第17話
ボルテの断片的な言葉を、へカティアは噛み砕くように目を瞬かせる。
そして、震える声で、ボルテに尋ねた。
「……もしかして、あの戦場にいたの?
だから、ここまで来てくれたの?」
へカティアの言葉に、ボルテは答えない。
へカティアの鼻の頭が、赤く染まる。ボロボロと涙を零して、へカティアは叫んだ。
「……バカじゃないの!? 私そんなこと覚えちゃいないわよ! あそこ何百人怪我人がいると思ってんの!?」
そうだろう、とボルテは思う。
へカティアは、ボルテのことを個人として認識していなかった。それは、最初から知っている。
ランパスとは違い、自分は彼女の特別ではない。
「さっきだって、あなたなんか一度も出てこなかった! 私にとってあなたはその程度だったのに、なんで……!」
わからない。
ボルテは、何もわからない。どうしてここまで来たのか、何が自分をここまで突き動かしたのか。
わからないまま、ここまで来た。
――ボルテは、人を殺す仕事についていた。
故郷も親もない。工場のように兵士として訓練され、兵士として生き残った。
生き残った兵士たちは、『機械のようだ』と評される。確実に殺し、確実に生き残る。そのために、余計な思考や嗜好を持たない。思想も感傷もない。
ボルテには、『生きたい』という欲もなかった。『生きよう』と思えば、その欲で隙が出来てしまうからだ。
だが、社会にはある波がやって来る。
『兵器』の発達。一度に人間を『虐殺』できる機械が、大量に作られた。それも、特殊な訓練を受けずとも使える、簡易型の武器が増えた。
時間や金をかけて育てたごくわずかな兵士より、大量の凡人をほんの少し訓練して使い捨てた方がいいと判断されたのだ。
だが、彼らにはそれ以外の生き方はできない。
必要な欲はなく、新しいことに目むきしない彼らは、傭兵として海外へ輸出された。
ボルテは、そんな生き方に対して、特に不満に思ったことは無い。
時代に取り残されようと、ただの消耗される命として駆り出されようとも、ボルテには関係なかった。
ある時、ボルテは腕をなくした。
痛みや恐怖というものを、ボルテは持たない。
考えたことは、「もう戦場に出ることはないのだろう」という客観的な判断と、そこから生じる、自身の未来だった。
ボルテには何も無かったので、結局「兵士以外の自分」を想像できなかった。
だが、「未来」など、いつもなら考えないことを考えたからだろう。
へカティアが治してくれた時、いつもは生じない動揺があった。
その動揺は、無くなったはずの腕が戻ったこと、もある。
けれどそれ以上に、へカティアが、普通の人のように泣いているのを見て、ボルテは目を奪われた。
よかった、と震える声で、顔を真っ赤にしながら、少女は言った。
それが、綺麗だと思った。
綺麗だと思える自分に、驚いた。
普通の人間は泣くのだと、ボルテは知っていた。
自分が育った工場でも、ボルテのようにはなれず、死んでいく人間を見てきた。
最前線に駆り出される兵士らは、今まで戦場を知らずに生きてきた若者で、彼らもまた普通の人間だった。誰かが死ぬのを恐れ、自分たちもそのようになることを恐れた。
けれど、ほとんどは、どんどんボルテのようになっていった。人の生き死にで心を動かしてしまえば、自分が疲れるからだ。
そして、多くの兵士はそれを「弱さ」と見なした。誰かを見下さなければ壊れてしまう心を抱えた兵士は、一際唾棄した。
その中で、ただ一人、へカティアは「普通」だった。
へカティアは恐怖で身体をすくませ、その安堵で泣いていた。他人の命があることに心底安心して、再び患者のもとへ走っていった。
あれだけ心を揺らして、死なないのだろうか。ボルテは彼女の走っていく姿を、目で追いかけていた。
へカティアは、死ななかった。
あれだけ無防備なら、兵士たちに暴行されることもあるだろうと思ったが、不思議なことに、誰も彼女に手を出すことは無い。
誰に対しても警戒することがなく、誰に対しても害を加えない少女は、誰にも汚されることなくそこにあり続けた。
ボルテにとって、武器を持つことは自衛だ。武器を持たなくては、無抵抗だと思われて簡単に殺される。
けれど、へカティアは一切武器を持たなかった。
ボルテは気づく。どんな人間だろうと、彼女は、無条件に目の前にいる人間を信頼しているのだと。だから、殴られるとも犯されるとも思っていない。
それはとても危ういもののはずなのに、やはり、誰も彼女に危害を加えなかった。
『救国の聖女』という立ち位置や、その後ろにある権力が守っているから?
それだけでは守れないことを、ボルテはよく知っている。
確かなものは、拳と銃と金だけ。
そう信じてきたボルテは、実はそうではないのかもしれない、と思い始めた。
自分は決して彼女にはなれない。だが、そういう在り方も、この世界には確かな形で存在しているのだとわかった。
それがなんという名前なのか、ボルテは知らない。それでも、確かにそれは「ある」。
人は、よく知りもしない人間に対して、「生きていてよかった」と言えるのだ。
へカティアがボルテやほかの兵士に対してそうだったように、ボルテもまた、へカティアが生きていることがよかったと思えた。
彼女に、感謝したかった。
ただ、助けてくれただけではなかった。腕を取り返してくれたことでもなかった。
それ以上のものを、へカティアはボルテに与えていた。
そう気づいた時、ボルテは、なんだか嬉しいと思った。
なぜそう思ったのかは、わからない。
ボルテは何も持たない。字は読めるが、本や新聞といった活字を、ボルテは読まずに生きてきた。感情の動きも、それを表す言葉も知らない。
それでも、ボルテをここまで突き動かす、たった一つの理由だった。
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