第5話

家を飛び出した私はどこに行く目的もなく、ただ森の中に入って行った。

いつもユークと一緒に玩具の剣を振るっている場所で立ち尽くす。

つい数時間前までは、元気だったユークの姿は幻想のように消え失せる。幸せな家族だった存在はどこにもいなくなっていた。まるで最初からなかったかのように。


その場で蹲るように座り込む。身体が重く、もうこれ以上は動きたくなかった。


ザッザッ…


そんな時、茂みから音がした。

お父さんが私を森まで追ってきたのだろうと思った。どんな言葉を言うべきなのか、私は必死に考えるが何一つ思い浮かばない。


次第に茂みから聞こえる音は近づいてきて、私は心の準備をする。だが、そこから現れたのはお父さんではなかった。


「ギャッギャッ!」


それは気味が悪い笑みを浮かべ、ギラギラと眼光を光らせている1体のゴブリンだった。

獲物を見つけた事が嬉しいのか手を叩き喜ぶように声をあげる。


「グギャギャッ!」


「嫌…来ないで!来ないでよ!」


私の声はゴブリンとってはただの雑音に過ぎないのだろう。ゴブリンは、私を逃がさないようにゆっくりと間合いを詰める。


逃げようと思ったが足がすくみ、立ち上がる事すら難しい。

ゴブリンは小さなナイフを片手に持っており、それを私に向ける。


あぁ…死ぬんだ。今から殺されちゃうんだ。


当時の私はそこで死を悟った。

そして、もう抗おうとはさずに目を閉じる。

瞼の裏に見えたのは私を必死に守ろうとしてくれたユークの姿だった。


「ごめんね」


その言葉が自然と溢れ、私がその時が来るのをジッと待っていると大きな足音と共に声が聞こえてきた。


「お…の…俺の家族に手ぇ出してんじゃねぇよ!」


思わず目を開ける。そこに居たのは薄い青色に光った武器を腰に仕舞うお父さんと塵となって消えるゴブリンだった。


「お、お父さん?」


お父さんは私に近づいてしゃがむ。

怒られると思って下を向くがお父さんは何も言わずに私を抱きしめてくれた。

お父さんの激しい心臓の音が聞こえる。


「…よかった。本当によかった」


声は震えていた。私も大きなお父さんの背中に手を回して抱きしめる。


「ごめんなさい」


「いいんだ。ジル、お前が俺たちを信用できないのはわかる。ずっと騙していた俺たちが悪い。でもな?」


お父さんは私の肩を掴み、私の目を真っ直ぐに見つめる。


「俺たちは家族だ。俺もジルも母さんもユークもな」


「でも私…ユークを見捨てたの…だから…」


私は認めるのが嫌だった。家族であることを認めると私がユークを見捨てた理由がなくなってしまうから。


「それは違う。ユークがお前を守ったんだ。誰に命令された訳でもない、あいつが守りたくてお前を守ったんだ」


「余計なお世話よ!一緒に逃げればよかっじゃない。どうして…どうして自分だけ傷つく必要があったのよ」


苛立ちを口に出す。

だが、心はモヤモヤを抱えたままだった。

お父さんは、私の頭に手を置く。そしてそのまま慣れていない手つきで撫で始める。


「痛い…」

「ゴブリンの数は死体も合わせて5体いた。そのうちの1体は弓を持っていた。そしてユークの背中には既に矢が刺さっていた」

「…え?」


お父さんは私に伝える。それは、ゴブリンが狙うのは子供を生むことができる母体である女性のみであること。つまり、弓を持つゴブリンが狙ってたのは、ユークではなく逃げる私だったこと。


私は唖然とした。その事を聞いて馬鹿じゃないかと思ってしまった。狙っても当たるかどうかもわからないのに、見捨てるように逃げる私を庇って傷ついて…腕も失った。


「馬鹿じゃないの?どうせ他人なんだから、私なんて放って置けばいいのに」


「ジル」


「どうすればいいのよ。もうわからないわ」


「ありがとう…そう言ってやればいい。それだけで十分だ」


私はそう言われて納得はしなかった。

だが、その言葉は伝えるべきだとも思った。

お父さんと一緒に森を抜け、家に戻る。


お母さんは私に何も言わなかった。私も何かを言う気はなく、ただ黙ってユークの寝てる部屋に入る。


そして今一度寝ている姿を確認する。

包帯で体を巻かれた痛々しい姿に今にも消えそうな呼吸の音が聞こえる。誰でもその姿を見れば理解できる。ユークはもう長くはないと。


悲しむことなんかなかった。辛くなんてない。俯く意味もない。

私は自分にそう言い聞かせる。どうせ他人なんだから…他人だから。


「どうして……なんで止まらないのよ」


私はユークをもう他人だとは思うことが出来なかった。涙が膨らみ、何度も床に落ちる。後ろからゆっくりと足音がする。振り向くとお父さんとお母さんがいた。


「大丈夫よ」


「平気だ。ほら、伝えるんだろ?」


「うん」


私は寝ているユークに向かい、話しかける。


「ねぇ、ユーク?私ね…謝れば気持ちが楽になるじゃないかなって思ったんだ。でも、無理だった。何度も謝ったけど何も楽にならない、辛くなるばかりだったの。それでお母さんにも酷いこと言っちゃったわ」


私の手が握りしめる力が強まる。


「私、わかったの。ずっと守られてた。お母さんにお父さんにユークに私はずっと守られて生きてきた。遊んで、ご飯も食べて、寝る時も一緒にいてくれた。外が怖い私を連れて行ってくれた。ありがとう…ユークと家族でいられて、ユークが家族で幸せだったわ」


私はユークの額に優しく口をつける。

その日、私たちは初めて本当の意味で家族になることが出来たんだと思う。それがきっかけだったのかはわからない。今ではそうであって欲しいという願いでしかない。

私はその日、その時間にある力に目覚めることになった。


「これは…何?」


私には、身体から溢れる液体のようなものと空中に漂う様々な色をした宝石の欠片のような物が見えていた。


無意識に私はユークの右腕と身体に触れる。


「え、治せる?本当に治せるの?」


その声に従って私は何も考えず、ただ必死になってユークの右腕と身体をくっつけ始める。ズタズタに引きちぎられた傷口と腕を合わせると私の身体から出ていた液体が傷口を包み、空中に漂っていた無数の欠片が集まっていく。

朧な光だったのがやがて強い光になり、やがて部屋全体を包んでいった。


そして光が収まるとユークの体にあった傷は殆どが治っており、右腕はくっ付いていた。弱々しい呼吸も深く眠っているかのような呼吸へと変わっていた。

何が起きたのかわからず、それをただ茫然と眺めているとお父さんがボソリと呟く。


「これは…の奇跡なのか?」


私はそんな事はどうでも良かった。私にとって重要なのは、ユークの傷が治ったことだけだった。そして、安心すると私の記憶は次の朝に切り替わる。


起きると横にはまだ眠っているユークの姿があった。

私は勢いよく飛び起きて状態を確認する。だが、まるで昨日見た惨憺たる光景が嘘のように綺麗な体に治っていた。しかし、それが夢でない事は壁に残った染みが教えてくれた。


「よかったぁ。本当の本当によかった。何が起きたのかそんな事はどうでもいい……もう逃げない。もう見捨てない。次は私が守るの。絶対に誰にも傷つけさせない」


暫くするとユークも目を覚ました。いつもと同じように寝ぼけており、目を擦っていた。


「あれぇ?ジル、どうして泣いてるの?」


「な、泣いてなんかないわよ!」


思わず袖で目元を拭う。


「あ、わかった!怖い夢を見たんだね」


ユークは笑っていた。その笑顔に胸の奥が揺れ動くような感覚を覚える。


やっぱり、私は…。


「ジル〜?まだ寝てるの?」


「ん…うん?」


お母さんの声がした。身体を起こすと自分のベッドの上に横になっていた。どうやらいつの間にか眠っていたらしい。

ドアを開けるとお昼ご飯をテーブルに並べるお母さんの姿があった。


「あら?ジル…怖い夢でも見たの?」


「え?どうして…あれ?」


頬に手をやると濡れていることに気づく。

お母さんが近づいて、私の顔を両手で触る。


「相当怖かったんでしょうね。ほら、お昼できたから、食べちゃいましょ?ユークたちもお弁当を食べてる頃よ」


「うん。そうするわ」


お昼を食べながら私は考えていた。

あの日、自分に起きた現象はなんだったのか。ユークの怪我はなぜ治ったのか。

本人にそれとなく聞いてみてもその日の事をあまり覚えていなかったみたいだった。記憶がすごく曖昧でぼんやりとしているようだ。私は別にその事を深く掘り下げる事はしなかった。


「ねぇ、ジル」


「なに?」


「ジルはどうして学園に行きたいの?」


私が学園に行きたい理由をお母さんは聞いてきた。まだ、行きたいなんて一言も言ってないのにも関わらずだ。


「どうしてわかるのって顔をしてるわね?そりゃあわかるわ。だって、ジルのお母さんですもの」


「…私は強くなりたいの。誰かを絶対に守れるくらいに」


私はあの日から強さを求めるようになった。ユークの後ろに隠れながら過ごすのを止めた。村の誰よりも強くなろうとした。お父さんにも強くなるためにどうすれば良いのかを聞き、技術を学び、ユークとの試合で使い戦う事に慣れていった。

でも、まだまだ足りない。私はもっと強くならなければならない。そう思い続けてやってきた。

だから、その為にも今回の学園への編入をする機会を逃すわけにはいかなかった。


「そう。なら、明日の試合にはきっと全力で臨んだ方がいいわね」


「どうして?既に私はユークよりも強いわ」


「でも…あの子はきっと今日よりも強くなってるわよ?」


お母さんはそう私に言う。別に慢心しているわけではない。事実、私はユークに勝ってからまだ一度も負けていない。


「あの子、きっとジルを驚かすために頑張ってるのよ。だから、それに全力で応えてあげて?」


私はその言葉に少しだけ嬉しくなってしまう自分がいた。今も頑張っているユークの姿をイメージすると心がキュッとなる。


「ジル、今日は負けないよ?」


ユークはいつも真っ直ぐに私の目を見てそう言う。私は素直で優しく勇敢なユークのことが好き。諦めないで頑張るユークが好き。

でも傷付いて欲しくない、苦しんで欲しくない。あんな姿を見るのは最後でいい。

学園に出れば、きっとユークの優しさを利用する輩もいる。全員が優しい存在ではないもの。そうなれば、ユークはまた傷つく事になる。

私はそんなの絶対に許さない。だから私がユークに今だけは剣を向けるの。

この先の他の誰にも向けさせない為に。


「勿論よ」


私はお昼を食べ終わると木剣を持ち、家の庭に向かう。そしてただいつも通りに剣の素振りを行うのだった。

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