2.つれていかれちゃう


 『猫に優しい街』をスローガンに発展しているこの街には、猫が気軽に集会を開けるよう、小さな空き地が点在している。土管までは用意されていないが、あれは猫型ロボットのいる世界のものだと聞いている。きっとそんなロボットのいないこの世界には、特に必要ないのだろう。土がむき出しになった何もない更地に猫が集まっているのを、たまに見かけることがある。


 もう桜も散り始めている暖かい日、通りかかった空き地の向こう側の塀から突然、見覚えのある三毛猫が飛び出してきた。


「わっ、ゴンゾウさん! 塀の上にいたんですか? 急に出てきたら危ないですよ!」


「にゃっ! るいこぉ、たすけてー!」


「えっ、なにごと!? どうしたんですか!?」


「あのね、やよいちゃんにね……」


「やよいちゃん? 飼い主さんのことですか?」


「うん、かいぬし。おうちに男がきてね……」


「男?」


「つれていかれちゃうー!」


「連れて……って、やよいちゃんが?」


「にゃぁ……やよいちゃんとはなれるなんてぇ……そんなのにゃだぁー!」


「やよいちゃんを、迎えに来た男がいる……?」


 ゴンゾウさんはお客さんたちの中でもしっかりお話ができる方なのだが、必死に話そうとするからか、要領がつかめず質問ばかりになってしまう。せめてがんばって聞き取ろうと、私は財布の入ったエコバッグを両手で抱えながらゴンゾウさんの前にしゃがみ込んだ。


「にゃ……のらになったらせんとうにいけなくなるぅ……」


「そ、そうですよね、ただ、その……、男はやよいちゃんとどんな関係なんですか?」


「むかしの男……」


「!? 何かカッコいい……! で、何で昔の男がやよいちゃんを連れ去ろうと?」


「にゃ……、おれはびっぐになったって……びっぐってなに?」


「びっぐ……、偉大なとか、すごいとか、成功したとか、そういう意味だと思います。その男、びっぐになったって言ってたんですね」


「うん」


「男の名前はわかりますか?」


「なまえはぁ……、ぼぉかる、にゃ……?」


「ぼぉかる」


「うーんと、らい、らいむ……でいんにゃ?」


「……もしかして、ライ麦畑のデインジャー……?」


「にゃ、それ。るいこ知ってるの?」


「超有名なんですよ、最近ブレイクしたバンドで。えっ、本当に? 本当だとしたらすごい」


「ゆうめい……すごい……にゃぁ……ぼぉかる、やよいちゃんつれていく……? にゃだぁ!」


「あ、そ、そうですよね。ごめんなさい、よけいなこと言って」


 ゴンゾウさんがしょんぼりと下を向いてしまう。申し訳ないと思っていると、彼女は「アァアーーン」と悲しそうな鳴き声を上げ始めた。


「ご、ゴンゾウさん、その、大変言いにくいのですが、もう少し声量を抑え……」


「アァァアアーーン!」


「すみません、私が悪かったので……」


「アアアアァァアアーーン!」


「やっ、やばっ、私がいじめてるみたいになってる! ちょちょ、ちょっと失礼しますよ……?」


 通行人にじろじろと見られ、私はエコバッグを脇に抱え直してからゴンゾウさんを両手で抱き上げた。そうしたら鳴きやんだから、わざとだったのだろうか。かわいいから許すけど。


「ゴンゾウさんのおうち、一緒に行きますね……」


「ほんとう?」


「もう、こうなったら仕方ないです……ぼぉかるさんに話を聞いてみたいし」


 ゴンゾウさんが案内するとおり、私は『ぼぉかるさん』と『やよいちゃん』の元へと歩き始めた。



 ◇◇



 案内される道が塀の上だったり人の家の庭だったりしたのはちょっと大変だったけど、何とか建造物・住居不法侵入をせずにゴンゾウさんのおうちにたどり着くことができた。こぢんまりしたマンションの一室だ。


「こんにちは。あの、銭湯でバイトしている及川と言います。ゴンゾウさんを連れてきました」


「まあ……、ありがとうございます。急に飛び出して行ったから心配してたんですよ」


 『ぼぉかるさん』はもう帰ったらしく、私が鳴らしたドアチャイムに出てきてくれた『やよいちゃん』が微笑んで、ゴンゾウさんを受け取った。近くで見ると儚げな美人さんという印象だ。


「あ、いえ。それでですね、その……」


「? 他に何か?」


「ええと……、お引っ越しのご予定などは……?」


「引っ越しですか? 今のところはないですけど……」


「にゃーっ! ぼぉかるいってた、うちでくらさないかって! 一匹になっちゃうぅ! にゃだぁっ!」


 ゴンゾウさんが、『やよいちゃん』の腕の中で必死に訴えている。首を突っ込むのは良くないとわかってはいてもかわいそうになってしまい、私は核心を突いてみることにした。


「……ライ麦畑のデインジャーのボーカルさんが、来たんですよね」


「えっ……?」


「お付き合い、してたんですよね。それで……」


「……な、んで? そんなこと……」


「信じてもらえないかもしれませんが、実は私、猫さんたちが言っていることがわかるんです」


 別に隠していたわけではないけど、言っても信じてもらえないかもしれないと思い、私は猫さんたちとお話できることを誰にも言っていなかった。オーナーや湊くんにも。


「……そう。何だか、わかる気がします。あなたが働いてる姿を見ていれば。猫たちがとても機嫌良さそうにお風呂を楽しんでいるので」


 『やよいちゃん』は、ふふふと軽く笑う。挨拶以外でお話しするのは初めてだけど、眼鏡の向こうの目が優しげだからか、とても話しやすい。


「信じてもらえるんですか?」


「ええ。見てると楽しいから、ちょっと早めに迎えに行ったりしてたんですよ」


「そ、そうでしたか」


 気恥ずかしさを感じ、少しうつむいてしまう。でも、確認しないといけないことはまだたくさんある。気を取り直して、私は『やよいちゃん』に質問することにした。


「お名前は、やよいさん、で合ってますか?」


「はい、合ってますよ。それもゴンゾウが?」


「そうです。やよいちゃんって言ってました」


「にゃっ! やよいちゃんはやよいちゃん!」


 ここでゴンゾウさんが口を挟んだ。『やよいさん』は気に入らないらしい。


「えっ、やよいちゃん? やよいさんじゃだめなんですか?」


「そう、やよいちゃんはやよいちゃんだから!」


「んもう、わかりました。……それでですね、ゴンゾウさん、やよいちゃんだけお引っ越しして連れていかれるって思ってるみたいで……」


 猫に「さん」付け、飼い主に「ちゃん」付けって何かおかしいと思いながらもゴンゾウさんの意思どおりに話してみると、やよいちゃんは一瞬だけ目を見開いてから、またふふふと笑う。でも、その笑顔はすぐに消えてしまった。


「……引っ越しだなんて。昔付き合ってはいましたけど、もう別れた人なので……ありえないですよ」


 寂しそうに、やよいちゃんはそうつぶやいた。

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