日常の歪み

小土 カエリ

第1話 プロローグ 逃避

 日差しがビルの合間を抜けていく。いい天気だ。こんな日は晴天の下どこか散歩にでも出かけたくなる。だが、生憎と今日は仕事の予定があるため、散歩はまたの機会にお預けだ。

 向かいの歩道から手を挙げながら子どもたちが走ってくる。これから学校なのだろう。友達と話しながら笑顔で登校していく彼らを、周りの大人も微笑ましく見守っている。平和な光景だ。子供の頃は俺もあんな風に友達と一緒に登校したものだ。

「そろそろ対象の出没エリアだ。気を引き締めろ。」

 横を歩くスーツ姿の白髪の女性が俺に警告してくる。俺もネクタイを直すと共に、これからのことに意識を向ける。

「わかってる。」

 ここから先に俺の常識は通用しない。待っているのは現実から乖離したモノたち。

 俺は自分の仕事をするために、対象エリアに足を踏み入れた。


 モニターには行方不明者の捜索状況のニュースが流れている。テレビがなくてもパソコンで配信されるニュースが見れるなんて、便利な時代になったものだ。

 精神病院でもらった薬を食後に飲み、一息つく。

「──はい。こちら捜索現場からの中継です。人台市の警官が50名体制での捜索を行っておりますが、依然として被害者発見につながるような手掛かりは見つかっておりません。現場では被害者のモノと思われる血痕も見つかっております。警察は会見で傷害──。」

 俺はパソコンの電源を落とす。今日の夕飯の買い出しの為に外出する準備をする。ずっと着ている彼岸花の上着に袖を通して、鞄を肩から掛ける。

「忘れ物はないな。」

 念のため鞄に薬が入っていることを確認して、玄関に向かう。部屋を出ようとするとポストに投函されている封筒が目に入る。差出人の『神代かじろ刀祢とうや』を見ると俺は小さくため息をつく。父親だ。

 せっかく出かける準備をしたのだ。散歩がてら外で見ればいいだろう。

 俺は封筒を鞄の中にしまうと、鍵を片手に玄関の扉を開けた。


 道行く警官を尻目に、街中を徒歩で移動する。人台市役所の前を通り、いつも使っている駅まで行く。

 天気は曇天で、今にも雨が降り出しそうだ。駅前では警官5名がチラシを配っている。

「よろしくお願いしまーす。」

 俺も一枚受け取り、内容に目を落とす。

 そこには、昼のニュースでやっていた事件の情報提供を求める旨が書かれていた。

 改札を通り、電車を待っている間にチラシの内容を流し見する。身近にこういった事件があるのは怖いことだが、現実感がないというのが正直なところだ。

『行方不明者氏名 目黒めぐろ 未央みお(22)』

 捜索対象になっている女性も知らない人だ。

 最後に目撃された場所はスーパーの駐車場の監視カメラ。夜道を一人で歩いている姿を最後に消息を絶っている。現場に血痕があったことから怪我を負っている可能性が高いとされる。早期発見の為により多くの情報提供を待っている、とのことだった。

 俺はそのチラシを折りたたんで鞄にしまう。

 ぶっちゃけ、俺には関係がないというのが正直な感想だ。事件発生時は家に居たし、何か警察に協力できそうなことはない。行方不明になった人には早く見つかってほしいと思うが、それ以上の感情は湧いてこない。

 それに俺は今失業中の身。他人の心配よりまずは我が身だ。さっさと次の就職先を見つけないといけない。今は前職の貯金があるので大丈夫だが、それもいつかはなくなってしまう。使えるリソースは限られている。

 そんなことを考えている内に電車がホームにやってくる。先に電車から人が降りるのを待って、前の人が進むのを待つ。

 ふと、前の女性に意識が向いた。

 白く長い髪に深紅の目をしている。アルビノ、だろうか。それにしても綺麗な目だ。背も高く、180センチはあるだろう。彼女が履いている靴に目を落とすとヒールではなく頑丈なスニーカーだった。つまり、盛ってなくてこの身長なのだ。体もかなり引き締まっている。鍛えていないとあんなごつごつした手にはならないだろう。

 もう一度彼女の目を見ようと視線を上げると、その目がこちらを見ていることに気が付く。

 さすがに不躾だった。俺はすぐに視線を逸らし、他人であるように装う。その人の視線もすぐに元に戻り、電車の中に入っていく。

 俺もその後に続く。電車の向かい側の扉の横にもたれかかり鞄を盗られないように抱える。この時間帯は席に座れない程度には混んでいる。そのことはよく知っているので最初から扉周辺にいるつもりだった。

 さっきの白髪の女性はというと、席を探してきょろきょろしていた。だが、当然一つも空いているところはない。俺は鞄から携帯を出して午後の天気を調べる。高い湿度と分厚い雨雲。今日はまだ持つが、明日は西からくる低気圧で深夜から雨が確実らしい。

 携帯をしまうと、扉を背もたれにするさっきの白髪の女性がいた。

 今日は日差しが出ていないが、紫外線は降り注いでいるはずだ。アルビノの人はメラニンが少ないせいで、紫外線からの抵抗力が低いと本に書いてあったのを思い出す。

 扉を挟んだ反対側のサラリーマンは、彼女の絶対領域を凝視している。場所を変わる気はなさそうだ。

「あの──。」

 俺はその人の顔を見上げながら、小さい声で話しかける。周りの人の目が一斉にこっちに向く。毎度のことだが、この視線は気持ちが悪い。悪意がないのはわかっているが、人の視線とはそれだけ力を持っているのだ。それが、自分に集まるのはあまり良い気はしない。

 女性は不思議そうな顔をしながら周りを見る。そして、こちらの顔を認識すると首をかしげる。さっきまでの凛とした態度とは打って変わってちょっとかわいい。

「私か?」

「はい。その、紫外線、大丈夫ですか?よければ場所、変わりましょうか?」

 女性はガラス越しに外を見る。

「紫外線…ああ。」

 俺が何を言いたいのか気が付いてくれたようだ。

「ははっ。ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えようかな。」

 女性が俺と場所を変わると向かい側のサラリーマンが不服そうな顔をしていた。そんな顔するなら自分が声を掛ければよかっただろうに。

 その女性とはそれ以上話すことはなく、電車が動き始める。見慣れた光景が窓の外を流れていく。

 別に見返りを求めて声をかけたわけではない。ふつうに手を差し伸べられる範囲だったから動いただけだ。情けは人の為ならず。できる善意はしておいた方が良い。いつ、どんな形になるのかは知らないが、いつかは俺自身に返ってきてくれるとちょっとだけ信じている。

 次の駅が近づいてくる。今度はこちら側の扉が開くので、俺は降りる準備をする。

 駅に止まると俺はもう会うことはないだろう彼女に軽く会釈をして電車を後にした。

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日常の歪み 小土 カエリ @toritotan

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