第6話
ふとへカティアは、ボルテに尋ねた。
「ボルテさんは、家族、いないんですか?」
ボルテは、躊躇う素振りを見せる。
それが答えなんだろう。へカティアは目を伏せる。
軍に籍を置く人間は、守る家族がいるからそこにいる。
それが例え最前線であろうとも、一族の命と名誉を守るために、若者たちは命を張るのだ。
だが、そればかりを続けると、国民から反発を食らう。
だから最前線には、『真の国民』として認められていない移民の一族か、雇った外人傭兵を置く。移民の一族はその国に根付くため――『真の国民』と認められるため、必死に命を張る。だが、傭兵には金だけだ。金で雇われたぶん命を張り、見合わなくなったら去っていく。
彼らは冷酷な契約者であり、契約を守れば、絶対に裏切らない忠実な駒でもある。
そんな傭兵が、無償で働くという。「人に必要とされたい」という理由で。
……自分の命に替えてでも守りたい誰かがいるなら、きっとそんなことは考えない。
もし大切な人がいたなら、彼は『時』を取り戻したいと思うのだろうか。本当は、そちらが目的なのではないか。
そんなことをへカティアは思ったが、口には出さなかった。詮索されたくないだろう、と思ったからだ。
「――私、犬を飼ってたんです」
代わりにへカティアは、自分の家族にすり変えることにした。
「大きくて黒い犬で、ちょっと素直じゃなくて、でも優しくて、いつも一緒でした。……今も思い出せるのは、あの犬のことぐらいです」
へカティアはその犬に、『
スペスだけが、へカティアにとっての家族だった。
父と母は不在で、幼いうちに戦死している。使用人はいたが、立ち代り入れ代わりが激しく、態度は優しくともあまり長くいられる大人はいなかった。
「……犬か」
ボルテが呟いた。
「犬、お好きですか?」
「いや。俺の名前が、『
それだけだ、とボルテは視線を地面に落とす。
強い眼光を放つ目は、今は目尻が下がり、黒目が大きく見える。こうしてみると、日の下で見た時より、ずっと若く見えた。
(この目で、思い出したんだわ)
へカティアは、なぜ愛犬のことを思い出したのか、理解した。
自分を見つめる目が、スペスとよく似ているのだ。
(あの子の瞳の色は、ベテルギウスのように赤い目だったけれど……)
へカティアがそう思った時、ふあ、と溶けるようなあくびが聞こえた。
声のする方へ向くと、ランパスが身体を起こしていた。真っ直ぐな髪が少し跳ねている。
大きく開かれた口が閉じたあと、細めた目が大きく開かれ、赤い瞳がへカティアの顔を映した。
「なんだ、もうへカティア起きてたの」
そう言うと、羽をふるわせて飛ぶ。
途中、ランパスがふらっと姿勢を崩した。慌ててへカティアは手を伸ばすが、ランパスはそれを交わすように上昇する。
ランパスは、なんとかへカティアの肩に腰を下ろした。
「……とと」
「大丈夫?」
へカティアが心配して声をかける。だがランパスは、「へーきへーき」と手をヒラヒラと振りながら足を組んだ。
――相変わらず、ランパスの身体は軽い。
そう思った時、どくり、と、脈の音が耳元で鳴るような不安に襲われた。
「それより、先進みましょ。ほら」
だが、いつも通り傍若無人な振る舞いをするランパスの姿に、へカティアは不安を押し込めた。
更に奥へ進んでも、魔物はあれっきり出てこない。ただ、ランパスの光では届かない真っ暗闇の道は、どこまで進んだのかわからない。
やがて、突き当たったと思った時、道が二つに別れていた。
へカティアたちは、一度足を止める。
三叉路の又になった壁は、
「……ああこれ、古代文字ね。へカティア、ちょっと壁に近づいて」
ランパスに言われるまま、へカティアは壁へ近づく。
ある程度近づくと、ランパスは自力でくぼみの方に飛んで行った。
ふうん、とランパスはつぶやく。
「あっちが『海』で、こっちが『空』だって。どっち行きたい?」
ランパスに尋ねられ、へカティアは困った。――これは、何かの謎解きだろうか。
ボルテの方を見るが、ボルテの表情は何も変わらない。判断はへカティアに任せる、ということなのだろう。
「えっと……じゃあ、どちらかと言えば『海』?」
へカティアの言葉に、ランパスは「わかったわ」と答える。
なにかの罠かもしれない。
警戒しながら、へカティアは前へ進んだ。
――その途端、彼女の目に飛び込んできたのは、目がくらむほど眩しい光だった。
思わず腕を前に出して遮り、それでも眩しいので目を閉じる。後ろに控えていたボルテが、とっさに二人の前へ出たのを、へカティアは足音で気づく。
やがて眩しさになれて、なんとかへカティアは目を開ける。
「……え」
きらきらと、光が布を広げたように輝く。
その光を受けて、透明な水泡が、どこまでも見えるほど透明な水の中で白く輝き、一瞬だけ呆然と見つめるへカティアの表情を映した。
頭がぼうっとなるような、低い音。
色とりどりの魚たちが、自分の頭上の上を泳ぐ。透明な水は空まで映していて、自分の髪が重力に逆らってのぼっていた。
白い砂底には波の影が落ち、へカティアが伸ばした腕には、青い影がゆらめいている。
そこは、水の中の世界だった。
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