第5章 ジャパンタウン、ヨセミテ、ゴールド・カントリー

 駐車場の入口は、ギアリー・ブールバード側に向いて三つある四角い建物の中央にあり、自動車が止められた駐車場の上はショッピング・センターがある。佑司はその入口から自動車を乗り入れ、駐車場の奥のほうに止める。そして二人は店舗が並ぶ上の階へと階段を登っていった。

「ここは、五度目かな。上に商店街がある。」

 店舗は四角いビルに入っており、入口はみんな建物内の通路側を向いている。そこには観光客を目当てに土産物を扱っている店がある。ここも日本から来る人が最近、増えたのである。

「商店街だけど、あまり買いたい物はない。」

 次郎は自分のことを観光客ではないと思うのか、ゆっくりとそう言う。

 レストランも並んでいるが、外に張り出したメニューや、合衆国では珍しい「食品サンプル」を前においた店もあって、どんな食事を提供しているかが分かる。しかし、二人はレストランには入らない――外から窓の中を眺めて通るだけである。

 まず商店街の西側へ行ってみる。通りをはさんで同じような建物が立つが、その二階部分を結んだ「橋」が架けられ、その下をわりと広いウェブスター街が走っている。その二階の橋の幅がかなりあり、橋の北側には食堂がある。食堂なのかレストランなのか分からない。ただし、チャイナタウンの安い店と違い、アルコール類も出す店のようである。

 その橋を渡って西の建物に行くと、レストランが数軒あり、その向こうは大きな書店が入っていた。西の建物はその店の所有らしい――ビルの名前は書店と同じになっている。

「同じ名前のブックストアが、マンハッタンにもある。」

「日本からの出店かな?」

 二人はいちおう、その書店に入ってみる。書籍は荷物になるので購入しないことにしている。書籍以外に土産物もあるがあまり買いたいものは見あたらない。次郎は絵葉書をちょっと見たが買わないと決めたようだ。その他にも旅行者向けの商品がたくさんあった。

 書店の外に出て西の奥まで行くと、日本の城であろう、天守閣の模型がある。ぐるっと廻ってみると「大阪城」とあるが、佑司も次郎も大阪城の天守閣をよく知らない。豊臣のときの大阪城は徳川勢に攻められて落城したのだろうから、昭和になって立て直されたものか。

 城の大きな模型をあとに、東のほうに戻ると、建物の中央には二階の南からまっすぐ北の一階に降りる階段があった。二階のまわりと階段には金色の立派な手すりがついている。途中に、横にふくらんだ踊り場があり、少し曲がっているがそのまま下って、まっすぐ行くと北の出口で、ポスト街という名の道路に出る。

 二人は二階の降り口のところに行き、北に向いてゆっくり階段を降りていった。しかし、一階にはレストランが三〜四軒と雑貨店があるだけで、別に変わったものがあるわけでない。結局、二人はまた二階に戻っている。

 そして西の建物は終わりで、橋を渡って中央の建物へと戻る。その建物の東への出口は二階であるが、出たところは広場で、建物を出ると右側に「ピース・パゴダ」があった。コンクリートで造られていて、五重の塔の形をしている。二人はちょっと塔のほうを見たが、なぜそこに立っているのか、碑のようなものはなかった。

 塔のある広場のさらに東に、もうひとつの四角い建物がある。そこにも入ってみるが、西の二つになかったものと言えば銀行の支店があっただけで、他は西の二棟とたいして変わりがない。つまり、レストランと雑貨の店が並んでいるだけである。そういうわけで、東にある建物の内部をゆっくり見てまわり、またピース・パゴダのそばに出てきた。

 ピース・パゴダが立つブキャナン街は道路ではなく広場のようになっている。塔の南側はギアリー・ブールバードだが、擁壁になっていて、ブキャナン街という道路は途切れている。北側のポスト街を渡ったところも広場で、自動車が通れる道路はないのである。

 佑司が十一日前に両親や叔父・叔母と来たときは、ギアリー・ブールバードを西に走って来て、ウェブスター街を北へ右折し、すぐにポスト街を東へと右折した。そこに屹立しているピース・パコダを自動車から見て、ポスト街を走り、ヴァンネス・アベニュー(合衆国道一〇一号線)に戻り、そこを北へ曲がって、フィッシャマンズワーフに行ったのである。

 ジャパンタウンはポスト街を渡ったところから北へさらに一街区の広場が続く。つまり自動車交通がないブキャナン街の両側に店がある。ただし、まわりに日系人もたいして住んでいないようで、日系人向けのスーパーマーケットもないし、観光客向けにレストラン数軒と書店、雑貨店があるだけである。角の店は金物店、道路に面してその東となりには、南の建物に入っているのとは別の、銀行の支店がある。

 ポスト街を渡って、二人は広場のまわりを見たが、とくに入りたい店もなかった。さらに行くとブキャナン街はその北のサター街と十字に交わり、普通の自動車道に戻って、相互通行でそのまま北に行っている。

 ブキャナン街が自動車道として始まるサター街の交差点の南側に「大阪通」という日本語の標識があった。ブキャナン街ではなく大阪通という名前がジャパンタウンでは使われているのか。西の建物には大阪城の模型があるし、ここは大阪通りだから、サンフランシスコの日本人街には大阪の人が多いのかも知れない。

 とにかくギアリー・ブールバードからポスト街、そしてサター街というのは隣りあった並行した道路だが、それらと直角に交わったブキャナン街のジャパンタウンのところは、自動車が通る道路ではなく、広場になっている。

 結局、興味を引く店がなく、歴史的な「もの」が、ピース・パゴダを除けば、サンフランシスコのジャパンタウンには欠けている。これには三十八年ほど前に始まった日本とアメリカの戦争が影響しているのかも知れない。次郎が指摘したように、ジャパンタウンはごく狭い区域であり、そのうえ、新しく建て替えられているようである。

「これで日本人街は終わり?」

「そうだね・・・。で、そこに入ろう。」

 佑司はそう言いつつ、「ヒマワリ」という店に近づいて行った。ブキャナン街のポスト街とサター街の間にあって、大きくローマ字で名前を書いただけの看板がある。その上に「レストラン&バー」とあるから、酒類も出すようである。

 入ってみると店はわりと広い。正面にバーがあり、お客が男女一組座っている。その向こうに、痩せて背の高い男性がいた。入口のほうを向いて、入って来た人を見ている。年齢は五〇歳になるかならないかで、日本の板前のような白い上下を着ていたが、帽子はかぶっていない――板前のように、髪を短くつめている。

「お世話になりま〜す・・・。あれ、オーナーのマサさん。」

 佑司はそうあいさつして言ったが、離れているせいか軽く笑顔が返ってきただけで、『いらっしゃい』と言うわけでもない。佑司は自動車を運転しているので、バーに座るわけにはいかない。お客がいないので席が空いており、佑司と次郎は窓際のテーブルを選ぶ。

 合衆国のレストランでは、お客は自分の好きなところに座れないのがふつうである。案内されるのを待つのだが、ここでは日本式に自分で座る場所を窓際に選んだ。

 午後五時を過ぎていたが、夏時間のせいもあり、まだ夕方という感じではない。時刻のせいか、店の誰も出て来ない。佑司は店の中を見渡したが、お客も正面のバーに座った二人の客以外にいないようだ。マサさんはそのお客の相手をして、話し込んでいる。

「誰も出て来ないね。」

「そうだね・・・。ところで明日は?」

「朝早く出発して、ヨセミテに行こう。ここから東だ。」

 そのとき、二十歳を少し超えたばかりの若い女性が店の奥から現れた。佑司はじっと彼女を見つめる。ストレートの髪の毛を少し長めにして、大柄で健康そうである。和服を着た日本風の格好ではなく、ふつうのレストランの灰色のウエイトレスの服を身につけている。メニューを二つ、テーブルの上に出して、すぐに引っ込んでしまう。

「かわいい娘なんだけど、口をきいてくれないんだ。表情も変えないし。」

 次郎に聞こえるだけの小さい声で、問われもしないのに、佑司はそんなことを言う。

「美人だね。」

 次郎も小さい声でそう言って、ウエイトレスが消えた厨房のほうを見る。

 そのとき、バーに座っていた年配のカップルが席を立った。にこやかに二人は店を出ていったが、支払いは済んでいたらしい。そこで佑司は立って、マサさんのいるバーのほうに近づいていった。

「今夜、泊まる所ですが、どこか良いとこ、知らないですか?」

 マサさんは佑司をちょっと見たが何も言わず、キャッシュ・レジスターのそばに行き、さっと電話帳を開いて、そのなかの番号に電話をかける。

「今夜だけで、明日の出発は早いんです。」

 佑司が言うのを聞きながら、マサさんはちょっと斜め上をみる。そして部屋があるかを英語で尋ね、受話器を耳から離して佑司に訊く。

「何人?」

「男二人、部屋ひとつで。」

 すぐに返事があったようで、質問が続く。

「誰の名前で?」

「私の、ユージ・ホンダで。」

「ユージ・ホンダ・・・。OKだってさ。」

 そう言いながら受話器を置き、メモ用紙にホテルの名前と住所を書いて渡してくれる。佑司が住所を見ると、ヴァンネス・アベニューである。慣れた感じもするが、たまに日本からの観光客を紹介するのかも知れない。佑司も顔を覚えられたようである。

「助かります。これから探さなくては、と思ってたんです。」

「ちょっと北に行くけど、安いホテルさ。」

「安いんでいいんです。」

「留学生は、あまりお金を持ってないからね。」

 佑司はメモ用紙を大事そうに持ちながら、もとの席に戻った。それを見ていた次郎は、気を取り直したように、メニューを持ちながら佑司に問う。

「何にする?」

 チャイナタウンの食堂で午後一時半過ぎに食事をしたけれど、若い二人のこと、もうすでに空腹になっている。そういうわけで、何を食べるか相談する。カツカレーを選んで、その他にギョーザ一人前を二人で頼むことにする。久しぶりの日本食であり、同じようなものは当分、東海岸に行くまで、食べられないかもしれない。

 注文しようとしたが、そのとき店にはマサさんしかいない。佑司の仕草を見て、マサさんはテーブルのほうに近づいてくる。佑司はカツカレー二つとギョーザ一人前を注文したが、メモを取るほどのことはない。それを聞いて、マサさんは厨房のほうに歩いていった。

 店の中に他に誰もいなくなると、佑司は次郎のほうを向いて言った。

「じつは、最初に来たとき、チップ出すのを忘れた。」

 ずっと以前のことを、思い出したように説明する。

「駐車場に行って気づいた。すぐ戻って来て、チップ忘れたとマサさんに言ったんだ。」

「アメリカに来てまもなくだろう。分かるよ、こっちだって忘れたこと、ある。」

「だけど、マサさんは『あぁいい、気にしないで』って。」

「どうせ、たいした金額ではないし。」

「日本ではチップなんてないし、と言うんだ。」

「知っているんだ。」

「日本で育ったんじゃないかと。」

「それで?」

「ここで生まれたんだが、日本に戻ったということ。そして戦争が始まったんだ。」

「そういう人もいるんだ。」

「戦争が始まったとき、十二歳だったという。和歌山県にいたらしい。結局、アメリカに戻ったのは大学を卒業した後と。」

「大学を卒業しているんだ、日本の・・・。」

「すぐ、ここのマスターになった。英会話を習うのが、たいへんだったというけど。」

 そのマサさんは、しばらくすると厨房から店内に戻ってくる。新しい客が入ってきて、またあの若い女性がメニューを出して引っ込んでいく。夕飯の時間になりつつあった。マサさんはバーのカウンターのところに立って、次の客が座るのを見ている。

 しばらくするとカツカレー二人前をあの若いウエイトレスが持って出てきた。同じものだから、訊くまでもなく二人の前に出す。また餃子用の小皿を二つ持ってきた。そして、今回も何も言わずに引っ込んで行く。

 さらに、焼き上がった餃子を持って出てきて、二人の間におく。若いウエイトレスは結局、一言も声を発することがなかった。佑司はじっと見るが、彼女は目をそらして何も言わないのである。


 翌朝、午前五時ちょっと前に二人はホテルを出発している。夏時間で少し明るくなってきたが夜は開けきっていない。合衆国道一〇一号線を南に向かって走る。まもなく合衆国道はフリーウェイになり、二人が乗った自動車は安定した走行に変わる。しばらく黙っていたが次郎は突然、思い出したように佑司に声をかける。

「ゆうべの女性、日本語がしゃべれないんじゃあ?」

「え? ああ・・・。そうか、そうかも知れない。」

 学生のアルバイトだろうから、英語はもちろん分かるが日本語が話せないこともある。話せなくても聞くだけは大丈夫というのもある。ひょっとしたら日系人でないかも知れない。韓国出身か、中国か、台湾か。片親が日系・日本人ということもありうる。両親が日系人でも、本人が四世になっていて、あまり日本語が話せないというのもある。というわけで、いろいろな可能性がありそうである。

「会ったのは、昨夜が二度目。すごく美人と思ったから、ちょっと気にしてた。」

 詳しいことはマサさんに訊けば良かったかも知れない。苗字はともかく名前だけなら英語風ということで分からないかもしれない。でも、こういう場合、何と言って尋ねるのか。ともかく、マサさんにはもうしばらく会うこともなく、あの女性のことは訊けない。

 フリーウェイの合衆国道一〇一号線は海岸の近くを通り、南に走っていくとサンフランシスコ空港のすぐ横を行く。佑司が日本から来たとき、この空港で合衆国に降り立った。だがこれで、ここには当分お世話にならないだろう。空港のすぐ西のフリーウェイをそのまま南に走る。

 やがて「サンマテオ市」に入り、フリーウェイを離れて東に折れ、カリフォルニア州道92号線に乗り入れる。そのまま州道を走るとサンマテオ橋である。この橋梁はサンフランシスコ湾の南部を横切って東へ行く。長さが十一・三キロあり、カリフォルニア州で一番長い橋という。

 湾を渡って対岸に着く前に料金所があるが、払うのはサンフランシスコに向かう車線だけで、反対に東へ行く車は無料である。もっとも一九六九年以前は両方向で料金を取っていたという。また二〇〇二年までは片側二車線だったが、その後、三車線に広げられた。交通量が増えたのである。

 サンフランシスコ湾を渡る橋梁が終わって少し走り、サウスゲートというところで「ニミッツ・フリーウェイ(合衆国道八八〇号線)」の北行きに乗る。しばらく行って「ウォルマート」というところで州道238号線にかわって東に行く。ここはこのあと、ちょっと時間が経つと合衆国道二三八号線に変わる。とにかく、少し行くと合衆国道五八〇号線に行きついて、そのまま東へ走る。

 今日も雲がなく晴れ渡り、自動車は東に向かって進む。昇ってくる太陽の方向に行くので、朝日がほとんど正面に来るので、二人ともサングラスをかけている。だんだんと気温が上がって来たので、窓を閉めて冷房をかける。合衆国道五八〇号線はずうっと走ると最後のほうで南に向いて行き、合衆国道五号線に合流する。

 その合流のちょっと手前で、合衆国道五八〇号線と別れて州道132号線に入る。この道はほとんどまっすぐ東に向いていて「モデスト」という街に一直線で行くのである。州道はフリーウェイではなくふつうの道路であるが、住宅も交差する道路もほとんどなく、制限速度いっぱいに走ることができる。もっともモデストに近くなると片側一車線の追い越し禁止となって、対向車にも注意することが必要になり、制限速度も時速二五マイルになる。

 街に近くなると、さすがに信号つき交差点がある。州道132号線に沿って市内で少し南に曲がり、ふたたび東へ行く。市の中心には二階建ての建物もあるが、ほとんどが一階建てである。

 そして街を過ぎたところでガソリン・スタンドに止まる。時間は午前七時を少しまわったところである。ガソリンは自分で入れるが、そばのコンビニ(コンビーニェンス・ストア)で代金を払う。ここは入れた後で払えばいいので満タンにして支払う。さらに自動車をそばの駐車スペースに動かして再度、店に入り、手洗いも借りる。

 今朝は早くホテルを出て何も食べていないから、朝飯もそのコンビニで買って食べることになる。結局、ライ麦のハムサンド、チーズサンド、ドーナッツ、ポテトチップス、それにオレンジジュースと水のボトルを買い込んで、自動車に乗り込む。運転しながらだと危ないので、自動車を停めたまま、しばらくは朝食の時間である。

「モデストと言えば、忘れられない映画がある。」

 佑司は合衆国に来てから、空いた時間があれば映画を観ていた。次郎はそれほど映画が好きではなかったようだ。見ないわけではないけれど、そんなにたくさんは見ていない。英語だし国内上映用だから、字幕などないのである。映画もだんだん「自然」になり、アメリカ人だってセリフが聞き取れないことも――そんな頃である。

 いま、次郎はハムサンドを右手に持って忙しく、左手にはオレンジジュースのパックである。そんな様子を見ながら、佑司はドーナッツをつまみ、車窓から外を見つつ言う。

「『アメリカン・グラフィーティ』さ。」

「名前だけ、知っている。」

 ジョージ・ルーカスが書いて監督した映画(一九七三)である。主演はリチャード・ドレイファス、共演はロン・ハワードで、高校卒業生の夏休みの最後の一日を描く。

「住んでるアパート近くの、古いのが専門の映画館で見た。」

 映画は大ヒットし、アカデミー作品賞にノミネートされた。結局「スティング」が同賞を獲得しているから、このころは良い映画がたくさん作られたということだろう。

「一九六二年の、ここモデストで、という話。」

「いい時代だ。」

「うん、そうだね。ウルフマン・ジャックがディスク・ジョッキーで、リクエスト曲を次から次へとかける――低い声でおしゃべりしながら。映画全体にそのころ流行っていた音楽が聞こえてくる。」

 次郎はジュースを飲む。佑司はチーズサンドを食べようと右手に持ち、それから言う。

「この映画でおもしろいのは、あのハリソン・フォードが敵役(かたきやく)を演じてること。」

 ハリソン・フォードはこのあと「スターウォーズ(一九七七)」に出演、それから数えきれないほどたくさんの映画に出ている。この映画では端役とは言え、重要な役を演じている。美男子だったからか、それとも演技派だったからか。

「ポール・ルマ演じる自動車が好きな卒業生に、車での競争を挑戦する。」

「それで?」

「結局、事故を起こし、車をおシャカにしてしまうんだ。」

「それをハリソン・フォードが?」

「そうだね。そしてその燃えた車に乗っていたシンディ・ウイリアムズ演じるチアリーダーが、ロン・ハワードと分かれるのはイヤだと泣くんだ。」

「へぇー。」

「結局、ロン・ハワードは翌日の『東部』行きの飛行機に乗らず、搭乗して大学に進学するのはリチャード・ドレイファスだけ。」

 そのころは金属探知機というようなものはなく、それが航空便であっても、リチャード・ドレイファスの所持品がとくに検査されるということもなかったのである。

「なるほどねえ。年齢にしたらちょっと遅いかも知れないが、カミング・オブ・エイジ(おとなになる)映画だ。」

「それに、その後どうなったという、クリップが最後についてたのがこの映画のおもしろいとこ。ロン・ハワードは地元でまだ保険を売ってるし、リチャード・ドレイファスはカナダで作家になってる。ポール・ルマは酔っぱらい運転に轢かれて死んじゃうし、ロン・ハワードの自動車を任されるはずだったチャールズ・マーチン・スミスは一九六五年、ベトナムで生死行方不明というエンド・ロールが出て、ベトナム戦争の時代を思い出させる。」

「コメディだけど、しんみりだね。」

「これまで見た映画で、いちばん良かった。」

 アメリカのコメディというのは、観ている人がにやりとするものである。無理に笑わせようとする日本の「ドタバタ」とは違う。「卒業(一九六七)」でも、アメリカ人は「とてもおもしろい」コメディと言うが、日本人はストリーを真面目にとって「恋愛物語」にするのである。コメディ観の違いかも知れない。

 ジュースを飲んで朝食も終わり、ドーナッツと水は残して、ゴミを出す。そして、また東の方向に走り出す。モデストから東は道路のそばに人家がときどき現れる。商店もあるようで、人家がまったくない西側と比べると対照的だ。

 この道はヨセミテへの正面入口といったところ。「ラグランジ」という町では西部劇に出てくるような「グランド・サルーン(酒場)」が路傍にある。「西部の街」ということかもしれない。

 やがて、「クルタービル」での州道49号線との交差点に出て、132号線は終わる。49号線は南北に走っているので、左折して北に行き「モカシン」まで走る。そこで州道120号線に右折するとヨセミテへの道である。ところがそこからがまだ長い。途中、「グローブランド」という町があらわれ、ホテルも昔風のサルーンもある。


 やがて道路を横切る料金所のゲートが見えてきた。「ヨセミテ国立公園」の北西側にあるバレー(峡谷)入口である。

「ここからヨセミテ。」

「われわれも観光客だね。」

 前を行く自動車の後について、入場料を支払うのを待つ。二人が乗った自動車の番が来て、自分たちの分を料金所で支払うことになる。午前九時半を過ぎていた。

 エイブラハム・リンカーン大統領が署名して、一八六四年にヨセミテ・グラントの法律が成立し、ヨセミテは所有者が合衆国からカリフォルニア州に変わっている。ちなみに南北戦争が終わったのが一八六五年六月というから、この法律ができたとき、まだ南北戦争の戦闘が続いていた。戦争が終わり、リンカーンが暗殺される(一八六五年)少し前である。

 合衆国の国立公園第一号として認められたのはワイオミングの「イエローストーン」で、それは一八七二年のことである。もっともワイオミングが州となったのは一八九〇年であり、イエローストーンが国立公園になったほうが早かったようである。ヨセミテはそれ以前にもいろいろと議論されていたというが、所有権を合衆国に戻して国立公園になったのは一八九〇年だという。

 ヨセミテ・バレーの北からの入口にあるトンネルを過ぎると、面積のあまり大きくない峡谷が出現する。反時計まわりの一方通行のようで、すぐに「ブライダルベール(花嫁のベール)滝」があるが、夏で涸れているようだ。それからしばらく行くと左手に見えるのは「エル・カピタン(船長または大尉)」と呼ばれている一枚岩で、高さが谷底から九一四メートルあるという。

 自動車がたくさん止まっていて、写真を撮ろうというのかカメラを構えた人も大勢いる。駐車用のスペースが道路の一方通行二車線の両側にあって、佑司は左側に自動車を止めてカメラを構えたが、上を撮ろうとすると下のほうが入らないというふうに、うまく『おさまらない』。結局、中途半端な写真を撮ることになる。次郎は座席に座ったまま、エル・カピタンを見ながら言う。

「高いねえ。」

「下から約千メートルあるそうだ。」

「とても高さが千メートルとは思えない。」

 実際はそれより少し低いが、岩がまっすぐに立っている。岩がある下は標高が一、二〇〇メートルほどあって、それほど暑くないはずだが、直射日光があたれば、やはり暑い。それでも谷底には木がたくさん生えているし、行楽地ということだろう、観光客が多い。

 それから谷のいちばん奥にある「カレー・ビレッジ」まで行ってみるが、やはり人と自動車が多い。ヨセミテではここだけ商店やホテルなどがあり他にはないようだ。キャンプするわけでも食事するわけでもなし、あまり買いたいものもないので、自動車を降りない。

 すぐに橋を渡った――谷底を流れるマーセド川である。今度は下流に向かって右岸を行く。この小さな川がヨセミテ・バレーの底を流れている。いまバレーは昔の氷河の浸食でU字型になり、両側はまっすぐ立っている。そして走る道路は川を挟んで一方通行で往復している。

「ヨセミテ・バレーをよく見るには、やっぱり『グレイシア・ポイント(氷河地点)』に行かなくちゃあ。」

「グレイシア・ポイント?」

「その上のほうの地名だ。」

 佑司は左上のほうを指さすが、次郎はどこか分からないようだ。八日前に、佑司は両親たちを連れてヨセミテを訪問している。その時にも行ったのであるが、グレイシア・ポイントがヨセミテ・バレーを見るのにいちばん良い場所である。そこはバレーの南側の、ほとんど垂直に立った崖の上にある。

 だから谷底から、今度は崖の上に行く。昔は何時間もかけて、まっすぐ歩いて昇って行ったのであろうが、今は自動車で谷底を出て、西から南をまわって一時間近くかけ、ぐるっと崖の上まで昇って行く。そんなに狭い道ではないが、国立公園の中であるから、スピードを出すわけにはいかない。

 やがて駐車場に着く。そこから徒歩で歩いてすぐのところにグレイシア・ポイントがある。上からのぞくと谷底が見え、見た目には谷底の人間は見分けられないが、そこで自動車がゆっくり動いているのが見える。箱庭のようでもあり、谷底には木がたくさん生えているのが分かる。そこまでの距離は九八〇メートル、崖の上は標高が約二、二〇〇メートルあるという。

「いやあ、なるほど、これはすごい。」

「こういうのは、あまり他にはない。」

 グレイシア・ポイントからはエル・キャピタンは見えない。地図の上で見ると峡谷が曲がっていて、エル・キャピタンはグレイシア・ポイントのちょうど西の方角にある。

 崖の上からうかがうと、正面左のほうの向こう岸、つまり北側に滝の痕が見える。夏は乾期だから落ちる水がないようだ――「ヨセミテ滝」で落差はあわせて七三九メートルという。そして対岸を右に行くとノース・ドーム、さらに右にはハーフ・ドームがある――だいたい東の方向である。三千メートル級の山がその奥にずっと連なっている。見ている場所が海抜二千メートルを超えているので、向こうの山々はあまり高いように見えない。ヨセミテ国立公園はこのバレーを中心とした山々で、ずっと広がっているのである。

 グレイシア・ポイントには以前、ホテルがあったという。その時から十年ほど前、一九六九年に火事で焼け落ちたらしい。現在グレイシア・ポイントにはトイレはあるが、他に建物がない。国立公園で合衆国の土地だから建てられないのであろう。六九年に焼けた建物は昔からあったようで、国立公園の管理者としては、燃えてしまって良かったということかも知れない。

 そのホテルでは燃え落ちる前年の冬(一九六八)まで、「ヨセミテ火滝」とでも訳すのか、「ヨセミテ・ファイアフォール」が行なわれていたという。崖の上で大きなたき火をし、毎晩その「熾き」を谷底めざしてつき落していた。これが百年ほどヨセミテの名物だったというが、自然を売り物にした国立公園には似つかわしくないものだったようで、これも行なわれなくなったという。

 二人がグレイシア・ポイントにいたのは全部で二十五分ほどである。風景だけで見るものは他に何もない。そしてまた自動車で、もと来た道を下って、バレーから来る道路に出る。その道路、ワウォナ・ロードを今度はヨセミテ・バレーと逆の方向、つまり南に向かう。やがて、国立公園の南の入口に着く。

「八日前に、ここを通ったんだ。そこの入口で、ヨセミテは終わりだと思っていた。グレイシア・ポイントも見たし――。でも入口から東へ行く道路があり、ジャイアント・セコイア(日本ではメタセコイアと呼ぶらしい)の「マリポーザの森」があったんだ。」

「セコイアという巨木だね。で、行ったの?」

「ちょっと迷った。その日に南のベーカーズフィールド市のホテルに予約があった。ジャイアント・セコイアを観るのにどのくらいかかるか分からず、時間を取っていられなかった。結局、見ないで父母、叔父叔母を伴って南に出ていった。」

 そういうわけで佑司も今回はじめて、そこに行ったのである。

 ジャイアント・セコイア(メタセコイア)は地球上で最も大きな木であり、したがって「最も大きな生物」と考えられる。マリポーザの森に生えていて、最も長生きと見られる「グリズリー・ジャイアント」はたぶん一九〇〇〜二四〇〇年間生きてきて、高さは六十四メートル、底部で直径九・一メートルだという。これでも大きいほうから数えて二十五番目である。最も大きいものは、カリフォルニア州北西の海岸にあるレッドウッド国立公園にある。「レッドウッド」というのは、ジャイアント・セコイアの別称である。

 ヨセミテ国立公園の南の入口からすぐの、三・五キロほどで駐車場に着き、あとは歩きである。ジャイアント・セコイアはかたまって生えていないようで、大きいのをあちこち歩いて観てまわる。たまに二、三の木が近くにあることもあるが、ほとんどが単独で、ポンデローサ・パインなどがまわりにある。パインと呼ぶから松の木であるが、帆柱になるほど太くてまっすぐなのである。まわりはほとんどが直立した針葉樹で、広葉樹はないようだ。

「すごく太く、しかもまっすぐだね。」

「セコイアも、ポンデローサ・パインも。」

 倒れたセコイアもあった。根の部分が折れたようになっている。折れた部分からして他と比べても、それほど太いということもない。そばにあるポンデローサ・パインよりも太いが、そんなに高いわけでもない――倒れているので長いというべきか。横たわっているところはだいたい平であり、倒れたのはずいぶん昔なのかも知れない。

 ぐるっとまわり、「グリズリー・ジャイアント」を見てしまうと、他にあまり見るものがない。結局、駐車した自動車に戻って行く。正午を三十分ほどまわろうとしている。

「もう、お昼だね。」

「この近くにレストランはない。」

「じゃあ、公園の外に行くことにしよう。」

 ヨセミテ国立公園の入口に戻り、そのまま南に走る。途中に「フィッシュ・キャンプ」という集落があり、ゼネラル・ストア(コンビニのようなものか)と書かれた店もあるが、肝心の食事ができそうもない。そのまま走って「オークハースト」という町に出る。


 オークハーストはそれまでの「国立公園」と違い、しっかりした町であり、たくさんの商店がある。走っている道路からみると、商店は奥のほうで、その道路よりに駐車場がある。道路に面して並んでいるわけではない。ということは、ここが「新しい街」であることを示している。ここから北にはそういう街ではない「古い街」がいくつかある。それらをこれから見ようというのである。それはともかく、いまは昼食の時間である。街に入ると次郎が尋ねる。

「お昼は何にする?」

「あそこに見えるピザ屋はどう?」

「ピザは、ニューヨークではよく食べてるけど。」

「そう? サクラメントの州立大学ではカフェテリアにもある。」

「ここで食べられてるのがどんなものか、食ってみようか。」

 道路から乗り入れて、店の前の駐車スペースに自動車を止め、店に入っていく。ごく普通のレストランで、ピザを専門にしている。テーブルに案内されて、メニューをみると、ピザとサラダ、それと飲み物だけである。ただピザの上に「のせる」ものがたくさんあるし、サラダも大小あわせて十以上もあり、ドレッシングも多い。飲み物も種類がたくさんある。

「エクストラ・チーズ。」

「うん、こっちも同じ。」

「サラダはいらないね? 飲み物は?」

「ジュースはどこ? ああ、グレープフルーツ・ジュースがある。これがいい。」

「私は、チョコレート・アイスクリーム・シェイク。大きいのがいい。」

「それと、水のボトル。」

「そうだね。じゃあオーダーしよう。」

 しばらくして出てきたのは直径十インチ(二十五センチ)ほどの丸いピザが焼き上がったもので、上にチーズがのっている。もちろん熱くなって、上にのったチーズも溶けている。生地が厚くて、かみ応えがありそうだ。

「ニューヨークと同じだ。」

 ピザだけを食べるのだから、やはり生地が厚く柔らかくて熱いのが良いということだろう。メニューにあったシカゴ風ピザの「ディープ・ディッシュ」だと、さらに生地が厚くなる。そして合衆国のピザは、わが国と違い、チーズが匂う――チーズくさいのである。テーブルにはナイフとフォークが置かれていたが、次郎は手で掴んで食べている――ニューヨーク・スタイルということだろう。佑司もそのマネをして、両手で持って食べる。右手にナプキンを持って、というところまで同じである。

 ピザはおいしかったが、となりのテーブルでは男性三人の食事が終わったのか、タバコをいっせいに吸い始めた。この当時はレストランでさえ、禁煙ではなかったのである。カリフォルニア州全体でレストランが禁煙になったのは一九九四年だという。次郎も佑司もタバコを吸わなかったが、レストランでの喫煙が合法なので、もちろん文句を言うわけにいかない。結局、早々にレストランを出て、自動車に戻ることになった。

「いやあ、タバコの煙がすごかった。」

「うん、まいった。」

「ピザは想像したより、うまかったね。」

 ニューヨーク市のピザと比べても、モツァレラ・チーズの味が良かったらしい。

 二人はレストランから出発し、すぐの交差点を右折して、州道49号線に入った。この道はここから北へずっと行く。これは一八四九年のゴールドラッシュから名づけられたという街道で、カリフォルニアの「ゴールド・カントリー」を象徴する。今はもう金鉱山はほとんどないが、この街道の近くに、まだたくさんの金が埋蔵されているのではないかとも言われている。

 黄金は最初、一八四八年にジェイムズ・W・マーシャルがエルドラド郡の「コロマ」で見つけている。コロマというのはこの州道49号線のずっと北で、サクラメントの東の街「プラサビル」よりも少し北である。マーシャルはその当時のサクラメントの持ち主ジョン・A・サターと製材所を建てる契約をしていたらしい。一月二四日の早朝、アメリカン川の流れを動力源に使った製材所がうまく動かないので点検中、排水溝で金を見つけたという。

 四日後の一月二八日、マーシャルはサクラメントに行って、サターに金発見を報告している。マーシャルとサターは金が見つかったことを隠したが、その情報はたちまち広がったようで、一年ほどたつと六千人を超える人たちが金を探すようになっていたという。カリフォルニアでの「ゴールドラッシュ」の始まりである。

 それが一八四九年であり、州道49号線という名前に残っているし、サンフランシスコには「フォーティナイナーズ」というアメリカン・フットボールのプロチームがある。このゴールドラッシュはアメリカ西部において最初であり、金だけでなく、ネバダ州では後に銀なども見つかっている。

 その当時、合衆国はメキシコと戦争していた。一八四八年二月二日にグアダループ=ヒダルゴ条約が結ばれて戦争は終わり、カリフォルニアなどが合衆国の一部となる。金が見つかったのはその一週間ほど前であった。金が見つかったことなど、メキシコは何も知らなかったのではあるまいか。結局、カリフォルニアは人口が増え、合衆国に割譲する条約の締結から二年後の一八五〇年に、早くも州が誕生する。

 オークハーストから州道49号線を走ると一時間足らずで「マリポーザ」で、同じ名前の郡の郡庁所在地である。小さな街で商店街は一街区くらいしかない。そのまま走り続けると、またクルタービルに入る。今朝八時を過ぎたころ、州道132号線を走ってきて49号線に左折したところである。その時と同じようにまた北に行きモカシンまで走る。そして朝と違って右折せず、州道49号線を走り続ける。あまり通行車両が多くない、片側一車線の静かな道路である。昔は金を探す人たちが、行き来した道だという。

 この辺の州道49号線はほとんどが標高四〜五〇〇メートルを走る。そのネバダ州よりの東側はシエラ・ネバダの山々だが、道路はその山脈とセントラル・バレー平原の境を走っている。だからカリフォルニア州の真ん中の大盆地の山裾の山側を巡って、北に走ることになる。といっても、西側にも山裾が続き、まだセントラル・バレーは見えない。「ソノーラ」はそんなところにある。

 トゥォルミ郡の郡庁所在地ソノーラは、街の中央から離れたところでは新しい街だが、中心部は「古い街」である。南から行くと、州道49号線は古い街に入ったところで左折する。そこから商店が並ぶ中心地は昔からの商店街である。

 道路両側の歩道は合衆国の他の道と同じで、車道より少し高くなっている。交差点の近くで歩道の脇に駐車できるのは、北に走る東側のみであり、しばらく行くと両側に駐車できるようになる。

 これまで走ってきた、街の中心を離れたところにある新商店街はとなりとの間隔を広く取っているが、この辺りの商店は店の間に隙間なく建っている。佑司は右側を見回して、ゆっくりと言う。

「古い街だ。」

「だけど、そういう昔からの街は右側だけだね。」

「うーん、なるほど。」

 歩道は商店と一体になったところもある。つまり、歩道は上に屋根があったり、一部は二階の建物の下に入ったりしている。道路の東側はそうなっているが、西側は一般的にそうなっていない。

「左側の歩道は上に屋根がない。」

「そうだね。そのかわり、いくつかの商店の入口や窓の上には、ビニール布の『日よけ』があるみたいだ。」

 日よけ(オーニング)は、昔は関節式で道路側に伸縮するものもあったが、今では巻き取り式が主流になっている。道路を拡げるかどうかして、西側は新しいのかも知れない。もちろん道路の西側にも古い建物が残っているところがある。

「西部劇の映画に出てくるような街だ。」

「そうだね。」

「でも、それは東側だけ。」

 そして二街区ほど先に進んで行った左側、つまり道路の西側の奥まったところに郡の上級裁判所、日本で言えば地方裁判所がある。その前には樹木の植わった公園がついていて、裁判所は奥まったところにある、小さな三階建ての建物である。アメリカでは刑事裁判も民事裁判も陪審によって裁かれる。しかしトゥォルミ郡では裁判そのものが、あまり多くないのかも知れない。

 結局、西部劇に出てきそうな、古い街は四街区ほどで、また新しい街に変わる。といっても、古い街は東側だけで、西側は大部分が新しい街である。西側にある裁判所の建物も一階と二、三階は外見が違うという設計だが、ちょっと見ると比較的新しい。すぐに街をぬけて、道路の両側に家がなくなり、そのまま北へ向かって走る。

 やがてカラベラス郡の「エンゼルス・キャンプ」に入る。この街も東側の歩道に屋根がある。ただ、歩道に屋根があるのはずっとすき間なく続いた二、三街区で、その間に横に入る道がない。つまり途切れることなく店が続くのである。

 その向かい側、つまり西側にも、歩道上にいくらか屋根があるようだ。こちらの道路はソノーラよりもずっと幅があるようで、両側の歩道よりに駐車するスペースがある。次郎はそっと言う。

「だけど、ここもなんとなく、さびれた感じがする。」

「そうだね。ところで、マーク・トウェインの『飛び蛙』のこと知っている?」

「飛び蛙?」

「マーク・トウェインはここに住んだことがあって、えーと、『カラベラス郡の名高き飛び蛙』という短編を書いたんだ。」

「なるほど、ここはちょっと有名なんだ。」

「だけど、他にあまり取り柄がないみたい。」

 「トム・ソーヤーの冒険」などで知られるマーク・トウェイン(一八三五〜一九一〇)は小説家で、たくさんの物語やエッセーを残した。ほんとうの意味で最初のアメリカ人作家であり、その影響を受けた人は多かったようである。この「飛び蛙」を書いたころから、流行作家として売れ出したらしい。

 停車することなく走って、たちまち街を出る。しばらく行くといくつかの建物が出現した。こちらは新しい街「アルタビル」らしい。エンゼルス・キャンプの延長のような街で、これから発展するようである。

 エンゼルス・キャンプはカラベラス郡の郡庁所在地ではないが、郡のなかではいちばん人口が多いようである。同郡の郡庁は「サンアンドレアス」にある。しかしそこは人口も多くなく、たいした街もない。自動車で走り抜けようとすると、次郎が声をあげる。

「サンアンドレアス?」

「そう、カラベラス郡の郡庁所在地。」

「聞いたことあるような――。ああそうだ、断層だ。」

「え、どういうこと?」

「昔、日本の大学の講義で聞いたんだ。カリフォルニア州にあるというサンアンドレアス断層。」

「ここの名前だ。」

「そうか、ここか。」

 次郎がそう思うのは仕方のないことかも知れない。なにしろ、名前が同じなのである。しかし「地震のサンアンドレアス」とはサンマテオ郡にある小さな湖の名前で、サンフランシスコ空港のすぐ西側に横たわっている。断層は二十世紀の初め(一九〇六年)にサンフランシスコ大地震を引き起こしていて、湖は断層の上にある。そこから東北東に百七十キロも離れたカラベラス郡は、地震のときにおおいに揺れたかも知らないが、震源地とは直接、関係がない。次郎も佑司も、そういう詳細は知らなかったようである。

 サンアンドレアスにも古い商店群はある。ただし州道から右に入っていく一方通行で、幅はなく長さは一街区くらいで、両側に屋根のない歩道がある。二人はもちろん、その通りを見ないまま街を通り過ぎる。

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トウモロコシ畑でつかまえて(仮題) 香沢 久郎 @KurosawaKaoru

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