スパイとして生きる

星埜銀杏

*****

 僕はスパイだ。そう。インテリジェンスの極みであるスパイ。


 だがしかし、この春、高校に入学したばかりの高校一年生だ。


 だから子供スパイだ。


 静かに、一人、己の中で納得してから強く右拳を握りしめる。


 そうだ。スパイなのだ。優雅にも。


 つまり。


 僕の高校デビューこそ特務諜報だったわけだ。無論、スパイは、知力と体力、時の運を兼ね備えていないと務まらない。だからこそ高校生になるまでスパイデビューを控えた。それまではデビューの為の研鑽を、日々日夜、惜しまなかった。


 知力に関しては数十万冊の本を読破して〔ジャンルを問わず〕、知識を蓄えた。


 特に解錠についての本は熟読した。


 無論、忍び足や気配を消す為の方法も網羅した。


 知恵にも抜かりはなく、本を、ただ読むのではなく内容の理解と納得に務めた。


 体力に関してはアマチュア格闘大会で優勝できるほどに体を鍛えて技を磨いた。


 心技体、そのどれも、この上ないほど磨かれた。


 まあ、時の運に関しては鍛えようがないから、逆転の発想で、とにかく無駄に運を使わないよう、くじ引きなどの勝負事を控えた。運に関係するであろう徳も積んだ。ある意味でオカルトとも思えるが、まあ、何もしないよりはマシだろう。


 そして迎えた僕の高校生デビュー。


 これからスパイとして生きてゆく。


 無敵で素敵な油断大敵なるスパイ。


 ……勝って兜の緒を締めよ、だな。


 入学式に向かう途中、いきなり絡んできた輩の他校先輩を合気道の技で軽くいなした〔目立っていたんだろう。自分では分からないが。これではスパイ失格だと軽く落ち込んだ〕あと無事に入学式も終え、スパイ人生は無事に解禁された。


 そそっ。


 何故、スパイになるのを高校生になるまで待ったのか? だが、それは県外の進学校へと進学したからこそ。つまり、幼馴染みというか、幼少期より僕を知っている人間がいなくなる、このタイミングこそがデビューには必須だったわけだ。


 生まれ育った地元から、遠く離れた、この地であるから僕を知る人間はいない。


 そう断言しておこう。ゆえスパイとして生きていくには最高の好環境なわけだ。


 もちろん今まで、スパイになる、と周りに公言した事はない。


 だから地元でも良いのではないか、とも思ったが思い直した。


 それは、


 図書館で本を読み漁る僕を目撃した人間が枚挙に暇がないほどいるからこそ。地元ではな。その上、格闘大会で優勝していた事を知っている人間も、これまた地元には、沢山、居る。無論、アマチュアとはいえ格闘大会での優勝だからこそだ。


 言うまでもないが、アマチュアでも格闘大会優勝だからソレを知る人間は……、


 ここにも少しはいるかもしれない。


 だがしかし、それでも、しょせんはアマチュアの格闘大会だ。


 知名度は低い。だから、この地の人間で僕の正体を知るものは、ほぼほぼ皆無だと言ってしまっても過言ではない。そんなわけで、ようやく地元から離れ、僕の正体を隠し通せる環境に移ったからこその高校スパイデビューとなったわけだ。


 僕は、桜、舞い散る校庭で空を見上げ、一つ大きく息を吐く。


 これからの僕の人生こそが僕の生きる道なんだ、と感慨深く。


 こうして僕の酸いも甘いもかみ分けられるスパイラルなスパイ人生が始まった。


 なんて思ったのが三年前の今日だ。


 あっという間に三年という月日が流れた。光陰矢のごとしだ。


 そうして遂に迎えた高校卒業の時。


 また桜が舞い〔少しだけ満開には、まだ時間があるが〕、僕は青空を見上げる。


 また、一つだけ大きくも息を吐く。


 ふうぅ。


 今までの高校生活、本当に色々あった。色んな事を経験した。


 時には情報収集で他人の家に盗聴器を仕掛け情報を抜き取り、また時には阻害や攪乱の為、重要参考物〔主に手紙やターゲットの身につけていたもの〕を奪取したりもした。ただ僕は高校生だった。いや、むしろ高校生であったからこそ……、


 同年代の高校生が僕のターゲットになる事がほとんどだった。


 それは必然なのだがターゲットが9対1の割合で女子生徒だったのも感慨深い。


 無論、おなクラの知人だったり、また友人だったり、はたまた、べつクラの、まったく接点がない他人だったりもした。もちろん教師もターゲットになった。そうして集めた情報や物品は全て僕のスパイ・マル秘BOXへと蓄えられたわけだ。


 ただし、僕は国家に雇われたインテリジェンスオフィサーじゃない。一匹狼だ。


 いや、敢えてだが言っておこうか。


 高校生だった僕は、将来、プロのスパイになる為の予行演習を行っていたのだ。


 無論、それが、今後、役に立つのかと問われれば、少なくとも、この高校において諜報という観点で語れば僕に勝る人間はいない。何故ならば、この高校に僕と同年代に所属した人間〔教師を含めて〕の弱みは全て、僕が握ったのだからな。


 ククク。


 そうだな。もし僕がプロのスパイになって、なにかで困ったら、それを使おう。


 僕が三年間を過ごした高校は、進学校だと言ったよな。しかも、かなりレベルが高い高校。この国においての政治と経済、軍事においての重要ポストを担う人材が出てきても、おかしくはない。そんな人間の弁慶の泣き所を把握しているのだ。


 僕はな。


 その意味で、この高校でのスパイな三年は本当に有意義だったと言えるだろう。


 桜の花びらが僕の鼻頭へ着地する。


 喉を鳴らしてクククと、また笑む。


 振動で花びらは再び踊り舞い狂う。


 卒業、おめでとう、という校長式辞の言葉が脳裏で木霊する。


 高校デビューしての卒業式。次こそ、今度こそ、本当のデビューが待っている。


 いや、国家に服属するスパイにはならない。飽くまで一匹狼なアウトローを目指す。でないと、大きなリスクを拾い、メリットが薄い。国家に帰属するスパイではな。せっかく鍛えた己とマル秘BOXに貯めたブツが、結局、無駄になるから。


 うむっ。


 僕にとっての仰げば尊しは我が師の恩じゃない。……自分自身のスパイ活動だ。


 益々以て、スパイ人生に異常無し。


 ここから先は大学でのスパイデビューでもし、ゆるりと時が満ちるのを待とう。


 まさに我が人生に幸こそあれ、だ。


 まさに我が人生に一片の悔い無し。


 だなッ!


 そして卒業式が終わり、それから数十分が経過したあと……。


 ふむっ。


「お前の高校生デビューってスパイだったのか? それを真面目に言ってるのか」


 目の前におっさんがいる。知らないおっさん。誰だよ。お前。


 そして僕の両腕にはワッパがハマっている。ガチャリとした。


 どうやら僕がスパイだという事がバレたようだ。目の前のおっさんは国家に服属する敵スパイ、いわゆる公安の人間か、もしくは法執行機関、つまり警察権を持った国家組織の人間だろう。上手くやっていたと思っていたが、ミスったようだ。


 どこかで、な。まあ、仕方がない。


 覚悟は出来てる。スパイとして生きるとはそういう事なのだ。


「ああ、そうだぜ? 僕のマル秘BOXの中身は絶対に誰にも見せられないがな」


「いや、証拠品として押収してる。中身は改めさせてもらった」


 と言ったあと言葉に淀みなく続ける、敵であろう、おっさん。


 そしたら、出るわ、出るわ、悪逆非道な証拠がボロボロとな。ここでは言えないないようなものが多数だ。敢えて言っても良いが聞きたいか? いや、お前自身が集めたものだから言う必要も無いよな。もう証拠は挙がってんだ。観念しろ。


「ククク」


 僕は逃げも隠れもしない。それこそがスパイの矜持だからな。


 おっさんが上から見下ろしながら不躾な態度で強く言い放つ。


 ああん?


「僕はスパイだから、とでも言うつもりか? いまだにソレを言うつもりなのか」


「ああ、そうだよ。僕はスパイだ。これまでも、これからもな。分かってるんだよ。僕の罪状は外患誘致罪なんだろう? 死刑確定なんだろう? 覚悟は出来てる」


 アハハ。


「お前、本気で、そんな事を言っているのか? どこまでも、おめでたいヤツだ」


 ダンッ!


 僕の目の前にいる知らないおっさんが近くの木の幹を叩く。思い切り強く、だ。


「……お前の罪状はな。痴漢に、のぞき、そして空き巣での不法侵入と窃盗だよ」


 ああ、あと信書開封罪もあるな。もっと正確に言えば余罪に厭わないが、まあ、これくらいで勘弁してやる。なにせ、ちんけだが、あくどい罪が積もりに積もって執行猶予無しの懲役刑な上、懲役で三十年は喰らうだろうからな。それこそ。


「覚悟しておけよ。スパイなんて格好良いもんじゃない阿呆な泥棒ストーカーが」


「えっ!」


「間抜けな顔〔ツラ〕を晒すな。泥棒ストーカー」


 泥棒の上、ストーカーなんてのは極悪非道だぞ。


「マ、マジですか? マジですか? 僕ってスパイじゃないんですか? 手紙を盗んだり盗聴器を仕掛けたりはしましたが、痴漢はやってないです。えん罪です」


「証拠品で女性もののパンツも出てきたぞ。しかも使用済みで洗ってないヤツだ」


「違うッ」


「何がだ」


「えん罪ですよ。痴漢なんてやってない。盗撮はしましたけど痴漢はやってない」


「というか、拘るところはスパイとかじゃないんだな。痴漢なんだな。阿呆が!」


 お前が痴漢したって証言の裏も取れてるんだよ。


「それは違う。僕は、ターゲットからターゲットの自宅のマスター鍵を手に入れる為、尻のポケットに入っていたブツをスろうとしただけですよ。不可抗力です」


「分かった。分かった。どちらにしろ、ついでにって感じだろ」


「まあ、それは否定はしませんけど」


「……否定しないんだな。やっぱり」


 どふっ。


「どふっ、なんて笑い声、お前くらいだ。泥棒ストーカー。観念したか。阿呆が」


 僕はスパイのつもりでいたけど、その実、単なる泥棒ストーカーだったらしい。


 どふっ。


 と笑って、さめざめと涙を流した。


 お終い。

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