僕と花子の『交信』日記

玄瀬れい

どうかまた花子さんに――

 はあ、はあ、はあ、はあ。だめだ。どこも暑くて息苦しい。早く、早く。

 ガチャ。キ――、バタン。良かった。今日も誰もいない。水色を基調とした学校では珍しいタイルの部屋。大きくはないけど、人ひとり過ごすには十分な広さがある。いつものように蓋を開け、椅子に腰掛けた。

 よし。食べるか。もうかれこれ一年。抵抗はない……ことはないけど、そんなこと気にしていたら場所を探しているだけで時間がなくなってしまう。今日は卵焼き、唐揚げ、おひたし、味噌汁。この形の食事になって初めて味噌汁を厄介に感じるようになった。でも今日はやけに味噌汁の温かさがありがたい。唐揚げの脂っこさゆえかな。にしても、やっぱり量がある。一応、運動部に入っていた。もう過去の栄光でしかないが、中学の頃は勝ち上がるチームに所属していてだったからお弁当は箱の数からして人よりも多い。高校に入りサッカー部に入部したけど、馴染めずにすぐ辞めた。今思えばあんな陽キャの集まりのような部活によく魅力を感じたものだ。クラスでハブられ、部活は陽キャに取り上げられ、理想は壊れた。もはや、学校に来る意味も目的もない。もちろん流れとはいえ、大学進学を見越して入学した。学校にいると周りに気を遣っていれば授業どころではなく、点数は意欲とともに落ちていく一方だ。だから、いっそのこと中退する方が、全てにおいてプラスだ。マイナスな要素なんて見当たりもしない。はあ、やめようこんなこと。考えたって変わりゃしない。お弁当がおいしくなくなるだけ。

 

 ……大学進学。壁に掻かれた必勝祈願を見つめる。

『T大学に受かりますように 米本琉太』

『甲子園に行くぞ 木下青』

 これが消されないのは誰もここに通っていないことの証拠だ。高校受験のときに塾の机に似たようなのを見た覚えがある。ある先生は『本当困るよな。器物破損だぞ。お前らはすんなよ』と。またある先生は『そこまで頑張ってたのを知ってるし、そこまで精神が追い込まれ、苦しくなってる奴のこと、憎めないよな』と。僕はどちらかといえば後者の先生と同じような気持ちになる。もう決まってるであろう進路が彼らの望み通りになるよう祈ってしまう。祈りなんかに意味はないのに……。

 僕もひとつ書かせてもらおう。

『友達ができますように』

 教室にいると、人に酔ったみたいにだめになっちゃう。2つの願いには霞むけど、精神が追い込まれてるというのもあながち嘘じゃない。後者の先生なら許してくれるだろうし、他にも理解を示してくれる人が現れるだろう。でも一応……。誰にも見られませんように。それも同時に心の中で祈った。


 ◇


 やっと四限が終わった。お昼。さて、行きますか。今日は比較的心が穏やかだ。そう。金曜日なのだ。政経、物理、古典、数Ⅱ。生徒に一切喋らせない教科だから、みんな集中力を使い、休み時間は寝てるか必死でノートをまとめてるか。もちろん、教室の外へ一歩出れば、そんな事情を知るはずもない他クラスの生徒の波が押し寄せている。それでも、彼女たちの合間を縫って歩くくらい今や造作ではない。

 よし、いただきます! お、今日はハンバーグじゃないですか。例に違わず、僕も眠気に襲われていたから、ここにきての好物は嬉しい。

 うん、なんだこれ? 壁の文字が増えてるような……。あ、そうだそうだ。昨日、自分で壁にお祈りを書いたんだった。でも下に明らかに自分以外の筆跡で何やら書いてある。

 『かわいいお願いね。常連さんだから答えてあげる。ここに来るのをやめるのが一番よ』

 へ、返信、なのか。返信が来ている。ど、どうして? 常連? 監視されてる? ここはもう使われていない三階の旧図書室の前のトイレ。旧図書室が閉まっているために、僕はここでお弁当を食べている。ここに書かれていた2つの願いは旧図書館が機能していたときのものだし、僕は誰ともここで人に出会っていない。他にここで食べる人がいない保証はないけど、いないはず。怖さよりも今は興奮と好奇心の方が大きい。他に来ている人がいるのなら……。よし。

 『そうだよね』

 自分の震える手に不安を煽られる。ふーっ。

 『でも、僕はここが落ち着くんだ。君は一体?』

 ご法度だと思う。こっくりさんとか、そういうのに『あなたは誰?』を聞くのはご法度だ。わかってるけど、知りたいから。

 午後五時。一通りの授業を終え、本来ならもう帰っている時間。しかし、土日を持ち越すわけに行かない課題がここにある。返信が来ているのかを確認しなきゃならない。終業から30分。未だドアノブを持てさえしていないのは恐怖心だ。やめておけと脳に制止されている。でも、こうしていても時間の無駄だ。ふー。行こう。

 ガチャ。1つ目の扉を開き、中に入る。扉はもうひとつ。目的地は個室の中の壁。よし。ガチャ。

『友達がほしいならそれなりに勇気が必要ね。それと名前は秘密よ』

 時間的に生徒はありえない。トイレのお化け……。


 ◇


 ゴシゴシゴシゴシ。くそ。全然落ちない。あれからトイレの壁で何十往復とやりとりを続けた。毎日、昼に一言書いて、次の日確認する。長文は話せないからゆっくりだけど、いろんな話を聞いて貰った。今日は夏前の大掃除。大掃除の日は生徒がうごめき回っていて、とてもじゃないけどあっちにはいられない。だから、今日はこの壁をきれいにすることにした。どうせ冬にはこのトイレは改修されるんだけど。にしても、ぜんぜん消えていかない。1つ1つのやりとりに思い入れがあって、消したくない気持ちが勝ってしまっているのだと自分でも分かる。

 ガチャ。

 人? 僕は道具を蓋の上に置き、部屋を飛び出した。追いかけたけど、追いつけなかった。でも、部屋を出た一瞬見えた人影は幻影ではない。確実に誰かここに。

 戻ると僕は必死になって、全てを消した。先輩達の祈願と花子さんから一番最初にもらった返信は特に質圧が強く、僕の全握力だけではせいぜい薄くなるだけだった。僕は初めて話したあの日から少しして、花子さんの正体を探るのを。だから、霊的な力で書かれた字なのか、ただただ消えづらい何かで書かれたものなのかはわからない。諦めるか。最後にバケツで洗い流し、濡れた壁を新品の雑巾で拭いた。

 次の日になり、僕はいつも通り、部屋の扉を開いた。そこには限界まで展開されたトイレットペーパーが二ロール転がっていた。驚きつつも、僕は芯を掴み取り、ロールを巻き直した。後半不自然に毎周毎周文字が一文字ずつ書かれていた。巻き切るとそれは横並びになり、文になった。

『なんで消したの?』

 これは確か有名な暗号の一つだ。フェイクの文がないから完成はしてないが、一定の大きさの円柱に巻き付けたときだけ、意味のある文を生む暗号方法。ちょうど先日で習ったものだ。僕が壁を使いたくないのを気づかってくれたのか。明日あたり使いやすい筒と紙を持ってこよう。


 ◇


 は――。眠い。こんな太陽の下にほっぽりだされて、まともに競技も割り振られず、眠いだけの体育祭。 時間の無駄だ。教室の出入りを封じられ脇で座っている以外選択肢がない。エキシビション多すぎないか。帰宅部はつまらないだけですが……。夏が明け、早くも数日が経った。相変わらず、トイレに通い続けている僕はいつもよりその頻度を高めていた。正直大変だけど、早起きして朝訪れ、終業後も欠かさずに通っている。突然『SOS』の三文字を最後に花子さんからの連絡が途絶えたからだ。何が起きているのか分からないし、何かしたくても待つことしか出来ない。このときにもなにかが起こっているかもしれない。

 途方に暮れているとプール場の方へ向かう人影を見つけた。あっちは競技ないはず……。僕もそっちで考えよう。

 やっぱ静かだな。ここからなら学校を逃走でもできそうなくらいだな。しないけど。そういや、プールなんていつしたのが最後だっけな。

「よし、脱いでいいよ」

 は? 裏か? 物陰に隠れて覗いてみる。さっきの人たちか。あれは……カップルか? 高校生って放置されるとこんな時にもイチャイチャするのか。教室で見るよりよっぽど目障りだな。

「やだ。もう無理。あなたの相手はできない。私はあなたが好きじゃないの。何度言ったら分かるの!」

 ん? 話が変わってきたぞ。

「勝手なこと、言ってんじゃねえぞ。告白したのはそっちだろうがよ」

「あなたがこんなに束縛の強い人だなんて思わなかった。付き合って次の日、私の友達に『俺の女に手を出すな』なんて……終わってる。あなたのせいで、今、私ひとりぼっちよ!」

 最悪な奴だな。天賦のぼっちな僕と突き落とされてぼっちになった彼女。彼女の方がよほど居づらいはずだ。

 やべ! 彼女と目があってしまった。必死に隠れるが時既に遅しで、彼女はこちらに駆け寄りながら言い放った。

「ダーリン。助けて!」

 !? えー!?


 ◇


 う、うぅ……。

あきらくん? 起きた?」

 どこか心地のいい薄暗さの中で耳に馴染まない声を聞いた。

「さっきの人?」

「そうよ。起きあがらないで」

 僕の肩をベッドへ押し戻す。

「助かったわ。明くん、あんなに足上がったのね。それに演技も上手」

 自分でもよく分からない。気づけば近付いてきた男に足を振り上げていた……。

「それは本を読むのと……」

「読むのとサッカーをしてたことでしょ?」

 食いぎみに、僕の台詞を奪った彼女はまるで昔からの顔見知りのように笑顔を見せた。

「彼、前からひどかったから相談してて、ここ旧図書室で休ませてもらってたの。わかるでしょ?」

 まさか。いや変ではないか。

「そうよ。今度からはあなたもお出でなさい。開けておくわ」


 ◇


 改修がすぐそこに迫り僕は憂鬱な日々を過ごしていた。体育祭の後、結局ここでのやりとりを続けた。改修が終われば、ここもそこの図書室も僕らの聖域ではなくなる。そしたら……。もはや見られなくなるであろうその壁に最後の祈願を刻んだ。

 

『どうかまた、花子さんに出会えますように』

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