第4話

私が目覚めるといつもそこで眠っているユークの姿はどこにもない。

部屋から出るとお母さんは台所にいてお皿を洗っていた。


「あら、今日はジルの方が遅いなんて。珍しいこともあるのね」


「ユークは…もう森に行ったの?」


「今日は特訓するんですって。お父さんも引き連れて行っちゃったわ」


「そう」


私はコップに水を入れて口を濯ぐ。直ぐにお母さんは朝ご飯を私に出してくれた。温かいスープを一口飲む。朝の寒さに冷えた体に染みていく感覚を覚えながらゆっくりと飲み進める。


「ジルは行かなくていいの?」


「私はいい。今日はちょっとゆっくりしたい気分だから」


スープを一気に飲み干して部屋に戻る。そしてそのままベッドの上に仰向けになり、天井を見つめる。目を閉じるとそこにいたのは昔の弱い私だった。


ユークの後ろに隠れ、何をするにもユークの後ろをついて回っていた私がいた。

私は物心ついた時からユークと一緒にいた。

何をするにもどこに行くにも一緒だったし、私はそれが楽しくて嬉しくて仕方がなかった。勿論、今でもその気持ちは変わりない。


優しいお母さんとお父さんがいて、頼もしいユークがいて……とても幸せだった。

でも、いつからかその幸せに違和感を感じたの。


最初は、本当に小さなきっかけだった。

私の髪は、薄い桃色をした可愛らしい色だとお母さんは言ってくれた。ユークとお父さんは綺麗だと褒めてくれるの。でも、私はこの気味の悪い髪色が嫌い。

だってユークのような吸い込まれるような暗い青色が良かったから。

当事の私は、ユークと同じ髪色じゃないことに不満を抱いていた。


私たちは兄妹の筈なのにどうしてこんなに違うのかと不思議に思ったわ。

それにね?ユークはとても優しいの。誰にでも明るく接して、村の誰かが困っていたら自分ごとのように困り始めちゃって…結局は自分で助けるのよ。

でも私は違う。家族以外の人は他人にしか思えない。誰か困っていても赤の他人なのだからと心のどこかで思っている自分がいる。


そんな小さな違和感は歳を重ねていくごとにどんどんと積み重なっていった。そして、ある日の事件で私の違和感は確信に変わったわ。


「ユーク…ここ森の奥よ?もう帰った方がいいわよ。お母さん達も心配するし」

「平気だよ。滅多に魔物は出ないし、ここら辺には危険な動物も居ないってお父さんが言ってたからね」

「でも…」

「大丈夫だよ!ほら、行こう?」


ユークは私の言葉を遮りながらどんどん奥へと進んでいく。私は後ろ姿を仕方なしに追いかける。実際にユークの言っていることは、私も思っていた事だった。だから、本気で止める気はあまりなかったの。でもね、そんな幻想を奴らは壊しに来た。


「ゲッギャッギャッ!?」

「えっ!?」


森の開けた場所にはそこにいる筈のない存在がいた。

ゴブリン…村の中では有名な奴らは子供攫いと呼ばれている存在で一般的には弱い魔物の部類に入るわ。物語の英雄たちは、奴らを倒すところから始まっている。

でもね、現実は違うの。幼い子供である私たちには、奴らと戦う覚悟も勇気も持ち合わせていなかった。持っているのは木で作られた玩具の剣だけ。


ゴブリンの黄色い眼を見ただけで私の体は動かなくなった。

そして数秒の間を置き、私の耳に入ったのは必死に怒鳴るユークの声だった。


「ねぇジルッ!?…ジルッ!…早く逃げて!」

「ッ!」


ユークは真っ先に私にそう言って、本人は剣を構えていた。本当に馬鹿よね…それに迷う事なく従った私は本当に救えない大馬鹿よ。


どうして簡単に見捨てる事ができたのか、ユークと共にゴブリンと戦う事を選択しなかったのか…。

私は息が切れても必死に走ったわ。そして村に着いた時にね私は自分が生きていることに安心していた。逃げ切った事に嬉しさを感じた。

そして、ゴブリンと戦っているユークを一瞬だけ、ほんの一瞬だけ忘れた。


「あれ、ジルちゃんじゃねぇか。そんな息を切らして…どうしたんだ?」


親切な村の人が私にそう聞いてくれた。その声で我に帰ったわ。早く助けを呼ばないといけないとね。その時の私は息を荒くして、呼吸することも辛かった。

それにすごく動揺していて、頭の中が真っ白になってたの。

何を話せばいいのか、誰に助けを求めるのか、ユークは生きてるのか…様々な事がこの時に脳内で駆け巡ったわ。


「あ。え…あぁ…危ない……ユークッ!ユークが危ないの」


そんな中で私は、必死に口から絞り出したわ。

こんな拙い言葉でも危機が迫っている事がわかったのか、すぐにお父さんを連れて来てくれたわ。


「ジルッ!無事か?何があった?ユークは?」


お父さんの声を聞いて、私はなぜか涙が止まらなかった。それは、安心なのかそれとも後悔からなのかはわからない。

私は嗚咽を堪えながらただ状況を話した。ユークがゴブリンと戦っている事、私を逃がしてくれたこと、森の奥に進んでしまった事も全部話した。


「…ジル、それはお前のせいじゃない。ユークは絶対に助ける。まだ間に合う筈だ。おい、ゲーデル、俺は森に入る。ジルを家まで送ってくれ」

「任せな。嬢ちゃん、ユークの帰りを家で待とうな。安心しな、こいつは腕だけは優秀だからな」

「……」


本当は嫌だった。ユークが戦っているのに私だけ家に帰るのが苦しかった。

お父さんと一緒に助けに行きたい。でも、無理なのは自分が一番に理解していた。

それは、私が弱いから。誰かを守ることも自分を守ることすら出来ないから。

その日以上に自分の力不足を嘆いた日はないわ。


私は大人しく家に帰ったわ。

家に帰るとお母さんが抱きしめて頭を撫でてくれた。私の震える手も握ってくれた。でも、私の涙は決して止まる事はなかった。

何度も何度も謝ったわ。誰に対して、何に対してなのかはわからない。でも、私は泣きながらお母さんに抱かれながらずっと謝っていた。


そしていつの間にか寝てしまったの。目が覚めると自分のベッドだった。

隣のベッドから寝息が聞こえてきて私はホッとしたわ。


「よかった…」


ユークが生きていた事に私はまた泣きそうになった。少しだけ不安になって、ユークの寝顔を見ようと思って近づく。


そして私は気づいてしまったの。この部屋にこびりつく異様な臭い。床だけじゃない、ユークのベッドがある壁には今朝にはなかった染みができていた。視線を寝かせられていたユークへと移す。


私の目はそれを直視することを拒んだ。

足の力が抜け、膝から崩れ落ちる。床を這いずるようにゆっくりとユークのベッドのシーツを掴む。


「あぁ…あぁぁ…ああぁ」


少し考えればわかる事だった。複数体のゴブリンと木剣しか持たない子供ではどちらが不利なのか。少し考えれば明白だった。


「嘘…嘘よ。なんで…お願い…どうしてそんな」


ユーグは生きていた。確かに息はしていたわ。

だが、ユークの右腕は、普段から剣を握っていたその腕は身体から引き離されていた。身体には何かに引っ掻かれた傷が目立ち、肉が抉られていた。


私はユークの身体にそっと触れる。


「冷たい…嫌よ…死なないでよ」


何重にも包帯が巻かれ、弱々しい呼吸に私は叫びそうになった。


「何が……何がよかったよ。あの時逃げたから。ユークを見捨てたから!どうして私は戦わなかったの!?どうして立ち向かおうとしなかったのよ?私は何のためについて行ったのよ。何のために一緒にいるの…ユークをどうして見捨てることができたのよ」


私はユークの側でただ後悔を叫ぶしか出来なかった。そんな時、ユークの声が聞こえる。掠れたお爺さんのような声だったけど確かに聞こえた。


「…ジル?…そこにいるの?」

「うん、いるよ。ここにいるわ」


私は謝ろうとした。でもその前にユークは私にこう言ってくれたの。


「よかっ…た。無事…だったん…だね」


なんで?そう思ったわ。私は真っ先に見捨てたのよ?自分が生きることを考えたのにどうしてそんな風に言えるのよ。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ユーク…」

「…」

「ユーク?」

「すぅ…すぅ…」


ユークは直ぐに寝てしまった。

私は立ち上がり、フラフラとしながら部屋の扉にもたれかかった。

すると部屋の外でお父さんとお母さんの声が聞こえた。


「面目が立たないわ。せめてジルだけでも…」


「やっぱりジルの本当の親を探すべきだ。そして、俺は罪を償わなければならない」


私はその話を聞いて呆然としていた。それは有り得ないことだと思っていた。そして信じたくないと考えていたことだった。


「親?私の親はお母さんとお父さんじゃないの?おかしいよね。それじゃあユークと私は家族じゃなくて……他人」


私はそれを口に出した瞬間、自分がどうしてユークを見捨てることが出来たのか、迷うこと無く逃げたのかを理解した。


「はははっ!他人だから…そうだったんだ。私とユークは家族じゃなかったんだ」


するとゆっくりと開く音がした。振り返るとそこにはお父さんが立っていた。


「お父さん?ねぇ、お父さんって…誰なの?」

「お前、まさか今の話を聞いてたのか?」

「うん。聞いてたよ。お母さんもお父さんも皆他人だったんだ」

「それは違う。少しこっちに来なさい」


私は部屋を出てリビングに連れて来られる。部屋にはお母さんが椅子に座って私を悲しそうに見つめていた。


「違う?違わないよ。私の家族はどこ?私の家族は誰なの?ねぇ、答えてよ!」

「ジル、貴方の家族はここにいるわ。少なくとも私とお父さんは貴方のことを自分の子供だと思っているわ」

「…嘘よ。本当はユークよりも私が偽性になったほうが嬉しかったんでしょ?本当の子供じゃないから!」


パンッ!


私の頬を叩いたのはお母さんだった。そのお母さんの顔は怒りと悲しみが入り混じったような表情をしていた。


「ふざけないでッ!そんな訳無いでしょ!?」

「……嘘つき」

「ッ!」


自分の事を棚に上げ、お父さんとお母さんを責めた。そうでもしないと当時の私の心は壊れてしまいそうだった。私は、その場から逃げるように家の外に飛び出した。

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