第14話
けれど、込上がったのは、喪失による涙ではない。
「……ふざけないで」
鳩尾のあたりから、ふつふつとした怒りがこみあがってくる。
「お父さんたちと海に行きたいって、ランパスと一緒にいたいって、それを願ってこの仕打ち? 私は――私たちは、そんなバカな願いをした!?」
それは、ずっと抱えていた怒りだった。
奪われ続けること。嘲られ続けること。支配されること。我欲が認められず、慎ましさを押し付けられること。
『戦争が終わったら、きっといい職につける』
我慢すればいつかは報われると、そう思い続けて消えていった兵士たちを思い出す。
願いや祈りを、神は叶えない。
報いてくれる神がいると信じさせて、希望を持たせるだけ持たせて、そのための犠牲を払わせるだけ払わせる。
――国は、自分たちに報いらなかった。
拷問にかけられ、地下牢に入れられた時ですら起こらなかった怒りが、中途半端に手を差し伸べてきた女神に対して湧き上がってくる。
「冗談じゃないわよ! 返してよ!
私の故郷も、家族も、時間も平和も――神がいるなら返してよ!!」
殴りつけるように叫ぶへカティアの声が、反響する。
その時だった。
「へカティア、後ろに下がれ!」
ボルテが、へカティアの体を引き寄せ、後ろに下がる。ランパスの遺体は、そのまま祭壇に置いていかれた。
少し遅れて、ダンジョンが地震のように激しく震えた。
あまりの激しさに、天井から、ホコリのような、土の欠片のようなものが落ちてくる。ボルテは、羽織っていたマントをへカティアの頭に被せた。
三叉路の又になった壁。そこが、両開きの扉のように割れる。
その下には、深い穴があった。暗く、何も見えない穴。そこから、恐怖を掻き立てるような音が、どんどん大きくなっていく。
奥から何かが這い上がってくる。
怒りが負けてしまうほどの恐怖だった。ゾッとするような冷たい空気に、へカティアの肌が泡立った。
穴の縁を蹴るように、その生き物はへカティアたちの前に現れた。
ダン、と、鋭い爪を備えた足が、石畳の地面を割る。その衝撃に、ボルテたちの身体が少しだけ浮いた。
おぞましい息を吐く首が三つ。
その口からは、鋭い牙が見えている。
首が三つなければ、その姿は、へカティアがよく知る生き物とよく似ていた。――犬だ。
『女神を侮辱したものめ』
唸り声とともに、人間の話す言葉が重なる。
その三つの声はそれぞれ、老婆のような、少女のような、妙齢の女のような声を持っていた。
『お前は女神の厚意を無駄にした』
『我々の子どもを殺しておきながら』
『まだいたいけな子犬を殺しておきながら』
明確な怒りに、へカティアの体がすくむ。
代わりに答えたのは、ボルテだった。
「待ってくれ。あなたがたが殺したというのは、入口にいた犬のことだろう。彼女には、襲いかかってくる魔獣に見えていたんだ。そこの妖精が、幻覚を見せて」
『そんなはずはない』
ボルテの弁明を、三つ首の黒犬はさえぎる。
『その女には見えていたはずだ。ただ、恐怖に怯える哀れな子犬であることが。
その女は、女神を崇拝する魔女の末裔。
冥府の妖精が幻術をかけようと、効果は無い』
ボルテは目を見開いて、へカティアを見る。
……その真っ直ぐな目に、へカティアは目を逸らした。
『その女は、ただの子犬とわかって殺した』
『それなのに、願いを拒否して戻った』
『あの子犬は、ただ犠牲になっただけ』
『許さない』
『子犬の命を無下にしたことも』
『許さない』
『奪った重みに目を逸らしたことも』
『許さない』
『我らの女神を侮辱したことも!!』
怒りのまま吐き出された咆哮が、風を呼んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます