1907年春、日も傾く頃

「……というわけで、ザッハ・トルテにその名を付けたのは、実はメッテルニヒ閣下その人だったのだよ」

「まあ。随分と、詳しいお話をご存知ですのね、御老人ヘル。それで、そのザッハ少年はそのあとどうしたのかしら? ずっとメッテルニヒ閣下にお仕えになりましたの?」

「いや。その後は別の貴族のところに移って、だいぶ年を取ってから自分の店を持つようになった」

「それがあの『ホテル・ザッハ』になるのかしら」

「いや、あまり知られていないがホテル・ザッハを開いたのはそのザッハの息子なのだよ」

「まあ。それでは、ケーキを発明した方のザッハ様は?」

「この通り楽隠居の身さ」

「え?」

「いや、なんでもない」


 と、そのとき、エーファが戻ってきた。


「お嬢様! 買って参りましたよ!」

「お詫びの品は来たようだね」


 老人はひげをしごき、帽子を手に取った。


「御老人、素敵なお話を聞かせていただいてありがとうございました。最後に、お名前をお伺いしても失礼には当たらないかしら?」

「いいですとも。わしの名は、フランツさ」

「わたくしはクリストフ・デメルの娘、アンナと申します。ごきげんよう」

「はい、ごきげんよう」


 そうして、老人は去って行った。


 ザッハ・トルテを考案したフランツ・ザッハは、1907年の春、その生涯を閉じている。享年、実に90歳であった。

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ザッハの甘い嘘 きょうじゅ @Fake_Proffesor

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