狂ったお茶会(9)
「……どうだったかしら」
見合い終了後、菊野とクニにフランツ氏の印象を訊いてみる。
「英語でお話をされていたので、わたくしにはさっぱり」
クニが眉を八の字にして首をふる。
「でも、立派な方でございましたね。それにおやさしそうで。わたくしたちにも会釈をしてくださって」
「たしかにご立派な紳士でございましたね」
菊野も同意する。
「わたくしも会話の内容は分かりかねましたが、あの方がお嬢さまに惚れ込んでらっしゃるのは充分伝わってきました。立ち居振る舞いにも気品がございました」
ですが、と菊野は続ける。
「お嬢さまのお相手には、やはり当家に婿入りしてくださる方を菊野は望みます」
望みます、というものの口調はへりくだっていない。むしろ命令調である。
「分かっています」ここは素直にうなずく。
もちろん分かっている。父・玄真には暁子の他に子どもがいない。別宅の方もあいにく子宝には恵まれていない。ひとり娘である自分が跡取りにあたるわけだが、この国の制度では女性に財産、および爵位の相続権はない。
つまり白川家を存続させるには自分が婿をとり、その婿に、あるいは男子を産んでその子に財産と爵位を継がせなければならないわけだ。まあ、抜け道もあるのだけれど。だがフランツ氏が、我が家に婿入りしてくれるかどうかは……ちょっと考えにくい。
(だってあの方、わたしをドイツに連れていく気まんまんだったもの……お城の話もけっこうなさって)
「とはいえ、お嬢さまの魅力が西洋人の貴族の殿方にも通じて大変嬉しゅうございます」
「フランツさま、ほんとうにご立派な方でしたね」
菊野とクニは氏の紳士ぶりを褒めたたえる。二人は、氏が自分たちを二流民族と評したのを知らない。暁子自身、氏があまりにも堂々とそう言ってのけたので、怒りよりむしろ困惑を覚えた。きっと氏に悪気はなかったのだろう。それだけに、なにか通じないものを感じた。言葉以上に分かりあえない、なにかが。
帰り道、菊野は用事があるとのことで、銀座の服部時計店の前で車を降りる。
「寄り道しないで、まっすぐお帰りなさいませ」
「ええ、もちろん」
暁子はにっこりと優等生的笑顔をみせて窓越しに手を振る。視界から菊野が消えるや、
「ねえクニ、口直しにアイスクリームでも食べたくない?」
「そうおっしゃると思いました」
クニが苦笑する。「菊野さんに叱られますよ」
「いいじゃない。だってせっかくの銀座なんだし。まだ日は高いし、まっすぐ帰るなんてもったいないわ。貢、コロンバンまでお願い」
この近辺の有名喫茶店の名を告げると、
「かしこまりました」
ずっと黙っていた貢がようやく口を開く。
コロンバンは、歩道に面したテラス席が運よく空いていた。護衛役ということで貢も同行させて、三人でお茶をする。暁子とクニはアイスクリームセット、貢はコーヒーだ。
久しぶりにきてみたら、メニューの品数が減っている。以前は必ずアイスに添えられていたウエハースもついていない。それでも先ほどのホテルで食べたウズラのコンフィよりもおいしく感じられる。
すがすがしい天気で、そよ風が心地いい。そういえば、こんなふうに三人で過ごすのは、ずいぶん久しぶりだった。クニは自分と貢の間の緩衝材みたいな存在だ。クニがいてくれると、貢への態度がいくぶんやわらぐ。貢もまた、自分と二人きりでいるときよりも穏やかな顔つきをしている。雑談にも応じて、ゆっくりとコーヒーを飲んでいる。
「よろしかったら、わたしのアイス半分いかがですか?」
クニが貢に勧めるが、「いや、けっこう」と断られる。しょぼんとするクニに「いや、甘いものは苦手なんで」と慌ててつけ加える貢に、ぷふっと笑ってしまう。なんだか昔に戻ったような雰囲気だ。昔はよくこんなふうに三人でわちゃわちゃ、していた。
と、向かいの道路を四人連れの中年婦人が歩いている。赤い結び目がびっしり並んだ白い布地を各自手にしており、こっちへ近づいてくる。
「お願いします」
千人針だった。兵隊さんの弾除けのお守りだ。この布を腹に巻くのはこの方たちの息子だろうか、それとも甥か。そんなことを考えてクニと共に一針ずつ協力する。婦人のひとりが暁子の着物をじろりと見て、
「けっこうなお召しものでございますね。この非常時に」
その言いぐさにかちんときて、こう切り返す。
「そちらこそ、もんぺ袴がお似合いですわ」
「お嬢さま」
テーブルの下でクニが袖をそっと引く。いいのよ、と心のなかで答える。
防弾衣じゃあるまいし、こんなぺらぺらした布を腹に巻いたって銃弾なんてはじけるものか。野暮ったいもんぺ姿で銀座の大通りを歩いての、非常時アピールも鼻につく。それでもこうして協力してやったのに、礼ではなく嫌味を言われるなんて。
こういう、正しさを押しつけてくる者は大嫌いだ。
自分の倍以上は年上であろうそのご婦人に、暁子はうんと慇懃に微笑みかける。
「武運長久をお祈り申し上げます」
婦人はむっとした顔をしつつも会釈を返し、お仲間と連れだって去っていく。クニはほう、と息をつき、貢は我関せずといった表情だ。
クニが会計をしている間、隣に立つ貢が言う。
「あの人たちも必死なのですよ」
「でも失礼だわ。人が何を着てたっていいじゃない。えらそうに。たとえこれからどんな非常時になろうとも、わたしは絶対もんぺなんて穿かない。あんなのを穿くくらいならズロース一丁でとおすわ」
「それはおやめください」
車に乗って目抜き通りから有楽町の方へ向かう。宝塚劇場のそばを通るとき、クニが窓の外へ視線をやる。大きな看板に演目が掲げられている。『大空の母』『豊穣歌』。その建物のはるか上空にはアドバルーンがぷかぷかと浮かんでいる。
吊り下げられた垂れ幕には、『銃後を固く護りませう』という文言が書かれてある。
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