油断のならない男たち(13)


 祝言の日どりは四月の下旬と相成った。

 二月中には両家の顔合わせも済ませ、宗秩寮へ婚姻願いを届けでるや早々に許可がおりた。真雪から求婚されてわずか三ヶ月のスピード婚だ。

 そのせいで周囲からは、いらぬ勘繰りをされてしまう。もしやお嬢さまはすでに身ごもっているのではないか……なんて噂が邸内に流れた。父までがそれとなく訊いてくるので、

「そんなはずがないでしょう!」

 ぴしゃりと言ってやる。

「お父さまもご存じのように、わたくし毎日職場と家の往復しかしておりませんのよ」

「いや失敬」

 父は苦笑して鼻ひげを撫でる。

「しかしまあ、ずいぶんと大物を釣りあげたものだなあ。伊達に私の血を引いていないね」

 父は我ぼめをしながらソファに腰を下ろし、『華族画報』の最新号を開く。先日の新聞各紙と同様に、真雪と暁子の婚約記事が掲載されている。

 こんなご時世だというのに、あるところにはあるものだ。婚約を発表すると、さまざまなところからお祝いをいただいた。上等の酒に米にお頭つきの鯛……どれももはや闇でしか手に入らないものばかり。おかげで使用人たちも、ほくほくしている。

 最も喜色満面なのは、言わずと知れた菊野である。

 お嬢さまがお輿入れなさる暁には自分もお供したいと言いだして、なだめるのに一苦労した。しかし菊野が浮かれるのも無理はなかった。他に係累ももたない新興華族にすぎない当家が、大名華族の名家である上杉家と親戚になるのだから。

 さらに、本来婿をとらねばならないひとり娘を嫁にだす代わり、上杉家以上に家格の高い久遠寺家から養子を迎え入れる運びとなった。

 養子となるのは、倫子の三人いる弟のひとりだ。今年十四歳になる子で、名を正道まさみちという。倫子がいうには「うちの愚弟どものなかで一番マシな子よ」とのことだ。この正道少年が父、玄真の猶子となる手筈が整えられる。

 つまり倫子の弟が、暁子の“義弟”となり、白川家の爵位を継ぐことになる。白川家からすれば廃爵の危機を免れるし、久遠寺家からすれば、長男以外の息子にも爵位を与えてやることができるので、互いに悪くない取り交わしというところ。

 たしかに正道少年は朗らかで礼儀正しく、好感のもてる子だった。初めて対面した際に、

「お姉さま、どうぞよろしゅうお願い申し上げます。白川家の跡継ぎとして精進いたしますので、なにとぞ後顧の憂いなく真雪兄さんにお嫁入りなさってください」

 そう挨拶する姿も堂に入っていた。

 かくしてとんとん拍子に縁談は進む。ずっと独身でとおしてきた息子がとうとう身を固める気になったというので、真雪の両親も異論は挟まなかった。結婚しても勤めを続けたいという暁子の希望も受け入れられた。いや、正確には義理の両親はそれに難色を示したのだが、夫となる真雪が賛成してくれたのだ。

「けっこうなことです。日がな一日夫の帰りを待ちわびるだけの妻など、僕もごめんだ。僕は軍で、あなたは官庁で、ともにお国の為に努めましょう」

 そう言ってもらえて、嬉しかった。ちなみにこの婚約が調う直前、真雪は老父に代わって上杉家の新当主となっていた。当主の意見は絶対である。たとえ親であろうとも異を唱えるのは許されない。


 この頃、戦局はいよいよもって悪化の一途をたどっていた。日々もたらされる電信はどれも日本軍の撤退に次ぐ撤退で、将棋でいうと詰みの段階だった。

 これは真雪には絶対に言えないのだが、ひそかに外務省内では、ある計画が進行していた。現内閣を退陣に追い込むというものだった。中心となって進めているのは、かつて首相を経験したこともある華族出身の某議員だ。

 そして実働部隊は、日下部をはじめとする政務秘書官室の男たちだ。

 彼らは軍部の目をかいくぐって計画の賛同者たちの会合をセッティングし、賛同者間の伝達係や軍の動向の情報収集に勤しんでいる。

 暁子もまた日下部の指示のもと、会合の議事録つくりや資料の整理などを任されていた。そんな状態だったので、なかなか職場には結婚するということを言いだせずにいた。それと、真雪との結婚を報告するのをためらう理由はもうひとつ、ある。

 彼の属する参謀本部は、暁子の職場の男たちから蛇蝎のごとく嫌われているのだった。

 もともと外務省は、この戦争に反対の立場をとっていた。軍部に引っ張られるかたちで開戦したはいいものの、敗け戦が続いて国民は窮乏している。それでもなお「聖戦完遂」を訴える現首相は、参謀本部の出身だった。なので、その参謀本部の軍人と結婚しますとは、なかなか言いだしづらいものがあった。

 それでも三月に入り、宗秩寮から婚約の許可がおりると、日下部に報告した。新聞記事になって知られる前に、せめて自分の口から直接と。

 会議と会議の合間に難しい顔で一服している日下部に、「お話がありまして」と畏まった調子でそれを告げると、

「そう、おめでとう」

 日下部の表情が明るくなる。「それで、そのしあわせな御仁はどなたかな?」

「あのう、それが……参謀本部の方でして」

 遠慮がちに真雪の名を口にすると、日下部は濃い眉をぴくりとさせる。

「少佐か。出世頭だね。やはり華族の方なのかね」

 うなずいて、同級生のいとこなのです、とつけ加える。

「どうかご夫君に、あまり我らを目の敵にしないでくだされと、きみから重々言ってくれたまえ」

 おどけた口調で祝福してくれた。

 例の獅子舞大佐からは、結婚祝いにと木炭を二箱もいただいた。おかげで春になるまで職員一同、寒さに凍えなくてすむ。暁子が礼を述べると、大佐は真っ赤な顔をして――するとますます獅子舞そっくりになって――無言で敬礼して立ち去った。それから二度と顔をださなくなった。

 職員たちからも、冷やかしまじりに祝いの言葉をかけられた。

 結婚しても勤めを続けます、と暁子が宣言すると「理解のあるご亭主殿ですな」「これはかかあ天下になるとみえる」なんて、いっそう冷やかされた。

 こうして結婚に向けて着々と準備は進んでいく。

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