小説か演劇か

クライングフリーマン

小説か演劇か

 私が初めて興味を持ったのは、やはり中学の頃だろうか?

 夏休みの読書感想文に選んだのは、「ヴェニスの商人」だった。小説ではなく、戯曲だった。小学校の頃は、よく図書室で本を読んだ。明智小五郎ものは、実に痛快だった。

 戯曲は、私に新たな刺激を与えた。戯曲というのは、読んだことの無い人に簡単に説明すると、演劇の台本(脚本)を小説風に纏めた書物であり、演劇(ドラマ)ありきの書物ではない。

 中学の卒業間近、同級生が出演した、出来たばかりの演劇部の芝居にこころ打たれた。

 タイトルは分からなかったが、中国が舞台(環境設定)の、兄弟愛を描いたモノだった。

 私は、高校に進み、中学のコーラス部の先輩に誘われて、コーラス部に入った。

 男子部員は3年生が1人、2年生が1人、そして。私。明けても暮れても、女子の発声練習に付き合わされた。

 同級生に誘われて、英語部の英語劇「白雪姫」に参加した。『こびと』は足りなく4人のこびとだった。

 文化祭の悲劇は、別の話で書いたので割愛する。

 その後、美術部でスタッフが足りないから、と「影絵劇」に参加した。

 高校3年生。私は「コーラス部、英語部、美術部、演劇部(部長)」の、掛け持ち部員になった。

 ある意味、一番輝いていた時機かも知れない。

 大学一回生。私は、演劇同好会に入った。部長は好きだったが、副部長は嫌いだった。

 最初は、自分で演劇部を造ろうと思った位だから、未練は無かった。

 大学2回生。私は、翻訳研究会(正式倶楽部)に入った。戯曲班が新設され、班長を任された。だが、班員2人は、あまりに素人だった。先に述べた小説と戯曲は違う。例えば、『ト書き』を無視してしまえば、それは小説なのだ。

 構成を無視して、小説風の翻訳を押し通そうとした。結局、彼女達は投げてしまったので、完訳ではないが、文化祭に出品した。後から思えば、無理があったのだ。部長の思惑は、今風の言葉で言えば『多様性』だったかも知れないが、私と同じ立場の人間でないと、同じ感覚では、作業を行えない。文化祭が終った後、翻訳研究会は辞めた。

 大学卒業後、よくみに行っていた劇団に入った。

 劇団は1年ちょっとで辞めた。東京で本格的に演劇の勉強をしたかったからだ。

 入所試験で1番評価を得たのは、「朗読」だった。他の受験者はやたら暗記しようとして声を上げて読んで練習していたが。「朗読」は相手に伝える為に読むのであって、そのために演劇の基礎訓練に使われる。

「黒歴史」があった為(若い芽を摘まれた)為、1年で落第(不合格は留年ではない)し、やがて、故郷に帰ってきた。

 34歳で一念発起し、プログラマの勉強をし、プログラマになったものの、なかなか仕事が回って来ないのでやっていた仕事を「病気(心筋梗塞)」の為、中断、途中終了することになった。

 再起を図ろうとしたが、母が脳梗塞になり、介護が始まった。

 そのため、今でも「どこかに仕事を見付けて初出勤」という夢を見ることがある。

 一昨年、WEB小説を書き始めたのは、戯曲は『額縁の世界』を描くことになるので、人に伝えにくいし、自信も無かったから。

 数ヶ月の習作帰還を経て、未だに手探り足探りで書いている。

 小説でなく、「独り言」の延長のような文章でも、読んでくれる人がいることに正直驚いている。卒業文集の作文も、(高校の時の)答辞原稿も、ちゃんとした評価は聞いていない。

 まあ、それは、興味あって読む人が少ないからだろう。

『遺品』の替わりにクラウドに残そうと思ったことは間違いではなかったと自負している。

 興味があってこその「好き」「嫌い」なのだから、「いいね!」とか星印をじっと眺めて暮す訳にも行かない。『カウントダウン』は始まっているかも知れないが、可能な限り、書いて行こう。

 幸い、所謂『黒歴史』のネタなら、幾らでもある。私の演劇の師匠は、不肖の弟子の変化に苦笑しているだろうな、黄泉の国で。

 ―完―


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