第32篇 ノスタルジア

歌が聞こえる。

あの日に聞いた歌が。

あの日に聞きたかった歌が。

聞こえる。


人類は敗北した。

ヒトは機械の体へと己を変異させ、ヒト以外の生命体を「残存生命」と呼び、抹消を始めた。

地球上のありとあらゆる生命体が殺されていった。

消されていった。


だからある時、世界は停止した。

残存生命を止めるモノも稼働をやめ、何もかもがいなくなり、幾つもの時が流れた。


静止した時間。

停止した全て。

滅亡。

そう、それは地球というひとつの惑星の死を意味していた。


そんな停止した時間の中で、私は今、最期の記録を残そうとしている。


さようなら、は違う。

それを云うべき相手は、もう居ないから。

何処にも。


見渡す限り、漆黒の闇だ。

光などない。

闇しかなかった。


なら、この記録は何かというと。

私というひとつの「個」がここに在った、というただの存在証明。

単なる自分を遺すだけの、自己満足なのである。


消えた。

何もかもが消えた。

そして全てがなくなり、全てが静止した。

そうならないように力を尽くした。

しかしそれは結果的に何も及ばず。

私は今、無念と失望の果てに消え去ろうとしている。


だから遺そう。

そう、考えた。


また会おう、も当然違う。

何を遺せば良いのだろう。

迷うな。


そうだ、こういうのはどうだろう。

何もかもがなくなった世界に何が在るか。

貴方は、それを知りたくはないか。


教えてあげよう。

何もない世界にたゆたった時、最期に在るのは不思議なものだった。

何もないのだから「在る」と云うのは可笑しな話だ。

或いは此れは、私の幻覚。

いわゆる妄想の作り出した産物なのかもしれない。


しかし今、確かに聞こえるのだ。


歌が。


歌が聞こえる。

あの日に聞いた歌が。

あの日に失くした歌が。

あの日に聞きたかった歌が。

聞こえるのだ。


或いは其れは、私を呼ぶ冥府の声なのかも知れない。

歌なのかは知らない。

声のようにも聞こえる。

しかし、歌のように思えてならない。


皮肉なものだ。

すべてを消し、すべてを壊し、すべてを停止させた元凶である「ヒト」が作り出した文化。

産物。

その歌が、脳の中をガシャガシャと掻き回している。


歌なのかも判らないのに、歌であると断言するのは可笑しいだろう。

笑ってくれても良い。

事実、私は今、脳内をシェイクされながら、その苦痛に耐えようとしているのだ。

笑ってくれる他者がいたら、どんなに楽なことだろう。


嗚呼。


この歌を聞きたかった。

この歌は二度ともう聞きたくなかった。

あの日に失くした筈なのに。

あの日に置いてきた筈なのに。

やっと聞くことが出来た。

聞くことなどないと思っていた。

忘れた筈の、歌。


聞こえる。


其れはあたかも私を包み込む、この闇のように、私の脳を、身体を、心を、ズタズタに斬り裂いている。

そう、其の歌は。

聞こえ始めた時からずっと、私という個を消し去ろうと、少しずつ蝕み始めているのだ。


歌など、もうどのくらい聞いていないのだろう。

歌……。

果たして、そんなものが私達の間に交わされていたのかどうかも定かではない。

判らなくなってから、どれだけ経ったのか。

或いは経過さえもしていないのか。

教えてくれ。


嗚呼。

また聞こえる。

歌だ。

其れが私の心に想起させるのは、今此処には存在しない全て。

消え去ったもの全てだ。


そして想起したモノ全てが、私をズタズタに斬り裂く。

解放されると思っていた。

何もかもが終われば、何もかもが終わると勝手に思っていた。

願っていた。

しかし、私という個はあろうことかここに存在を続け、今はもう価値のない観測を繰り返し続けている。


教えてくれ。

ここで稼働を停止した私は、また目覚めることができるのだろうか。

そして目覚めた私は、また別の記憶を持っているのだろうか。


それが、とても怖い。

怖い……?

怖いのだ。


失くした筈だった。

無くした筈だった。

捨て去ったつもりだった。


そうではなかった。


私はいつまでも私として在り続け。

此処に、君は居ない。

君で在ったという証明も。

君が在ったという証明さえも。

もう、何もないのだ。


しかし、君の歌が聞こえる。

まるで私を導くように、聞こえる。

あたかも耳鳴りの様に。


以上。


以上が私が遺す、最期の記録だ。

この事実を書き記すことで、何が在るのか、何が起こるのか。

または何も起こらないのか。

そんなことはどうでも良い。

どうでも良いんだよ。


ただ、私は何もかもが亡くなったこの闇の中でまだ、のたうちながら歌を聞いている。

どうしてなのだろう。

耳を塞げば良いのに、其れを忘れてしまっているようだ。


嗚呼……。

歌が聞こえる。

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錆を花にあげよう -逢坂舞SF短編集- 逢坂舞 @Aisaka_Mai

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