第12話
故郷へ帰ったへカティアはふと、あの兵士の故郷が自分と同じだということを思い出した。
元気にしているだろうか。
へカティアはかつての会話を頼りに、彼の家へ向かうことにした。
そこは、戦争など関係なく、普通の人々が生活を営んでいた。昔ながらの、外部に露出した茶色の梁と、白い壁でできた建物がずらりと並び、通りは活気に満ちていた。
――そして聞いたのは、彼の訃報だった。
『……帰ってきて、半月も経たなかったんです』
呆然としたように、兵士の母が答えた。
目元には、少し黒ずんだ痣があった。
『なにかとつけて乱暴で……食事もせず、お酒ばっかり飲んで……少しの物音で、ずっと、何かにおびえるように……寝る時も枕元に銃を置いていて、怖いからやめてって言ったら、……』
それっきり、彼女は何も答えなかった。
へカティアの目には、気弱で、優しい青年にしか見えなかった。
けれど兵士の母にとっては、ろくに働かず、銃を手放さない化け物のような存在となっていた。
皆知らなかった。戦争というものが何で出来ているのかを。「何を壊した、何を殺したか」の数を競い、身体が破損し、尊厳を踏みにじられ、恥や恐怖を笑いものにされ、そうやって最後は動くだけの屍を化して命を落としていくのだと。
目に見える形では、わからないのだ。――全部へカティアが治してしまったから、腕や足をなくした兵士は、ここにはいない。
誰も知らなかったから、ただの『役立たずで乱暴者の無能』としか見れなかった。
へカティアも知らなかった。
いや、本当の意味では、今も理解していない。
へカティアは、自分が助けた兵士が、人を殺す瞬間を見ていない。
誇らしげに語る兵士たちの『勝利』を、『今日は何人殺した』という言葉の意味を、深く考えていない。
自分の善意が、誰かを殺す瞬間を見ていない。
その暴力の中身を理解してしまえば、自分が壊れるのだと、へカティアはわかっていた。
それ以来へカティアは、何一つ心が動かなくなった。
あれだけ好きだった本も、食事も、何一つしたくなくなった。
――戦争が終わったら、きっといい職につける。よそ者の僕にこれだけ与えてくれた国に、何か出来る人間になりたい。
そう言って、何もかも差し出して、我慢して、耐え抜いて得たこれが、好きなものすら手放した結果だった。
バカみたいだ。
そう思うと、破損した傷を治して、神様のように持ち上げられた自分は、もっとバカなように思えた。
くだらない茶番劇だ。それにのめり込んだ自分が恥ずかしかった。
人が壊れていくのに、どうして自分は喜んでしまったのだろう?
あの戦場で、喜んではいけなかった。使命にすがるべきではなかった。
それなのに、誰もが熱狂していた。
そうしなければ耐えられなかったから?
それもある。
それと同時に、知ってしまったのだ。あの、自分という感覚がなくなり、大勢の人間と一体化する感覚を。自分が強大な何かになった勘違いする、無敵感を。
まだ、街は熱狂している。
戦場を知らない人間が?
それだけではない。
すっかりあの悲惨な過去を、耐えられず美化していく元兵士たちだ。
搾取されているのではなく、自ら使命を賭して戦ったのだと思い込んで、適応できない普通の生活から逃げている移民たちだ。
同じものを共有しながら、へカティアや、自らこの世を去った兵士とは決して相容れない。
彼らの笑顔が頭の中によみがえる。
それがどうしようもなく胸をえぐった。彼らの笑顔を打ち消すように、へカティアは何日も眠った。最低限食事と排泄をして、とにかく眠った。
だから、へカティアはスペスの変化に気づかなかった。
その日、月が眩しくて、へカティアは目が覚めた。
そのあと、荒い息の音が聴こえて、へカティアは飛び起きる。
慌てて明かりをつけて向かうと、スペスが息を荒げながら、寝転がっていた。
『……なんで?』
へカティアが寝込んでいたのは、数日。
その間、スペスの腹には青い血管が破裂しそうなほど浮き出ていて、へカティアが近づいても首はほとんど動かなかった。
ただ、大きく見開かれた赤い目が、困惑するへカティアの顔を映す。
呼吸の間隔が乱れる。
それはスペスのものだったのか、へカティアのものだったのか。
へカティアはスペスの体に治癒魔法をかける。だが、スペスの呼吸は一向に苦しくなるばかりだった。
へカティアは知らなかった。無理に呼吸をさせようと思う方が、より一層苦しさを与えることになるのだと。
引き留めようとする他者の存在が、死にに行くものに苦痛を与えていることを、彼女は知らなかった。
『やだ、やめてよ。なんで治らないの。やだ、やだ、やだやだ……』
へカティアは、魔力を注ぐも、全く効果は無い。
ひび割れた器に水を移し替えるような愚行だった。
それでもへカティアは、ひたすら魔力を注いだ。
『やだ、死なないでよ、スペス。お願いだから』
どうして自分は、この相棒を放置してしまったのか。
後悔ばかりが頭をよぎる。
だが、それ以上に、へカティアには恐怖があった。
『私を置いていかないでよ……!!』
へカティアは、この世界で一人ぼっちになった。
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