2 ジャックとビビ

 ジャックはエティンと別れ、殉職した魔法使いたちの共同墓地に足を運んだ。手入れの行き届いたそれらをひとつひとつ丁寧に確認し、とある墓石の前でしゃがみ込んだ。彼のもう一つの目的地だった。


「お兄ちゃん、おなか痛いの?」


 声の先に視線を向けると、ふわふわとした淡い金髪の小さな女の子がいた。若草色の澄んだ瞳が心配そうにジャックを見つめている。ここに到着した時に目が合った女児だった。すぐに金色の顎髭を蓄えた父親らしき男が駆けつけてきた。


「ああ、子供がすみません。おや、魔法使いさんですね。いつもありがとうございます」


 父親は快活な笑顔を見せ、軽く礼をした。ジャックもそれに倣った。


「いえ僕は別に、以前は魔法使いでしたけど今は違いますし、お礼を言われるようなことは」


 何もしていない、魔術は捨てたし、魔法使いとして何もできてないし、と言葉を絞り出そうとしたが、先に相手が口を開いた。


「失礼しました。……この子と妻は昔、貴方のような魔法使いに助けてもらったことがあって」


 違う、それは僕じゃない。ジャックは頭の中で否定した。

 親子連れを助けたことはありません、と伝えようとしたが、これも言葉にはできなかった。苦い感情がじんわり込み上げる。

 本当は自分が無能であることなど認めたくなかった。有能な人間だと思われたかったし、そうなれると信じていた。

 しかし現実は容赦なく己の不甲斐なさを突いてきた。

 次こそは立派にやり遂げようとして、でも周囲のようには出来ず、言葉だけが先走る。結果は散々。誰一人助けられない。大切な人は自分の身代わりになった。口だけの、役立たずのお調子者と謗られ、足掻けど苦しく逃げた過去がのしかかる。

 ジャックの悔恨をよそに、父親は続けた。


「貴方ではないのかもしれませんが、貴方のようなお若い方だったのは確かです。おかげで妻も無事で、私はこの子に会えました。このような形で失礼かもしれませんが、どうかお礼を言わせてください」


 父親は頭を下げ、感謝を伝えた。

 ふと、ジャックの服の裾が引っ張られる。そちらを見ると、先程の女児が、少し寂しそうに彼を見つめ返していた。


「あのね、シアがママといっしょにいた時にね、お兄ちゃんとお姉ちゃんが助けてくれたの。ママ言ってた。でもお姉ちゃん、けがしたの。ここで休んでるって。お兄ちゃん、ごめんね。ママとシアを助けてくれてありがとう」


 ジャックは瞠目した。

 子供を助けた記憶はない。だが思い出したことがある。自ら封をしていた記憶の蓋が大きく開いた。




 ──魔法使いとして職務について二年ほど経過したある日。ジャックは同僚の彼女とともに身重の女性を瘴気の具現化から助けたことがあった。

 その時に、彼女は自分を盾にした。

 退路を作り妊婦の一般人女性を逃がそうとするジャックと、彼らと敵との前に立ち、あらゆる術を尽くして時間を稼いだ同僚。

 勇気も正義感も、無鉄砲さも、ジャックとは段違いだった。

 学生時代、出会ってしばらくは犬猿の仲だったのに、いつしか彼女の近くにいることが多くなった。ころころ変わる嘘のつけない豊かな表情と、何事にも全力で向かう姿勢にやがて好感を覚えた。不思議と居心地が良くなった。


 ──早く!全員じゃ間に合わない!その人を守って先にここから出て!あんたならできるから!


 ──ジャック、後でちゃんと、迎えにきてよね!


 埃と血と泥だらけの顔で勝気に笑った顔と、ほんの僅か震えた声が鮮明に蘇る。あの時、せめてもの一助になればとジャックは自分の使い魔を彼女に託し、女性を支えながら必死に逃げた。

 あれが、彼女の最期の言葉だった。

 再び現地に駆けつけた時は、使い魔の姿も、見慣れた明るい彼女の姿もなかった。

 それから後のことは、まだ思い出したくない。まだ、もう少し。でも──




「……遅くなってごめん」


 ジャックは墓前に小さな箱を置いた。

 赤みがかった深い黒茶に繊細な金の縁取りが上品な、細やかな宝飾品を入れるための小箱。まだ彼が魔法使いだった時に購入し、仕事が落ち着けば彼女に渡すと決心して、結局渡せなかったもの。


「すごく、遅くなったけど、迎えにきたよ。……っ、ちゃんと、来た、から」


 涙が溢れて止まらない。

 己の無能さ無力さに失望したあの日。希望を持って学んだはずなのに、魔法使いでいること、魔法大国ソフィーリャにいることが怖くなった。先生や先輩方は心を砕いてくれたが、彼らにも墓前にも挨拶せず魔法と縁の薄い故郷に逃げた。過去に蓋をした。積み重なる自嘲。付き纏う不安。うっすら焦燥感を燻らせながら、日々をなんとなく過ごしていた。


 しかしある日、大いなる力の小さなかけらであるエテリア──エティンが来た。

 彼は全てを否応なしにひっくり返した。

 気がつけば怒涛の日々になっていた。

 鬱々する間もなくなった。


「ごめん、ビビ、本当に、遅くなってごめん、間に合わなくてごめん。迎えに行けなくてごめん。あの時怖い思いさせてごめん、痛い思いさせてごめん、僕ずっと逃げててごめん」


 そっとビビの名が刻まれた墓石に手を置いた。落ちた涙が墓石に滲む。脇目も振らず、ジャックは泣きながら謝り倒した。とめどなく溢れる彼女への謝罪の言葉をひたすらに続けた。


「お兄ちゃん、魔法つかえて、しょうかん?もできるの?すごいね!」


 突然、先程の女児の声が耳に入った。驚きと好奇できらきらと弾んでいる。

 使い魔はすでに亡くしているから召喚術は使えないはずなのに、と疑問に思いながら涙を拭いて顔を上げると、墓上に女性の姿があった。


 ビビがいた。


 少し朧げだが、小箱と同じ赤みがかった深い黒茶の、顔の真ん中で分けた短いボブの髪に、同色の朗らかな大きな瞳の若い女性が、柔らかな表情でジャックを見つめていた。

 ジャックは開いた口が塞がらなかった。理解が遠く及ばない。

 頬をほんのり薔薇色に染めたビビの口が動いている。顔も喜んだり笑ったり、かと思えば少し悲しそうにしたり。目も相変わらず表情豊かで、身振り手振りも使って何かを伝えようとしている。しかし声は聞こえない。

 しばらくして、ビビの姿はふわりと消えた。

 来るのが遅すぎて幻覚を見たのかもしれない、そうに違いない、とジャックは自分に言い聞かせた。


「そーなの!この帽子のお兄ちゃんすげーの。フェルティナからソフィーリャに来てお仕事をやり遂げてるんだよ」

「すごーい!せかいをまたにかける?人だね!」


 聞き覚えのある声が、耳と脳と情緒をぶち破る。

 勝手に話を盛っては返す、つい先ほどあるべき場所に帰ったはずの、夕焼け色の目に白い長髪の端正な男。

 勇者の墓の最深部で別れたはずなのに、何故ここにいるのか。空間に溶けゆくさまを目に焼きつけた、あの惜別の時間は何だったのか。

 彼は子供と目線を合わせるようにしゃがみ込み、喋り始めた。


「俺さー、他所で迷子になってたんだけど、あの帽子のお兄ちゃんにここまで連れてきてもらったんだ。あとお墓にお届け物をするお仕事も今終わったかなー、どうかなー」

「わあー!帽子のお兄ちゃんかっこいい!」

「は?その声!誰?いや誰じゃない!えっ君なんで誰!はあ!?」


 ジャックはその場に尻をつき、消えたはずのエティンを見た。先程のビビの件といい、あまりに混乱して自分でも何を口走っているのか分からない。


「またね、って言ったしー?あとお前がちゃんと指輪渡せるか見張りにきた。俺はとても面倒見がいいので」

「白いお兄ちゃんやさしいね!」

「だろー?」


 エティンが女児に向かって手を振った。シアも好奇心旺盛な目を輝かせて笑顔で手を振り返す。流れるようにハイタッチをしていた。早速シアはエティンの珍しい外見に興味を持ったようで、彼の長い髪や服の端、顎のあたりをいじり始め、すぐさま父親に止められた。父親はエティンに深々と謝罪し、子供を連れて立ち去った。エティンはシアに応えるように手を振り、ジャックも立ち上がって別れを告げた。


「……何しに来たんだよ」

「お礼をしようと思って。でもお前とビビの承諾がないと無理だから、許可を取りにきた。箱開けて」


 エティンの有無を言わさぬ口調に憮然としたものの、ジャックは言われるがままに箱を開けた。淡い曙色の石が優しく輝く、華奢で上品な指輪。その石の部分が何かを訴えるようにきらきらと煌めく。

 瞬間、何かが箱の中に吸い込まれた。

 指輪は淡い光を纏い、やがて消えた。


「あ!許可どころか勝手に入りやがっ……うーん、まあいっか!」

「いいのかよ!?」


 まるで想定外だと言わんばかりの焦りと変わり身の早さに、ジャックはいよいよ胃と頭が痛くなった。

 そしてもう一つ、嫌な予感がした。

 エティンの一連の行動が、召喚術を使う時に行う被召喚体、いわゆる使い魔との契約を彷彿とさせたからだ。

 こいつ、まさか。


「さて本題。今しがた、ビビがこの中に入った。この指輪があれば、お前はビビを召喚できる。公私ともに正真正銘の伴侶だ。ただこれを持つからには、お前はまた魔法使い、召喚士として生きていくことになる。どうする?」


 的中した。

 あって無いような選択肢に、ジャックは苛立ちをおぼえた。ビビを人質に誘導されているようで腹立たしい。こんなの滅茶苦茶だ。彼は大きく溜息をついた。

 

「くっそ、何だよ、はいか承知で答えろ、みたいなその二択」


 忌々しげに放ってやるが、その言葉にエティンは薄く微笑むだけで、何も答えない。

 ジャックはわざとらしく息を吐いた。目の前の白い男を睨む。


「……やるよ。やればいいんだろ」


 あの時、最愛の人は命を落とした。

 しかし彼女の言葉を優先し、断腸の思いで我慢をした結果、彼女が命を賭して助けようとした人を守ることはできた。

 今回も、エティンの神秘の力を狙う輩を潰すことはできず、ただ逃げるしかなかった。

 しかし文句を言いながらも、本来あるべき場所まで彼を無事に運ぶことはできた。

 次もきっとジャックの思うようにはいかないだろうし、自分自身に失望する日も、理不尽だらけで悪態をつく日もあるだろう。でも。

 何回目だったか、エティンの言葉がふと蘇る。


 ──お前は自分に蓋をしているだけで、ちゃんと力を持ってるよ。見てないだけだ。あと、愚痴とか文句言いながらも、面倒くさくてもやるべきことは毎度ちゃんとやるし。凄いし偉いと思うよ。俺やらねーもん。


 実感は今も伴わない。

 今後出来るかどうかも分からない。

 だが、腹は括った。


「もう絶対に失わない。失うくらいなら何でもやってやる。だから指輪を」

「えーっと、超カッコ良さげなとこ悪いんだけど」


 ばつが悪そうにエティンが遮る。


「サイズ合わなくね?」


 その一言に、ジャックは崩れ落ちた。




 指輪は箱の中に行儀よく収まったまま、ひとまず蓋が閉じられた。小箱はジャックが大切に持つことにした。「俺が持とうか?」というエティンの言葉は断固拒否された。


「後で俺が魔法でお前に合うように大きさを加工してやるから。その前にほら、そろそろ飯食おう。腹減った。俺ふわっふわの蜂蜜バターパンケーキがいいなー。ベリージャム山盛り添えたいなー」


 エティンの希望をよそに、ジャックは少しの間だけ姿を見せたビビのことを考えていた。あの時、彼女はなんと言っていたのだろう。

 そう思うや否や、エティンがいきなり紙を渡してきた。


 ビビの言葉。

 久しぶり。

 ありがとう。

 顔が見られて良かった。

 嬉しい。

 ジャックに託してよかった。

 残った方が辛いのに、ひとりでずっと悩ませて苦しませてごめんね。

 話聞かせて。

 あとは分からん。


 魔法で作られた、数分で消えるメモ。

 これを詠唱も術式も道具もなしに一瞬で作るのだから、エテリアの力──分身のような小さな欠片とはいえイモーテルの持つ力は恐ろしい。


「勝手に人の心を読むなよ!」

「いやお前声漏れてたし。イモーテルの力でもさすがに人の心や思考は読めねーよ」


 そう言ってまた彼はパンケーキの話に戻った。今は季節限定のジャムの種類に執心している。


 ジャックは再びメモを見た。

 彼が記してくれたビビの言葉に何度も目を通す。頭の中で反芻して噛み締める。ビビの声がエティンに聞こえて自分には聞こえなかったのが少し癪だが、それもおそらく彼の持つ特殊な力なのだろう。それ以上にメモへの感謝と、彼女への愛おしさがますます募った。嬉し涙で文字が霞む。

 召喚術の特性上、おそらくジャック自身がビビを召喚すれば彼女の声は問題なく聞こえるはずだ。

 早く会いたい。話したい。声が聞きたい。最初の言葉は何だろう。伝えたいことが山ほどある。

 ジャックは小箱にキスをして、それをそっと上着のポケットに閉まった。

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