アイシー
通りすがりの話です。
散歩という日課は大切です。昨今の大デスクワーク時代ともなれば、激しい動きを伴わずとも体を動かすという行為が、健康を保つうえでとても大切になってきています。
かくいう私も運動不足気味でして。ええ。何分、話すことばかりが取り柄ですもので、立って動くことすらロクにしていないのですよ。だから、今日と言う日はと気合を入れて散歩に臨んだのが、つい数日前のことです。
ここで私、大きな失敗をしてしまいました。散歩という習慣が無い手前、どこをどこまで歩いていいかがまったくわからないのです。これは困ったとスマートフォンを起動してみても、手ごろに散歩コースを決めてくれるアプリなんてものがどうにも信用できないのですよ。
ただ歩く道を決めてくれるだけではありますが、どうにもあれやこれやと決められるのが性に合わなくて。入れてみて試してみて、五分も歩いたところで道を逸れてしまいました。
逸れた理由も、見覚えのない道を見つけて、こちらの方が面白そうだと思ったなんて、大した理由でもありません。
そんなわけで、見覚えのある公園を通って、住宅街を巡り、思ったよりも遠くまで来てしまったと一息を突いた時のことです。
その時は、喉が渇いたと自動販売機を探して、神社のようなお寺のような建物にたどり着いたところでした。二百円を取り出して、適当なお茶を買う。じゃらじゃら出てきた小銭の量に、なんとなく煩わしさを覚えてからポケットにしまって、喉を満たした後に現在地を確かめる。
そんな過程をすべて終わらせた後に、そう言えばこの場所には来たことが無いなと、私の好奇心が騒めきました。ここで、今しがた現在地を確かめた地図アプリを使えばここの詳細を確かめることもできたと思いますが……。何かとネタバレというモノを気にする私は、まずは自らの足でここがどんな所か確かめようと息巻いたのです。
歴史ものや、海外の古い小説なんかによくある巻末の用語説明も、なんだかネタバレを見ているようで読む気にはなれない。そんな感じです。
ちなみに、あとで調べたのですが、ここは神社だそうです。入り口の鳥居を見れば一発でわかりそうなものですが、この時の私は気付いていなかったようで。ともあれ、周りをよく見ていない私の散策劇はそうして始まりました。
そこまで広くない境内だったということもありましょう。住宅地の合間に出来た少し小高い林の中に、公園のように設置されているだけの場所を、子供に戻ったような気持ちで散策していると、すぐに変なものを見つけました。
林の中の木の洞に。『IC』と書かれた紙きれを見つけたんですよ。
大きさはA4用紙を半分に折って、それを真っ二つに引き裂いた程度のもので、片側には破かれた跡がありました。
もちろん、ただの紙きれです。偶然にも木の洞の中にあったからこそ、雨風に晒されることなく私が見つけるまで、ここに放置されていたのでしょう。
しかし、この紙きれがこれまた妙でして。紙には『IC』というアルファベットが縦書きで書かれていたのですが、これが明らかに毛筆によって書かれたものなんですよ。
そして、ここは和風どころか和そのものである神社です。この時の私はここが神社であったと知りませんが、寺であったとしても同じこと。結局のところ、毛筆に神社というダブルパンチが、アルファベットの『IC』という文字を、あまりにも場違いな何かへと変えていたのは確かです。
そして、その違和感は猛烈に私の好奇心を刺激しました。
この紙に書かれた『IC』の意味とは。こんなものが、なぜ境内の木の洞にあったのか。湧いて出てくる疑問は止まりません。
なので、私はその紙を手に持って、近くのベンチに座りながら考えます。『IC』とは、と。
まず、考えられるのは精密機械などに使われる
『IC』というアルファベットと周囲の雰囲気があまりにもミスマッチなのは当然として、少なくともこういった何らかの英語の用語のイニシャルとは思えない理由がもう一つあります。それは、この紙きれの広い余白です。その上、書き損じや書き続けたような跡がない。つまり、この『IC』を書いた筆者は、広い余白の中に意図的にこの文字だけを書いたということになります。
そして、私にはそういった用語が何の文章も伴わず、単一で書かれる代物であるとは思えません。なので、おそらく何らかの用語の略称という予想は外れているでしょう。
もしもこれが落書の類であれば、ここで考えていることは完全なる徒労になってしまいますが……まあ、その徒労を楽しんでこその暇だと思い、私は思考を続けました。
さて、次に考えたのは誰かしらにイニシャル……ですが、こちらも残念ながら違うと思われます。なにしろ、Iの一文字だけならば、伊藤から伊賀、五十嵐などなど苗字に名前に何でも取りそろえることができましょう。しかし、Cの文字だけはどうにもなりません。
通常、日本人の名前のイニシャルとなればローマ字表記が一般的。そして、ローマ字で表記されるとなれば、Cはカ行になるのですが、日本人であればKで記すのが一般的だと、私は考えました。もちろん、クリスやらチャールズやら、外国籍の名前が出てきたらそれはそれで終わりなのですが、ここは日本で神社で毛筆です。やはり、場違いな違和感が拭いきれない。
そんな違和感に苛まれた私は、またもや違う意味を見つけ出そうと必死に考えました。
IC……アイシー……あいしー……aishii………………。
三つあるIを取り除くと
ここまでくるともう、納得がいかずとも、一番違和感のないこじつけを見つけるしかありますまい。或いは、ネタバレを見るか……と、スマートフォンを取り出したところで、画面に映るデジタル時計を見た私は気付きました。
もうすぐ夕方だと。
昼下がりに家を出たにしては時間が経つのが速いとも思いましたが、それほど散歩に熱中してしまったということなのでしょう。明日辺りには、足腰にそのツケを支払うことになるとは思いますが、仕方のないことです。
流石に日が暮れてまで外にいるつもりもないので、探偵ごっこもここで終わり。最後に私は、答え合わせとばかりにスマートフォンを使って、この神社のことを調べました。
すると、ある一つの事実が判明します。
この神社は、俗に言う縁切り神社というものであったらしいのです。恋愛や交友、或いは禁煙や禁酒など、遠ざけたいものから遠のくための祈願をする場所。それが、この神社の役割なのだそうな。
なるほど、と思いました。断とうと思っても断ち切れぬ関係を断ちたい。そんな苦しみを抱えて、思い悩む人間が訪れる場所なのか、と。
その時、ふと私の脳裏に一つの言葉が思い浮かびました。
哀詞、と。
悲しみを抱えながらも、それを表に出せない人間が、それでも誰かに気づいてほしくて、遠回しに何かを伝えようとした同音異語。
やはりこれもこじつけのようですけれど、今までのこじつけに比べれば、実にすとんと胸に落ち着きました。この神社に駆けこむような内容の縁切り話ともなれば、直接書くことを憚られることもありましょう。ICの二文字以外に何も書いていないともなれば、尚更。
いったい何に悲しみを覚えて、この紙きれにそれを残したのかはわかりません。それでも、もしこの予想が正しければ、この筆者は自分の本心を隠したかったのでしょう。張り裂けそうなほどに苦しんでいる自分を、誰にも気づかれたくなかったのでしょう。
だからこそ、木の洞に隠してあったと考えることもできましょう。
そう思うと、なんだか洞から紙きれを持ち出してしまったことに、酷い罪悪感が湧いてきました。だから私は、空が茜色に沈む前にこの紙きれを元の場所に戻しました。
今度は、私のような人間にも見つからないように、奥深くに。これで、紙きれの筆者の秘密は守られた。そう随分と身勝手な解釈で一仕事を終えた私は、少しだけのびをしてから帰路につこうとします。
しかし、そこで気づいてしまいました。これまた、不必要なものに。
ちょうど私の頭上に、紙きれが隠されていた木から、人ひとりがぶら下がっても折れなさそうな枝を見つけたのです。そして、その枝は洞と同じ方角へと伸びていました。
散歩というものは、自分の知らなかった景色を見せてくれる。良くも、悪くも。
そんな駄白の話でした。
駄白の小話 日野球磨 @kumamamama
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