伯爵夫人鉄道情死事件(2)
教室内で孤立するようになり、それにも慣れてきたある日のこと。
「この方、ご一緒にお昼をいただきません?」
昼休みの時間、ある同級生から不意に話しかけられる。
久遠寺家は元大大名の侯爵家で、世が世なら倫子は正真正銘の「姫君」だ。立ち居振る舞いにも堂々としたものがあり、ともすれば教師よりも貫禄がある。まさにお姫さまのなかのお姫さまで、旧大名および公卿華族によるグループの中心的な存在だ。
これまで倫子から昼食に誘われるのはおろか、口をきいたことすら一度もなかった。それくらい教室内は「新華族」と「大名・公卿華族」組に二分していた。
倫子の背後では、机を寄せてお弁当を広げている倫子組の方たちが、戸惑い顔を浮かべている。そこへ入れてもらうのも煩わしいので、「わたしは購買へいきますので」とやんわりご遠慮申し上げると、
「あら、ではわたくしもお供してよろしいかしら」
倫子は自分の弁当包みを手にして、ついてくる。さすがに嫌とも言えず(なにしろ向こうは格上の侯爵家である)、連れだって購買部に向かう。
学習院には弁当持参の生徒もいるが、パンを買う方も多い。値段は十銭から三十銭ほど。以前は暁子も弁当を持ってきて、るつ子たちと一緒に食べていたのだが、最近は――昼休みに教室を抜け出る口実にもなるので――購買を利用している。ちなみに好きなのはあんぱんだ。
そうして渡り廊下と本館の間にある広場で、そそくさとお昼をすませる。腰を下ろすのにちょうどいい石段や東屋もあり、高等科のお姉さまがたもちらほら。中等科の小娘がひとり紛れ込んでいても目立たないのがありがたい。
どうせひとりで食べるのなら、狭い教室よりも開放的な広場の方が気が楽だった。
「この辺りでよろしいかしら」
「けっこうよ」
手近な石段に並んで腰かける。暁子のサンドウィッチを倫子はもの珍しげに見る。その膝には松花堂弁当が載っている。仕切りのなかのおかずは意外と質素だ。玉子焼きに煮豆に焼き魚。
「わたくしも一度でいいからパンを買ってみたいと思っているの」
だけど、うちの者がお金をくれないのだという。
宮さまはじめ高貴な方がたはお金を持たない。自らの手で買いものをすることもない。そういうのは仕えている者たちがするのだ。聞きながら、さすが“本物”の姫さまはちがうものだと恐れ入る。
「よろしかったらひと切れ、いかが?」と勧めると、「よろしいの?」
倫子はハムサンドウィッチを受けとり、小鳥みたいに小さくかじる。
「おいしいわ。わたくしの好きな味だわ。うちの料理人にこういうの、作ってもらおうっと」
お返しに、おひとつどうぞ、と弁当箱に入っている稲荷ずしを一個もらう。食べてみて、あまりのおいしさに驚く。なんてことない甘じょっぱい味なのに、出汁がとても染みている。
「外でお弁当を使うのも気持ちいいですわね」とか「午後の授業は英語だわ。わたくし外国語ってほんとうに苦手」といったことを、倫子はのんびりした調子でしゃべる。
暁子の顔をのぞき込むようにして笑いかけ、弧のかたちに目を細める。自分の行いに悦に入っているのだろうか。いつもひとりでぽつんとしている学友に、手を差し伸べていることに。
「なぜわたくしに声をかけたのですか」
倫子が話すのを遮って、言う。
「なぜわたくしをお昼に誘ったのですか。そちらさま方とは元々ちがうグループですのに。御親切心ですか。それとも哀れみですか」
図星を突かれて狼狽するかと思いきや、倫子はゆらがない。口の端に笑みを浮かべたまま暁子を見つめ、
「誘ってくださってありがとう、なんておっしゃらないところがいいですわね。この方は」
おっとりとした口調で言う。
「ご自分の顔つきが変わっているのに、気づいていらっしゃる?」
「そうかしら」
「ええ。しばらくお休みなさったあと学校へ戻ってらしたこの方を見てわたくし、驚いたわ。前とはまるで別人だわ」
どなたもお声をかけようとしないのも当然よ、と倫子はつけ加える。思わぬことを指摘され、暁子の方がまごついた。
「変わったって……どんなふう、に?」おずおずと問うと、
「そうね」
倫子はじらすように十秒ほども間をとって、
「猛々しくなられたわ。まるでこれから
その返答に面食らう。男ならばともかく猛々しいと言われて喜ぶ女子はいないだろう。
「だけど今のこの方のお顔、わたくし好きよ」
倫子は言う。サンドウィッチを好きだというのと同じ口調で。
「生きている人間の顔だわ。切ったらちゃんと血が出るような。そんなお顔をした方は、あの教室には他にいないわ。みんなお人形さんみたいですもの。かわいらしくておとなしい、箱詰めされてお嫁入りするのを待っているだけのお人形さん方」
「辛辣ね」
暁子が言うと「そうよ、実はわたくし辛辣なの」
褒め言葉でも頂戴したかのように倫子はうなずく。
「でも、どなたにでも辛辣な自分を見せているわけではないわ。これぞという方にだけよ」
「そう」
「ええ」
ふふふ、と侯爵令嬢は品よく微笑む。肌に心地いい秋風がそよいでいる。
「ねえ、近いうちにうちへ遊びにいらっしゃらない? そうね、今度の日曜なんていかがかしら」
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