油断のならない男たち(11)
ジャングルの奥地に敵の陣地があるとのことで、明け方から小隊全員で討伐へいくことになる。手榴弾を二つずつ持たされる。一つは敵に投げるため、もう一つは自決用だ。出発前からいやな空模様で、ほどなくして雨が降ってきた。
この国は晴れでも雨でも、天気の一つ一つが烈しい。身体を打つ雨粒は痛いほどで、小休止を挟みながら藪のなかを進んでゆく。やがて大きな河にぶち当たる。濁った水が今にもあふれそうだ。
銃を頭の上に掲げ、万歳あるいは降参でもするような恰好で、河を横断する。腹まで泥水に浸かり、前を歩く者の鉄帽を目印にして歩く。雨で視界が妨げられ、ごうごうという水流の音と、河面を打つ雨粒の音しか聞こえない。転ばないよう慎重に一歩一歩、進んでゆく。
ぱらぱらぱら、と
「敵だ!」誰かが叫ぶ。
先に河を渡り終えた者たちが、ばたばたと倒れるのが、雨の隙間から見えた。敵兵が林のなかで待ち伏せている。弾丸が飛んでくる。すぐ目の前の兵士が撃たれ、濁流に呑み込まれたちまち見えなくなった。動揺して足をすべらせ、そのまま流される者。逃げようと後ろを振り向いた途端、銃撃される者。パニックが伝染する。
「うわあーっ」と北村の声がして目をやると、やつが今しも流されようとしている。とっさに腕を伸ばして首根っこを掴んだ途端、肩に熱い衝撃を受ける。被弾した。北村がじたばたと暴れる。カナヅチなのだ。
「もがくな! じっとしてろっ」
怒鳴りつけて静かにさせ、そのままゆっくりと河を後退する。落ち着け、焦るな、と自らに言い聞かせ。無事に河岸へ上がったところで、撃たれた箇所が痛みだした。右肩が真っ赤に染まっている。
「すまん……俺のせいで」
ぜえはあと肩で息をつく北村に「いいさ」と答える。
「女房子どもがいるやつを死なせるわけにゃあいかん」
今のでだいぶ数が減った。残っている者たちも泥まみれの濡れネズミで、雨脚は強まる一方だ。しかも河の向こう側では敵兵が待ちかまえている。やむなく隊長が撤退の指示をだし、全員とぼとぼと幕舎へ戻る。
夜になると熱がでた。撃たれた傷がじくじく痛んで、全身が震えてくる。熱いのか寒いのか分からない。マラリアが再発したようで、翌日、傷病兵をまとめて押し込んでいる幕舎へ隔離させられる。
隔離されたといっても治療を受けられるわけではない。もはやここでは薬品もガーゼも、輸血用の血液も足りない。それらはまず将校たちへまわされるのだ。だから兵隊は寝ているしかない。
衰弱した者や重傷者から死んでいき、死体は担架に載せられ外へ運ばれる。空いた場所には新しい者が運ばれてくる。じめついた舎内に呻き声と泣き声が響く。
四十度の熱が三日三晩続き、ようやく熱が下がったと思ったら、今度は肩の傷が膿みはじめる。包帯なんてないので、背嚢の底にあった汚れた手拭いを患部に巻いてもらう。
と、布の端にМ・Kという赤茶色の文字があるのに気づいて、神妙な気分になる。手拭いではなくハンカチだった。自分とともに戦地を転々としてきたハンカチ。
数日後、膿みを吸いとったそのハンカチは回収されて燃やされた。
傷口はどんどん腐っていく一方で、軍医からこのままだと敗血症になると告げられる。
「ちょっとばかし辛抱しろよ」
助手の衛生兵に身体を支えられ、真っ赤に焼けた
じゅううーっと肉の焦げる音がして、目の奥で火花が散る。奥歯をぎりりと噛みしめ、叫びだしそうになるのを必死にこらえる。やけに芳ばしいにおいがして、それに吐き気を覚えた。自分自身の焼けるにおいに食欲を刺激されるとは。
「もうちょっとだ。辛抱せい、辛抱せい」
軍医は眉ひとつ動かさず言う。生きながら焼かれるなんて治療というより拷問だ。いや、罰か。自分は罰を受けているのだろうか。
クニとの結婚を受け入れておきながら突き放し、邸から追いやった罰。あの方を嘆かせ、苦しめて、また恨まれるようになった罰。
赦されたと思ったら再び憎まれ、近づいた途端、また遠ざかってしまう。自分たちはどこまでもそうなっている。まるで磁石の両極だ。こんなに煩わしい思いをさせられるくらいなら、いっそのこと縁を切りたい。忘れてしまいたい。なのにいつも考えている。
そんなことを思っていると痛みと緊張のあまり、とうとう意識が薄れていく。遠くの方でセミの鳴く声が聞こえたような気がした。
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