狂ったお茶会(8)
先日のパーティーから一週間ほどたったある日、暁子に縁談がもたらされる。
お相手は、ドイツ大使の親戚筋の青年だ。父が言うには、あの場で自分のことを見初めたのだそう。
「なんでも向こうはおまえを私の妻だと思い、声をかけるのをはばかっていたんだと」
後で確認して、そうではないと分かったので、さっそく大使館経由で見合いの打診がきたとのこと。
「どうするね」
「どうしましょう」
鼻ひげを撫でつつ訊いてくる父に、そのまま返す。
恥ずかしながら縁談めいた話がくるのは、これが初めてだ。貢に話して聞かせたことは誇張でもなんでもなく、白川伯爵家の令嬢に求婚しようという男性は今のところ、ひとりも現れていない。
たしかに父はいろんなパーティーに招かれて、通訳などで重宝されている。だけどそれとこれとはべつだった。わが家は華族社会に泥を塗った恥さらし。その泥は五年経っても消えていない。学習院でも自分のことを避けている方がたは一定数いる。
「そうか。外国人との縁組という手があったか」
父がぼそりと言う。先方もドイツの貴族の方だそうで、故郷には城があるという。
「まあ、仲介してくださった大使の顔を立てて、会うだけ会うというのはどうかな」
「そうですね。お会いするだけは」
というわけで、人生初の見合いをすることになる。
四
待ち合わせ場所は、帝国ホテルのフランス料理店だ。
クニと、自分も同行すると言い張った女中頭の菊野を連れて赴いた。父には「お供をぞろぞろ連れていくなんて、とんだ箱入り娘だと思われるぞ」と茶々を入れられたけど、実際そうなのだから仕方がない。
そのくせご自分はこの日、別宅の方と週末旅行へいっている。娘が見合いに臨むというのに、どこまでも放任主義である。「品定めするくらいの気楽な感じでいっておいで」というアドヴァイスを授かった。
店内は広くて明るく、優雅な雰囲気が漂っている。身なりのいい客たちがくつろいでランチを楽しみ、外界とは隔絶された贅沢さに充ちている。
奥まった窓辺の席に、その方はいた。外国人の男性客は他にも何人かいたが、ひと目で分かった。こちらに気づくなり立ち上がり、熱い視線を向けてきたから。
宝石みたいな青い瞳に白い肌。ふっさりとした金髪が窓越しに日射しを受けて輝いている。あの押し出しのいい大使とは、あまり似ていない。むしろおとなしめな印象で品のよさを感じさせる。
名はフランツ、年は二十六だという。細い縦縞の背広が、がっしりとした体格とよく似合う。
「おこしくださり、どうもありがとうございます」
フランツ氏は日本語で挨拶をしてくれた。たどたどしい発音だが、こちらの国の言葉で話そうとしてくれるのに好感が持てた。
お返しに暁子もドイツ語で自己紹介し、そこからは英語で話す。どちらにとっても母語でない分、互いに同じくらいの語学レベルであるのも手伝い、案外意思の疎通ができる。菊野とクニはやや離れたテーブルについている。
「お母さまとお姉さまもこちらにお呼びしては?」と言うフランツ氏に、
「あの者たちはお供です。わたしのお目付け役なのです」と答える。
「そう。では紳士的に振る舞わなければいけませんね。ワインは一杯だけにしておきましょう」
フランツ氏は向こうの二人に軽く頭を下げて微笑む。
前菜に続いてメインのウズラ料理にとりかかりながら、氏は暁子を賛美する。藍色に菊を散らした振袖を褒め、英語の発音を褒め、さらに容貌も褒めたたえる。あなたは自分が見てきた日本人女性のなかで最も美しい、と。
臆面もなく褒められて、どうにも気恥ずかしい。自分に注がれる視線を意識してナイフとフォークを操っていると、氏はさらに言う。
「あなたの美しさは純正アーリア人の美女にも負けません」
「アーリア人とはなんですの?」
ふと、そう尋ねると、よくぞ聞いてくれましたというふうに氏はうなずく。
「世界のすべての国々を支配すべく神に選ばれた民族です。アーリア人はどの民族、どの人種よりも優秀で気高く、美しい。もちろん日本人も優れていますが、民度としては二流です」
友好的な笑みを浮かべて、氏は言う。
「二流……ですか」
戸惑う暁子に向かって、
「ああ、どうか誤解しないでください。フラウ暁子」
あなたは別です、と氏は身を乗りだして暁子の手を握る。日本人も一応アーリア人ではあるし、あなたは貴族の令嬢です、と。
「それにドイツ王朝の末裔である私と結婚したら、紛れもなくあなたも純正アーリア人となるのだから」
氏は熱っぽいまなざしを、ひたと当ててくる。宝石よりも、窓の外に広がる秋晴れの空よりも深くて澄んだ青い目で。
「どうか私をあなたの婚約者にしてください」
求婚の文句とともに、暁子の手の甲に接吻を贈る。フランツ氏はNSDAPこと、今をときめくナチス党の幹部候補生だそうだ。
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