第13話
それから少しして。
再び戦争が始まるからと、召集がかかった。
植民地だったところが、独立戦争を始めたという。
逆らえばどうなるか。わかっていながら、へカティアは拒否した。
人はこんなにも手のひらを返すように踏みにじれるのかと、へカティアは身をもって実感した。
どれだけへカティアがかたくなな態度でも、彼らは諦めて首輪を外そうとはしなかった。へカティアは、ありとあらゆる拷問をかけられた。あれだけ清らかで不可侵な『救国の聖女』として崇められていた面影は、どこにもない。
それでも、へカティアは死なない。それどころか、無傷のように治ってしまった。空腹にもならず、脱水症状にもならない。どれだけ手酷く扱っても、病人と一緒に閉じ込めても、感染症にもならない。
へカティアの治癒魔法は、もはや不死身の域だった。
へカティアにへつらっていた彼らは、ますますへカティアの治癒能力が欲しかったのだろう。しかも今度は、特別な待遇をするのではなく、屈服させて従わせることを考えていた。
へカティアはとうとう、光が一切差し込まない地下牢に閉じ込められた。
食事も出ない、着替えもない。排泄は床に垂れ流しだ。その上、人は光のない場所で幽閉すれば、数日程度で発狂する。洗脳できるような魔法や薬の類は効かなかったので、代わりに精神を壊して、 身体を好きに使おうという魂胆だったのだろう。
しかし、閉じ込められたへカティアは、あまり変わらなかった。死に対する恐怖も、排泄をそのままにする恥も惨めさも、闇に対する恐怖もない。
むしろ、安心していた。ここには、時間という概念がない。不快感や羞恥心に揺れ動いた心も、だんだん平らになっていく。
外ではどれだけ寝ようとしても、朝日が差し込んで、日付が変わったことを知らせてくる。それがたまらなく嫌だった。
平和を、へカティアは信じることが出来なくなった。きっと戦争はまた始まる。そう思ったら、何かを望んだり、欲することが怖かった。
スペスが死んだ時、へカティアはようやく、スペスと過ごす時間を奪われていたのだと理解した。
命の時間は有限で、なくなったら取り返しがつかない。スペスが死ぬまで、へカティアはわかっていなかったのだ。それがわかった時、へカティアはおかしいと思いながら流されてきた自分の罪深さを恥じた。
おかしいとわかっていたんなら、こんなこと、早く終わらせておくべきだった。
自分は、多くの人の限られた時間を奪ってきたのだ。
消えてしまいたかった。
終わらせたいのに、自分は死ねない。
どうすればいいのかわからない。でも、どうする必要も無いのかもしれない。
ただ、ずっとここにいれば――
『なによここ! きったな!』
汚物と湿気とカビで固まった空気を、切り裂くような声がした。
同時に、パッと明かりがともる。
それは強いものでは無かったけれど、暗闇になれたへカティアにはあまりに眩しかった。
『全く、何なのよ。これが「救国の聖女」に対する仕打ち? おぞましいったらありゃしない!
アンタもね、何時までここにいるつもりなの!? とっとと出るわよこんなとこ!』
光に目が慣れて見えたのは、あの赤胴色の目。
まるで竜巻のようにまくし立てられていたが、へカティアの耳には届いていなかった。
あるのは、光に心を奪われた昂揚。
ランパスの明かりが、へカティアの死にかけていた心を動かし始めた。
ランパスの光より綺麗なものを、へカティアは知らない。
両親と一緒に過ごす、夢のような世界でも、そんなものは存在しなかった。
――あのたった一つの光を、へカティアは手放すことが出来ない。
■
ふわり、と身体が浮いて、とたんに重しがかかったように落ちる。
同時にかつん、と、足音が石畳と反響した。履いていたのはサンダルではなく、脱獄してから買ったボロボロになったブーツだ。
へカティアが目を瞬かせながら辺りを見る。
そこは海の中でも、真っ白な道でもなく、薄暗いダンジョンの中だった。
目の前にいたボルテが、目を丸くする。
「……あれ? 私……」
少しする頭痛に、無意識にヘカティアはおさえようとする。その時、自分の右手に何かがあることに気づいた。
手元には、老婆から貰ったナイフがあった。
「へカティア! 早く!」
鋭い声が返ってきて、へカティアは思わず体をすくませる。
しかし、次に帰ってきた言葉に、ヘカティアは走り出した。
「ランパスが、息をしていないんだ!」
ヘカティアはボルテを押しのける形で、
ランパスの細い腕が、投げ出されるように、
赤い目はうっすらと開いていて、まるでへカティアを待っていたかのように、彼女と目が合った。
へカティアは慌てて彼女の腕を触る。……冷たい。
握りつぶさないように、けれど強い力を込めて、へカティアは魔力を流し込む。
爪の間は、赤土色で汚れていた。
「さきほど、一瞬眠るように倒れて、……すぐに目を覚まして、必死に起き上がろうとしていたんだ」
ランパスが寝ているそばには、小さな引っかき傷が見えた。
へカティアの脳裏に、スペスの死に様が浮かぶ。
最後は暴れるほど苦しんで、吠えるように口を大きく開け、くたり、と目を開けたまま力を失った。
ふとへカティアは、ここ数日のランパスの様子を思い出した。
いくら食べても、太るどころかやせ細り、軽くなっていく体。ダンジョンの中で、危うげに飛行する姿。
予兆はいくらでもあった。それを、「思い込み」と思ってやり過ごしたのは、へカティアだった。
へカティアは、手を下ろす。
何度も、心の中で呟く。
これは、夢だ。
ランパスに助けられた日から、ずっと心に言い聞かせていたことだった。
欲しいと思ったものは、全部なくなる。
欲しいと思わなければ、辛くない。
大切だと思わなければ、失っても悲しくない。
(本当の自分は、きっと、まだあの地下牢にいるんだ)
そう言い聞かせたら、きっと夢から覚めても、悲しくはない。
――そう言い聞かせても、ここへ戻ってきた時点で、なんの効力もなかった。
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