その後の話

kaya

1 ジャックとエティン

 勇者の墓、と呼ばれるソフィーリャ国立緑地公園墓地に着くと、長い白髪の青年エティンは立ち止まり、開放感あふれる声とともに大きく伸びをした。


「着いたー!なーつかしー!」


 豊かな長髪と、ゆったりとした薄墨色の年季の入ったローブが緩やかに風に靡く。公園を見渡す瞳は夕焼け色に煌めき、角度によって赤や柑子色、紅掛の空色など複雑に表情を変えている。陽は実のところまだ高い位置にあるのだが。


「いやー長い旅だったー!ジャックもお疲れー」

「ああもう本当に疲れたよ!君の無茶振りに毎度死ぬかと思ったし!奴らに追われたし!なんで僕だったのさ。何の力も無いのにさ。まったく」


 ジャックと呼ばれたそばかすの青年が頭を抑えて毒づいた。肩にかかるくらいの、癖のない黒栗色の髪に同系色の目。緑がかった薄茶色の細身のジャケットに同素材のニッカーボッカーズ、キャスケットと、エティンに比べたら洒落た身なりをしている。しかし手入れしたはずの深い黒茶色の革靴は汚れ、道中の厳しさを物語っていた。

 今までの鬱積を晴らすべくキャスケットを地面に叩きつけた瞬間、通りすがりのふわふわした金髪の女児と目が合った。若草色の大きな瞳をぱちぱちとさせて驚いている。

 ジャックは「ごめんよ小さなお嬢さん」と咳払いをして帽子を被り直し、素知らぬ顔で肩にかかる黒栗色の毛先を整え彼女のほうにちらりと目をやったが、すでに女児の姿はなかった。エティンは必死に笑いを堪え、しかし堪えきれず頬と肩を震わせ鼻の穴を膨らませている。

 我慢と笑いが落ち着くと、エティンが改めて口を開いた。


「なんでお前だったかって?それは持ってきた奴に聞けって何回も言ったろ?その時は俺封印されてたから知ーらない。あともひとつ」


 エティンの黄昏色の目が悪戯っぽく弧を描いた。


「お前にはちゃんと力があるよ」


 はいこれ八回目ねー何回言わせんのー、と茶化すような口調で白い男がニヤリと笑った。ジャックの視界に自分が入り込めたことを確認すると、満足げに先を進む。

 ジャックは顔を顰め、大きく溜息をついた。


「だからジャック、後でちゃんと墓参りしろよ。彼女、多分ずっと心配してるしお前のこと待ってたと思うし」


 エティンが振り返らずにジャックに伝える。

 ジャックは無言で彼のあとを歩き始めた。自嘲を含んだ哀れみの翳りが顔にうっすら灯り、そして消えた。

 ここには一般人だけでなく、殉職した魔法使いも数多く眠っている。

 ジャックが将来を誓い、しかしそれが叶わなかった同僚の女性も、例外ではなかった。


 うららかな春の陽射しが心地よい。

 人々も鳥たちもおしゃべりに花を咲かせ、猫や鹿たちは日向ぼっこに興じている。

 ジャック達は色とりどりに賑わう緑地公園を抜け、一般人の墓地のさらに奥側に進んだ。結界の前で魔法による確認を受け、門番である犬に似た動物の像に許可証を提示する。決して一般人には開かれることのない、美しい曲線で形作られた錬鉄の門の中に、二人は足を踏み入れた。




 勇者の墓、その深部。

 本来であれば魔法使いの中でもごく一部の、管理者級の者以外は立ち入ることを許されない、閉ざされた空間である。

 多様な草木が生い茂る森にも似た場所だが、そこかしこに『瘴気を貪るもの』という、楕円やアーモンド型の半透明の頭部に蜘蛛の脚が生えたような魔法生物がきらきらと浮かび、あるいは歩行している。そのせいか周囲は明るく感じられた。

 とはいえ魔力はより濃く、重くなる。

 静謐な、張り詰めた空気。ごく小さな棘に触れるような、微かな痛みが彼らの肌を撫でてゆく。

 幾重にも張られた結界を潜るたびに、ぴりりと身体がひりついた。

 墓の内部、核の部分へと足を進めながら、ジャックは昔授業で習ったことを思い出していた。


 ──ここにはかつて『大災厄』をもたらしたとされる魔王と闇の眷属、そしてそれを倒した勇者が共に眠っている。そう教科者に書かれている。


 負の魔力、邪悪の念──瘴気が溢れ、また同時に浄化されている場所。


 旧き時代、人間は生まれながらにして神や精霊らと同じく魔力を持ち、得手不得手はあれど魔法を使うことができた。しかし大災厄の影響により人間の魔力の核は失われた。勇者と数名の賢者により魔王は退治され大災厄も終わりを見せたものの、これを境に人は、生まれながらにして魔力を持ち魔法を使うことができなくなった、と伝えられている。


 魔王と勇者が封印された後、賢者たちは生き残った人々の協力を得て土地を浄化した。人々が再び魔法を使えるよう魔法構築技術を展開し、各地の復興に尽力しながらそれぞれの道を歩んだ。しかし魔法の力に懐疑的になったり、決別する国もあった。ジャックの故国フェルティナもその一つである。

 とはいえ現在も魔王の瘴気や邪悪、闇の生き物たちは世界の脅威であり、またこの世から魔力や魔法そのものが消えたわけではない。ソフィーリャは魔法大国であり、国防や経済をはじめ、生活の基盤にも今なお多くの魔法やそれに準じた技術が使用されている。また、魔法と距離を置いた国家の中にも機密的な部分で限定的に魔法を使用し、それを秘匿していることはある。

 ソフィーリャが輩出する魔法使い、魔術師たちは大災厄の記憶と記録を伝え、賢者達の意志を継ぐ魔法従事者として世界各地で働いている。魔王ならびに旧時代の負の遺産の監視者でもあり、瘴気の流出を防ぐため、また国や世界の基盤を豊かに整えるために日々奔走し今に至っている──




 しばらく歩いた後、エティンはおもむろに歩みを止めた。ジャックもそれに倣った。

 そこには苔むした巨大な長方形の石棺が鎮座していた。所々、苔の間から風化し色褪せた石肌が覗いている。

 馴染みのない不可思議な文様や形が彫られてあるが、それが何を示しているのかは謎だ。旧時代からあるのか、そこかしこに様々な生き物および魔法生物の化石や、鉱石に似た魔法の結晶が大小くまなく付着している。よく見ると、可視化できる大きさの魔法粒子が結晶の中でくるくると踊っていた。忙しない神秘のそれは舞うたびに微かな輝きを放った。

 石棺の中に何があるのか、または眠っているのか封じられているのか、はたまた全くの無関係なのか、ジャックには分からない。ただエティンは目の前に鎮座するそれを懐かしそうに見つめ、微笑んでいた。


「やっと帰ってきたよ。待たせてごめん」


 エティンは石棺の苔を優しく撫でた。

 頬を寄せると白髪がベールのように棺にかかった。光の加減で淡い黄色にも薄藍にも白緑にも見えるその光景を、純粋に美しいとジャックは思った。どこか神聖で絵画のように感じた。中身はおかしな奴なのに。


「お前と最初に話した時、俺はエテリア……イモーテルの欠片って言ったよな」

「ああ、イモーテルの分身?分霊?のひとつみたいなものって」

「イモーテルの一部が現在、特定の形で顕現しているのは知っているだろう?」


 その言葉にジャックは頷く。エティンは続けた。


「イモーテルってのは『二度と災いがないように』とか『未来がずっと平和であれ』という人々の願いや希望の集合体みたいなもので、本来なら一定の形をとって流出することも、ましてや特定の意思や思想、執着を持つことも過去には無かったんだ。そもそも俺やお前たち魔法使いが認識するイモーテルについては、多くの一般人はあまり知らないと思う。認識がズレているっつーか。イモーテルの名前そのものは人名とかでも時々使われるけど」


 そういえばソフィーリャで魔法使いとして研鑽を積んでいた頃、魔法使いの制約の多さや漏洩防止の厳しさにジャックは頭を抱えていた。特にイモーテルやその周りの事象に触れる時は徹底した守秘義務が求められており、隠し事が下手な彼はアーシャ先生の追試を受けたことがある。


「でもイモーテルの一部は明確な人格と意思を持って特定の形で顕現してしまった。俺も例外じゃない。俺はごく小さなひとかけらだけど、イモーテルそのものは、その規模や永遠や持続、不死という力の特殊性や強大な魔力ゆえに、外部に出るのは国内はもちろん禁じているし、国外でも注視されている。だから国家機密扱いだし、そもそもあれとか俺らに長く深く関わると強烈な力を受けて人間側が滅びるか、逆に不死性を帯びかねない」


 エティンは宙を仰いだ。

 どうして突然そんな話をしだしたのだろう、とジャックは疑問に思ったが、彼の計らいのおかげか、幸いジャックは不死性や命を削られるような感覚は今のところ無い。精神は色々な意味で削られ、胃と心の休まる時は少なかったが。


「……ということは、君は箱の中に封じられてから何者かの手によって国外に出てしまっていた、ってこと?こっわ!怖いよ!」

「それなー!あん時、俺も終わったと思った」


 あっけらかんとした言葉に、ジャックは苦々しい顔を向けた。それに反応し、けらけらとエティンが笑う。

 危機感がなさそうに見える軽さだが、彼は時々己を奮い立たせるために軽口を叩くことがあった。ひとしきり笑ってから、相手は再び口を開いた。


「魔王を永遠に封じ続ける圧倒的な魔力に不死の力。その力を孕んだものが僅かな質量でも手に入るとなれば、あれこれ画策する奴らも当然現れる。諸外国も放っておかないだろう。扱いを間違えれば次の大災厄になりかねない。邪悪な願いが蓄積すれば恐らくおぞましい姿になるし、莫大な瘴気を撒き散らす。下手すると魔王の再来だ。めんどくせー」


 沈黙が流れる。

 ややあって、エティンがジャックに向き直った。


「お前の目には、俺はどう見える?」


 声音が少し変わった。


「どうって」


 唐突な質問だ、とジャックは感じた。とはいえ過去にも何度か同じ質問を受けたことはある。今回も随分と真剣な眼差しだったので、茶化すのはやめてそのまま伝えた。


「髪と目の色がちょっと珍しい人間の青年、かな。年は僕と同じくらいの。まあ初めて出会った時は『手の生えた箱』がベラベラ喋ってきたし、道中お前の手が真っ黒になったりしたから、その時はすっげー焦ったけどさ」


 少し間を置いてから、「でも」とジャックは続けた。


「今は顔が良くて話盛りすぎで軽くて、意外と真面目で面倒見が良い人間エティンにしか見えないよ。まったく、もう少し身なりを整え」

「そっか、ならよかった」


 ジャックの言葉に、途端にエティンの顔が緩む。心底安堵したような声だった。ジャックは一瞬きょとんとしたが、これ好機とばかりに続けた。


「はいはーい、これ言ってあげたの六回目ですかね?ですよね?」

「違いますー五回目ですぅー!盛るのやめてくださーい」


 ジャックの得意げな表情にエティンが顔を顰め口を尖らせる。目が合った。耐えきれずに二人はげらげらと笑った。

 他のイモーテルも、もし顕現すればこういった人間の姿でこんな風に喋って笑うのだろうか。様々な形をとると言われているから、老成した姿や、女性、子供のような可愛らしいイモーテルもいるかもしれない。犬や鹿や鳥のような動物の姿の可能性だってある。初代アステリレールが出会ったというイモーテルはどのような姿だったのだろう。

 ジャックはぼんやり考えながら、くだらなくもかけがえのない時間を満喫していた。


「そうだ、どうして急にイモーテルの話をしたんだ?」

「うーん、どうしてだろうなー」

「おい、はぐらかすなよ」

「はーい!以上、エティン先生の特別授業のお時間でしたー」

「だから!はぐらかすなって!」

「うん、そろそろかな。ここに戻れたのがこの姿で良かったよ」


 エティンは何かを悟ったように自分の手をじっと見つめた。ジャックは目を凝らした。目の前にいる青年の身体の色が、わずかに透き通ったように見えた。


「ジャック、ありがとう。お前には感謝してるよ」

 

 そう言って、エティンが微笑んだ。

 身体が少しずつその場に溶けていく。

 今はもう人間にしか見えないというのに、彼はやはり人間ではないのだ、とジャックは深い諦念を抱いた。いよいよ迫る別れの時間に、寂寥感がじわりと湧いた。


「それじゃまたな。ちゃんと顔見せてやれよ」


 エティンの言葉に、ジャックは返事をしなかった。

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