狂ったお茶会(3)

「ちょうど今ね、暁子さんに例の宮さまのお話をしていたの」

 ティーカップに口をつけ、倫子が真雪に笑いかける。

「軍人、それも参謀本部づきの大尉を許嫁にしているんですもの。さしもの宮家でも是非とも嫁に、というわけにはいかないわよね」

「まったく、いいように利用されたな」

 真雪は鷹揚に微笑む。

「だって、結婚なんてまだまだ考えられないわ。しかもお相手が宮さまだなんて、畏れ多くて目が潰れちゃう」

 倫子はおどけた目をして笑う。さながら仲のいい兄にじゃれつく妹みたいだ。教室内での女王然とした落ち着きのある倫子とは、ちがう倫子になっている。話を聞くに、飛鳥宮家から申し込まれた縁談を断る口実として、真雪を婚約者ということにしたようだ。

「しかしまあ、たしかに宮妃になるなんて倫坊には向いてないな。なにしろ庭の池でカエルを捕まえてたようなお転婆なんだから」

「お兄さま、それは言っちゃだめ!」

 倫子が声のトーンを上げて抗議するが、真雪はかまわず暁子に説明する。

「庭の池をご覧になりましたか。倫子は夏になるとそこでよくカエル捕りをしてたんです。あるとき足をすべらせて落ちてしまって。そうだなあ、あれは六歳くらいの頃だったかなあ」

「知らないわ」と倫子。

「このお嬢さん、全身泥だらけになっちゃったんですよ」

 たまたま遊びにきていた真雪が身体を洗ってやったそうだ。

「嘘よ、うそうそ。そんなの知らない!」

「馬場の水場できれいにしてやったじゃないか。馬たちが笑っていたぞ」

「知らないったら!」

「わたしはセミの抜け殻を採るのが好きでした」

 顔を赤らめる倫子に、暁子は助け船をだす。自分もけっこうなお転婆娘で、子どもの頃はよく木によじ登っていたのだと。

「それはいい。うちの姫と気があいそうだ」

「そうよ。わたくしたち親友なの。さあ、ご挨拶もすんだことだし、パパのところにでもいってはいかが、

 倫子は暁子の腕に自分の腕を絡ませて、真雪に退出するよう、うながす。

「分かった分かった。レディたちのお茶会の邪魔はしないよ。では失礼します」

 暁子に軽く会釈をすると真雪は部屋をでてゆく。

「まったく、いつもあんな感じなのよ。ごめんなさいね、騒々しくて」

 倫子はすねたふうに頬をふくらませているが、本気で不機嫌ではないのは見ていて分かる。

「お見せしたい人って、あの方のことだったのね」

「まあ……ね。でも、あんなむさくるしい軍服姿でこなくともよかったのに」

「そんなことないわ。すてきだったわ」

「そう思って?」

 倫子が目を輝かせる。猫の目のように表情がくるくる変わる。笑ったかと思えばすねて、また笑って。いつもの倫子らしくなく、だけど微笑ましい。

「ええ。凛々しくて立派な方ね」

 そう言うと、倫子は嬉しげに足をぷらぷらさせる。真雪は父方のいとこで、昔からしょっちゅう遊びにきていたそうだ。

「久しぶりに顔をだすっていう電話が、今朝いきなりきてね。今夜はきっとパパと呑みっくらだわ」

 おそらく倫子は、自慢のいとこを“親友”に見せたかったのだろう。妹が大好きな兄を友だちに見せびらかすように。自分にはそういう親密な親戚がいないので、少しばかりうらやましい。

 真雪の話題がひと段落すると、そのまま令嬢たちの縁談事情へと話はうつる。何年何組の誰それさんはすでにお相手が決まっている、とか。同級のあの方はお見合いをしたらしい、とか。親密な

「わたくしたちもそろそろ『華族画報』に写真を載せる年頃ね」

 倫子の言葉に「そうね」とうなずく。

『華族画報』とは、華族界の未婚の男子と女子の経歴・趣味・人柄に家族構成などを掲載している刊行物だ。主に見合いの参考資料に使われている。倫子に言わせると「家畜の品評会と同じね」とのことだが。

「相変わらず辛辣ね」暁子が苦笑すると、

「でも実際そうじゃなくて?」

 倫子は半分皮肉っぽく、半分おもしろそうに笑う。

「わたくしの姉たちは『華族画報』にデビューするなり、縁談が舞い込んだわ」

 倫子には姉が二人と、まだ小さな弟たちが数人いる。長姉は久遠寺家と同格の華族の貴公子と結婚し、次姉は平民の財閥の家に嫁いだ。どちらも親の言うまま、なすがままに。

「飛鳥宮さまがわたくしを所望したのも、うちのお金が目当てだったからでしょうね。あちらは宮さまといっても直宮じきみやではないし、いろいろと先の見えない世のなかになってきたし」

 そのとおりだった。中国との戦争はもう何年も続いており、不安な雰囲気が少しずつ、少しずつ強まってきているのを感じる。どうやら巷では金属品の献納運動が盛んなようで、華族間でも日本刀や先祖伝来の鎧兜などを提供するよう呼びかけられている。

「わたくしは姉たちのようでなく、結婚相手は自分で見つけたいわ。自分の納得できる尊敬できる方と。さもなくば一生独り身でいるわ」

 暁子に、というよりも自分自身に宣言するような口ぶりで倫子は言う。聞きながら、ふと思う。この方が結婚したい相手とは、ひょっとして、あの年上のいとこではないかしら……と。もちろん口にだしたりはしないけど。

 そろそろ帰る時刻だった。おいとまする前に、お手洗いを拝借する。廊下の突き当たりを曲がった先だ。用を足して手を洗い、戻ろうとすると、曲がり角の方からくぐもった会話が聞こえてくる。男と女のささやきだった。

 せつなげな、ため息まじりの声に、ただならぬものを感じて暁子は立ちどまる。「どうか、どうかもう」という泣きそうな女の声にかぶさって「信じてくれ、私の心はおまえのものだ」と低い声がする。聞き覚えのある声が。

 おそるおそる角の向こうを覗いてみると――思いがけない光景が目に飛び込む。

真雪と、先ほど紅茶を運んできた女中のさとが抱きあっている。それだけではない。互いの口を吸いあっている。食みあうように烈しく深く。

 心臓がどくんと跳ねる。その鼓動が伝播したのか、

「誰だ!」

 真雪が鋭い声を発するのと同時に、ぴゅっと顔を引っ込める。両手で口を押さえて廊下の壁に背をつけて息を殺す。

「……真雪さま」

 さとのか細い声に、「なんでもない、案ずるな」と真雪のやさしい声が続く。やがて彼らの気配は遠ざかってゆく。完全にいなくなったと確認してから、ほう、と大きく息を吐く。まだ心臓がどくどくしている。応接室へ戻ると、

「どうしたの、この方。お顔が真っ赤よ」

 ふしぎそうな顔をする倫子に、「風邪をひいたのかしら」とごまかす。


 その晩は眠れなかった。生まれて初めて目にした男女の接吻が、頭から離れなかった。上品な紳士に見えた真雪が、まさかあんなことをするなんて。慎ましやかに見えたさとが、あんなことをするなんて。大人になったらみな、あんな行為をするのだろうか。もしや自分も――?

(し、しない! わたしは絶対……ぜったいにあんな破廉恥なことしない!)

 布団をかぶってごろごろと右に左に転がって、ひと晩じゅう悶々とする。

 後日、久遠寺家から雛の茶会への招待状がきた。桃の節句を祝う集まりだ。献納運動なんてどこ吹く風とでもいうように、封筒は金箔で縁どりがされてある。倫子の直筆でこんな追伸が記されていた。

『先だってご紹介した従兄弟が、ぜひ貴女さまにまたお会いしたいと申しております』

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