。そして呟く。
「段々と、違和感減って来てる感じが、怖いな」
それは紛れもなく地球人、遊馬鉄郎の声であった。
彼がまだ人間だった頃の姿。その擬装を解除したのだ。
この姿になれば、抑制していた本体との繋がり、シロガネとの感覚共有がより鮮明になる。
だから下方、メルオーン型が生体プラズマ・ビームを放ったのは即座に分かった。
「おっと」
シロガネとボルテイザーのスラスターを同時駆動し、紙一重で避わす鉄郎。だが今のは牽制だ。二射、三射、四射。襲い来る更なる光弾。それを撃つメルオーン型も迫って来ている。回避方向を誘導しながら接近戦に持ち込むつもりか。
だが鉄郎はそれを許さない。シロガネ、及びボルテイザーのスラスターを更に噴射。螺旋を描きながら上昇する。
目まぐるしく回転する星々。視界に現れては消える光弾と『空』。それらを尻目に鉄郎はシロガネの肩から大きく跳躍。
そして、言い放った。
「モードチェンジ。合体モード」
それは彼自身が設定したシステムの起動コード。鉄郎の機械の体、その深奥に組み込まれた変形機構が起動。人体には有り得ない関節のロックが解除され、鉄郎の腕が、足が、頭が折り畳まれる。パーツが展開する。
かくて変形は完了し、出来上がったのはロボットの巨大な頭部。頭部はまっすぐに降下し、欠損していたシロガネの首部へと接続。ツインアイに光が灯り、シロガネが本来の姿を取り戻す。
こうした一連の合体は、メルオーン型の光弾連射を掻い潜りながら行われた。速度や姿勢の細かな調整があったため、まっすぐに襲い来るメルオーン型の方が動きに迷いが無い。故にこのタイミングで追いつかれた。
真正面。こうして改めて相対してみれば、顔だけでシロガネの身長に匹敵する程の巨体。あからさまな敵意を隠そうともしない単眼は、一秒、シロガネの姿をまじまじと見据え。
その巨体全ての膂力を乗せた尾部ブレードによる回転斬撃を、シロガネへ向けて放ったのだ。
脳天からシロガネを、鉄郎を断ち割らんと迫る大質量。
「ふん」
それを。
鉄郎は、シロガネは、掴み取った。
両手で挟み込む態勢の、いわゆる真剣白刃取り。
「なあっ!?」
船外カメラ映像でそれを見ていたディルバルは、思わず声を上げた。止めた事だけではない。ボルテイザーへ、六畳一間へまったく振動が伝わってこないのだ。真鎧装は伊達ではなかったという事か。
だがメルオーン型とて黙ってはいない。即座に身体と首を捻り、その単眼でシロガネを見下ろす。眼球にエネルギーが集まる。光弾が生成される。
「どっ、せい!」
だがそれが射出されるよりも先にシロガネはスラスターを更に噴射。凄まじい速度で縦回転した。重力制御が効いているため、ボルテイザー内部に影響はない。だが掴まれたままのメルオーン型は激烈な遠心力に晒される事となった。
強制的に体を伸ばされ、明後日の方向に飛んでいく生体プラズマ・ビーム。どうにかもがいて翼をバタつかせるが、シロガネの回転は止まらない。むしろ加速する。
二回転。四回転。八回転。
十回転目を数えた時、シロガネはメルオーン型を『空』目掛けて放り投げた。錐揉み回転するメルオーン型は、しかし『空』に激突する寸前で態勢を立て直す。素早く首を巡らし、敵性存在を睨む。
その頃には既に、シロガネは攻撃態勢を整えていた。
どこから取り出したのか、その左腰には剣が一振り。鞘に収まったそれは日本刀のように反り返っており、シロガネは柄を握る。
「急いでるんでな。押し通らせて貰う」
言い放つと同時、シロガネの身体各所の球体が光を放つ。激烈なエネルギーが機体内部を巡っているのだ。
それはやがて右肩の球体へ収束し、更に腕を経て剣の内部へと流れ込む。光が、鯉口から溢れ出す。
あれは、なにか、まずい。
本能でそれを察したか、先程を超える速度で突撃を仕掛けるメルオーン型。尾撃でなく純粋な体当たりでシロガネを潰す算段か。
迫る大質量。その向こうに立ちはだかる巨大な壁、『空』。
それら二つを。
「しゅッ」
僅か一呼吸で。
シロガネは、斬って捨てた。
いつの間にか鯉口は切られ、刃は振り抜かれている。居合だ。
斜め上方を向いた切先は、
その輝きへ吸い寄せられるように、メルオーン型が近づいて来る。
「う、うわあっ! ぶつかる!」
「大丈夫、大丈夫ですって」
叫ぶディルバルと平然としたティオ。
シロガネは動かない。代わりに血ぶりするかの如く、強く刃を振るう。飛沫のように飛び散り、刃から剥がれ消える輝き。それと同じタイミングで、シロガネの左横をメルオーン型が通り過ぎた。その眼から光が失せている事を、ディルバルは気づけなかった。
「え」
遠ざかっていく異形の龍を、ディルバルはモニタ越しに見やる。シロガネは淡々と、光失せた刃を納刀する。
その瞬間。
ずるりと。
メルオーン型が真っ二つになる音を、ディルバルは聞いた気がした。
更に二つ。四つ。八つ。十個から先は数えるのも馬鹿馬鹿しくなって止めた。
それは斬撃痕なのか、あるいは真鎧装の力による何かなのか。どちらにせよメルオーン型はバラバラに分解、思い出したように爆発して消滅した。
「メルオーン型を、ああも簡単に」
「どうです? 大したものでしょう弊社のシロガネは! でもそれだけじゃあないんですよ」
リモコンを操作するティオ。船外カメラが改めて『空』を捉える。
「な」
絶句するディルバル。つい先ほどメルオーン型が墜落しかけた辺りを中心として、『空』に巨大な亀裂が入っていたとあれば、さもあらん。先程シロガネが放った斬撃は、メルオーン型だけでなく『空』をも断ち切っていたのだ。
小惑星の直径くらいはあるだろう亀裂は、見る間に無数のひび割れを生ずる。広がる。
そして、割れ砕ける。
この先シロガネが幾度も行う『空』の分断。いずれ『裂空』と名付けられるそれを初めて目撃した顧客が、このディルバル・シノートであった。
「さて、これで通行の障害は無くなりました! 大丈夫だったでしょう?」
満面の笑みを向けて来るティオ。ディルバルは頷く事しか出来なかった。
「さてさて、ここが通れるようになった以上、目的地まではせいぜい五パーセクくらいですね。前代未聞のショートカットです。という訳で鉄郎ー」
「はいはい、聞こえてるよ元気だな」
テレビから聞こえて来るシロガネ、もとい鉄郎の声。
「安全運転で急いでね。『空』が塞がっちゃう前に」
「出来れば分離したいんだが……まあ、良いか」
かくてシロガネはボルテイザー共々スラスターを全開、己が開けた『空』の穴を潜り抜ける。それを助走とし、ワープドライブを起動。残りの距離を一気に駆け抜けた。
後に残った『空』の穴は、二十四時間も経たぬうちに塞がってしまうだろう。
遊馬鉄郎とタームン・ティオ、この二人が『空』を完全に破壊するのは、まだずっと先の話である。
裂空鎧装シロガネ 横島孝太郎 @yokosimakoutaro
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