第11話

 死んだ父と母に代わり、へカティアが戦場に駆り出された。

 その歓迎ぶりに、へカティアは目がくらみそうだった。

 腕が無くなっても、脚が吹き飛んでも、全部彼女が治した。それで感激されたり、感謝されるならまだわかる。

 それどころか、死を怖がる兵士にへカティアが微笑むと、それだけで感謝を述べられた。

 まるで神様のような扱いに、へカティアは言いようのない不安と、同時に奇妙な安堵に包まれていた。

 見知らぬ年上の男ばかり囲まれて、いじめられないか、へカティアは不安だった。敵意がないということに、へカティアは安心したのだ。


 ここの人たちに受け入れられたと思った。

 喜ぶ顔に、へカティアにも喜びがうかぶ。

 患者の言葉を真摯に聞いた。眠くても身を粉にして働いた。血は怖くなかったけれど、破損した部位は何度見ても慣れなかった。最初は夢に出てきて泣いていた。それでも、自分だけがこれを治せるのだとわかっていたから、腹を括って治し続けた。だんだん嗅覚がアルコールの匂いで麻痺してきて、耐えられないと思った汚れや汚臭も無視できるようになった。何かが壊れる大きな音も、それに警報を鳴らす音も、立っていられない振動にも飽きてしまった。

 自分は戦場で武器を持って戦うことはできないけど、『国』のために働いているのだと思った。

 

 やがて彼女は、『救国の聖女』と言われるようになった。


『ありがとう、聖女さま』

『こんな汚い俺を助けてくれた』

『助けてくれた聖女さまのために、命を懸けてきます』


 ……おかしいと思った。

 へカティアがいれば誰も死なないからと、痛みや恐怖が、置き去りになっていく。代わりに、ズタボロにされた尊厳と、自分や他者を蔑ろにすることで強さを誇る、歪な誇りだけが残った。

 ――『真の国民』と言う言葉が、あちこちで流布される。やれ言葉がなっていない、振る舞い方が『真の国民』ではない。最前線で働く移民たちは、そのような言葉を投げかけられ、そして自分たちもまた、投げかけた。

 彼らは、逃げることを放棄した。『真の国民』では無いと言われて生き残るより、『真の国民』として殉じようとした。

 とても正気の沙汰じゃない。その有様に恐怖を抱き、自分の何かが削れていくのは、自分だけなのだろうか。


『自分は、人を殺せないし、君みたいにすごくないから、これぐらいのことしかこの国に役立てられないんだ』


 疲れきった顔で、それでも笑って兵士はそう答えた。

 夢から覚めるように、だんだん、内部での暴力も目についた。酒や薬任せに、一方的に殴りつけるもの。人を辱め、笑いながら、人を見せ物にするもの。食事や衣服を奪われるもの。

 ――へカティアは『救国の聖女』だったから、それらの対象からは外された。寧ろ、そのようにする人間は、へカティアにへつらった。

 たまりかねず、へカティアは声を上げようとした。それを遮ったのは、他ならぬ当人だった。


『これが自分の役割だから』


 そう言って笑う彼を見て、へカティアは愕然とした。


 やがて楽しくもないのに笑顔を浮かべるようになって、疲弊していったへカティアは、だんだん気づいていた。

 自分という人格は別に、必要とされてはいないのだと。

 ただ、この国には回復魔法の使い手が必要で、兵士が喜んで命を捨てられるような『聖女』が必要で、この戦争には『国のために命を捨てる、取り替えのきく兵士』がいればいいのだと。

 こうやって、誰かを思う気持ちも、痛みや悲しみを抱く人間も、ここでは必要とされていない。


 ……いや、最初から、この世界はそうだった。

 この世界は、ただの舞台装置なのだと、へカティアは気づいた。

 父は父の役割をし、母は母の役割をして、死んだ。


 ――だからへカティアも、我慢してくれ。


 父の言葉で思い出すのは、あの名士の子どもや教師の空っぽの目。

 皆、我慢して演じて生きているのかもしれない。

 ようやくへカティアは、なぜ同い年の子や教師から受け入れられなかったのか理解した。


(この舞台は、誰かが役を放棄したら、自分の役が保てないんだ……)


 皆必死で、綱渡りみたいに今日を生きて、先の見えない今がずっと続く。

 少しでも誰かが抜けようとしたら、しわ寄せがこないよう、必死に探し出して痛みつけて、首輪をつける。

 


 スペスが恋しかった。

 スペスは、人間とは違う。人間に噛みついたり、物を壊すことはなかったが、へカティアの指示は聞かないし、へカティアのためになにかすることもない。

 それでもへカティアは、スペスが必要だった。

 スペスがスペスのまま、隣りにいてくれることだけが、へカティアの喜びだった。でも、スペスが今隣にいなくても、へカティアはへカティアのままだ。


『それに、悪いことばかりじゃないんだ。

 ここではご飯も食べられるし、勉強ができる。前はお金がなかったから、文字も読めなかった。

 戦争が終わったら、きっといい職につける。よそ者の僕にこれだけ与えてくれた国に、何か出来る人間になりたい』


 へカティアの中で、あの兵士の言葉が、ずっと頭に残っている。

 ――それらは全部、何もしなくても、へカティアに与えられたものだったのに、この兵士は自分を差し出して得ていた。




 戦争が終わり、へカティアは家に帰ることができた。

 すっかり有名人になってしまったへカティアは、偽名を名乗ってひそかに船に乗った。両親はとうの昔に戦死していて、家には見知らぬ使用人と、スペスだけ。

 すっかり年老いて眠る時間が長くなったスペスに、へカティアは壊れないようそっと抱きしめた。

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