第16話

 ◆


『アンタは、どうしたい?

 あの子のために死ぬ?

 それとも自分のために、あの子を生かす?』


 闇の妖精と言われる存在は、命を振り絞るように、ボルテに尋ねた。

 ボルテは考えて、答えた。


『……今までの彼女が報われることを、望む』


 それを聞いた時、ランパスは虚をつかれたような顔をして、大袈裟にため息をついた。


『……はあ、アンタたちって、いつもそれね。

 本当の願いは隠して、キレイなことしか話さない。わがままは誰かの迷惑になるとか、他者のために尽くすのが美徳とか、いつもそればっかり。

 アンタの望みは、「へカティアあの子に必要とされたい」、でしょ?』


 唾を吐くように吐き捨てられる。

 そして、その赤い目で睨みつけられた。

 

『あの子には「人に必要とされたい」って言ってたわね。主語をデカくしないと、望みすら言えないって?』


 それは違う、とボルテは答えた。

 確かに、彼女には必要とされたかった。それを隠すために、「人」という大きな括りで語ったことは否定できない。

 だがボルテは、その願いを渇望しつつ、同時にこうも理解していた。

 ――彼女は、自分を必要とはしない。

 それはさみしくもあったが、当然のことだった。

 彼女は、最初から自分を認識していなかったのだから。


 けれど、そんなものはボルテにとって些細なことだ。

 我欲や献身より、大切なものがある。

 それをボルテは、言葉にしたくなかった。


 あまりに大切すぎて、他者に委ねることをしたくなかったのだ。



 ■


 戦闘中に気を失ったのは、何時以来だろうか。

 そんなことを思いながら、ボルテは目を開く。

 東洋では、死ぬ間際今までの人生を思い出す、『走馬灯』というものがあるらしい。そんなことを、ボルテは思い出していた。

 だが、さきほど見たものは違うだろう、とボルテは結論付けた。


 傷はふさがっていた。毒による息苦しさはなく、気だるさもない。へカティアが魔法で治したのだろう。

 そして頭上には、泣きながら手を握るへカティアの姿があった。

 懐かしいな、とボルテは思い出す。


 彼女の目の前で、誰も死ぬことは無かった。

 それは類なるまれな治癒魔法を持つから、ではない。

 どれだけ崇高な使命を抱いても、希死念慮を持つ患者は多かった。

 けれど、どれだけ耐えきれない痛みや屈辱を受けたとしても、兵士のために涙を流す彼女を見ると、誰も、「死にたい」とは思えなかった。


 辺りを見渡すと、三つ首の番犬の姿は無い。

 見ると地面には、血の跡が続いていた。

 三つ首の爪を受けたあと、へカティアが引きずって逃げたのだろう。


「……どうやって逃げた?」


 ボルテの言葉に、わからない、とへカティアは答える。


「あなたがナイフを投げた後、突然光って……三つ首の犬が苦しんだの。その間に……」


 こらえきれず、へカティアは口を開いたまま、はくはくと声にならない言葉を吐く。

 ごめんなさい。

 そう言っているように、ボルテは思った。

 けれどすぐに、ぐっ、と彼女は口をつぐむ。代わりに、別のことを言葉にした。

 

「……あの三つ首の犬が言ったことは本当よ。私に、幻覚のたぐいは効かないの。

 催眠とか、薬物とか、魔法以外にも色々されたけど、何も効かないの」


 なんてこと無く、彼女は振る舞う。

 まるで鼻歌でも歌うかのように、ささやく声で話し始めた。


「私にはちゃんと、かわいい子犬に見えていた。でも、ランパスに『魔獣から襲われる』と言われて、そうじゃないかもしれないって思った。

 奪われる前に奪ってしまえば、守れると思ったから。……ランパス以外どうでもよかったから……」


 彼女の焦点が、ボルテからずれる。


「……そんなどうしようもない人間を、身体を張って守ることなんか、なかったんだよ」


 それは違う。

 ボルテは、そう言おうとした。

 どうでもいいと思っているなら、ボルテを放って逃げ出している。それでも、彼女はここまで引き摺って連れてきてくれた。魔法で治してくれた。

 けれど、言葉にしようとすると、口の中が乾く。

 元々彼は、話すことが苦手だ。仕事以外で誰かと話すことはほとんどない。言葉という形にあてはめようとすると、いつもどうすればいいのかわからなくなる。

 ……だからボルテは、かつて言えなかった言葉を言うことにした。


「ありがとう」


 へカティアの目が、ふたたびボルテの顔を映した。

 細い腕を壊さないように、それでも伝わるよう、ボルテは力を込めた。


「俺を、助けてくれて。ありがとう。……あなたに助けられたのは、二度目だ」


 それが、口下手な男が、何とか絞り出して出した言葉であり、神にも託したくないものだった。

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