007


まだ太陽の出ていない薄暗い中、置いているサンダルを鞄にいれて裏口の前で持ってきた靴を履いていると、近くのドアが開く音に振り返る。


「ユア、どこか行くの。」

目をこすりながら廊下に出てきた寝間着ねまき姿に言葉をかける。

「ごめん、起こした?」

「ううん、喉乾いたから。」

寝ぼけたままに幼い言葉を使って話す、気の抜けた笑顔に苦笑を一つ落として返事を返す。


「ちょっと、出かけてくるよ。」

「…うん、行ってらしゃい。」

傷一つ無い手を振る彼女を一瞥いちべつすると、頭の高さに手を上げて家を出た。


「行ってきます」


§


水の糸が空に浮かぶ。

視線の高さにある線の細い水の塊は肉づくように気泡をたてて波立ちながら厚くなっていくと、女性の手首程の太さへとなり表面に僅かな水紋を残して静止する。

顔の前に腕を上げて小さく横に指をふるとその方向へと水はうねり、ある程度の速さを持って動き出す。


すぐに視線を追いかけて、広場の端へと着いた途端に反対側へと指を振る。その動きにすぐに呼応するように空中で反転をして、今度はうねりながら地面をうように飛んでいく。

そんなことを何往復かして調子を確かめると、目の前に戻して静止させようと動かす。

僅かに正中線正面からずれて止まるそれに、とりあえずの納得をすると今度は指を回す。


その場で平面的にぐるぐると勢いをつけてぶつかることもなく急旋回を続けるのを見ると、指を上に向けて回して角度を変えても同じ動きが起こるのを確認する。

同じことを続けると、思いつきで回転を加えてる途中に指を横に振り急発進させる。

微調整をして高さを上げて図書棟の角までベタ付けさせて止めると、息をつく。


今からやろうとすることに念の為にと横を見ると、青い瞳はこちらに向いていて手首だけで小さく手を振られる。

ぎこちない苦笑と会釈を返すと、誰も居ないことを確信して見えない先へと指を伸ばして手首を払いゆっくりと飛ばす。

薄目をひらきながら速度から距離を予想するとある程度行ったと判断した地点で指を振る、ぶつからずに曲がったであろうことを願うとそのまま微動だにせず意味があるのかも分からない数を空で数えて、想定よりも多く数えたと判断すると手前に指をふる。


そこでようやく少し身体の向きを変えて渡り廊下まで登って見ると、大分離れた水上の上空を通る、うねり青く光る水の糸がまるで生きているかのように悠々と飛んでいた。

「見えていない所でもきちんと作動するか…。」


光に照らされてどこか優美なそれを止めると指をこちらへと振り、戻す。

近くまで寄せて最後に一度、異変がないかをまじまじと見る。

何となく一度渡り廊下の屋根を一回転くるりと通り抜けさせると、城から少しだけ飛び出た

塔のそばへと飛ばすと上に向かわせる。

距離を詰めて、その複雑な模様が彫られた壁ぎりぎりを速度をつけて上がっていくのを見上げていると、すぐに頂点へと辿り着く。

尖塔の先でぐるぐると回しながら大きく息を吐き出すと、紙に付かず離れず微妙な力で調整していた薬指をベタづきさせ、指を上に振り抜く。


途端にこれまでとは比べ物にならない速度をつけてすぐに巨大な樹木へと近づく。

そのまま止めることもなく昇る水塊すいかいは更に速度を上げて、太い強大な枝から生えるそれでも胴回りほどある枝に当たり、全身が包まれそうな葉に割かれて形を崩しながらも青い空へと登っていく。

目にはもう豆粒程にしか見えずそのまま消えて行ってしまいそうな青く発光するそれはついに距離が離れすぎて、形を保っていることができなくなって、葉に当たり枝に当たり音を立てて落ちていき、最後には地面に大粒の雨を降らして濡れた後を残すばかりで崩れた。


指を振っても動き出すことのないのを確認して、紙の端を掴むように親指を大きくずらすと青い光は消えていき、本当の意味で魔法が止まる。


葉から落ちる水滴の音だけが響く静かな中、小さく拍手する音が聞こえた。

「前回からまた上達されましたね。」

目下でベンチに座ったまま、綺麗な姿勢で手を叩いて微笑む彼女に答えを返す。

「…ありがとうございます。想定した事は大体出来ていたので、とりあえず良かったです。」

荷物を置いていた彼女の座るベンチへと向かうために階段を降りる。


手に持った羊皮紙から両端についた伸ばすための矯正器具を外し丸めて細い筒に入れると、視界に入れるように差し出されたコップを受け取る。

「すみません。」

「いえ。」

爽やかなのどごしを感じながら飲み干すと、コップを手に座り込む。


口火を切るように、隣に座る彼女に声をかける。

「…いい天気ですね。」

「そうですね。」

息が少し上がって唇が乾く、そんな熱を奪う冷たい風を肌に感じながら雲もほとんどない空を遠くに見上げて、会話を目的へと近づける。


「少しここら辺の植生が知りたくて周ってみたいと思っているんですが、簡易的な地図でも良いんですけれど、あったりしますか。」

雑談でも交わすように彼女を見て問いかけると、少し考え込むように俯くと青い瞳はこちらを見る。

「思い当たる物はあります、今お持ちしますか?」

「お願いします。」

立ち上がり階段を登っていく彼女を見送り、用意していた使い古した背負鞄の中から同じ形の筒がいくつか入った袋を取り出して、中へと混ぜる。

分かりやすく目的のものをすぐ取り出せるように色のついた紐が巻きつけられたそれらを揺らすように触れると、袋の口を畳んで元に戻す。


帰ってくるまでの間、底からひっくり返すように中から一つずつ取り出して状態を確認することを繰り返していると扉の開く音に目を向ける。

何かを手に戻ってきた彼女が下る、それだけで絵になる姿を見ていると距離は近づく。


「お待たせしました。」

「いえ、我儘言ってしまってすみません。」

両手で差し出された薄い木の板で作られた箱を受け取り、ただ置いてあるだけの蓋を外すと大きな白紙の上に書かれた縮尺はしっかりとしていそうなのに城とその周りと村、その他数個、目につくものだけが細かに書かれたちぐはぐな地図が目に入る。


「すみません、ご用意できるものはこれしか無いのですが。どうでしょうか。」

「…求めていた物そのものです。これって書き写させていただいても問題ありませんか?」

立ったまま箱の中身に落としていた視線を上げる。

「問題はないかと。」

問題以外ならば何かがありそうな言葉に聞き返しはせずに、背負鞄を掴む。

適当に肩に肩紐をかけて足に力をかけて持ち上げて、立ち去る挨拶を何にしようかと考えていると問いかけられた。

「…このまま出られるますか。」

声に視線を上げると青い瞳は薄く発光してこちらを見ている。

「ええ、と言っても今からこれを写す時間を考えたら、今日は近場を少し歩くだけですけど。」


「明日にされたらどうですか。」


「…?、山を舐める気は無いつもりですよ、深いところじゃなければここら辺なら何度も歩いたこともあるし、明るい内に打ち切るつもりです。」

雨は降り出しそうにもない晴れた空を背景に、編んだ白金の髪を僅かに揺らす彼女はじっとただこちらを見ていた。


「駄目でしょうか?」

「…いえ、別に駄目なんてことはないです。」

今日では駄目なのか明日ではなければ駄目なのか、そういった何かでもあるのだろうと思い言葉に従う事に決めて、今度こそ立ち去るために声をかけた。


「今日は貸していただいたこれに時間をかけることにしますね。」

そういって見せた木箱を片手に持ち、屈んで脇に置いていたコップを手に取り、一言添えて渡す。

「じゃあ失礼します。」

軽く頭を下げて、無言で見る彼女から視線を外して階段を登ると、図書棟へと入る。


階段を登り、見慣れてしまった黒革の椅子を見ながら側の机にゆっくりと鞄を下ろすと、持っていた箱を目の前の机に置き、沈むように座る。


深く座りすぎて視界が天井で埋まる中、その柔らかな感触に起き上がる気もしなくて。ぼーっと意味もなくそのままの姿勢で思考にふける。

カーテンを閉めた薄暗い部屋はそれでもどこか暖かで、意味のない言葉がめぐる脳みそはどこ吹く風に、意識は白く濁っていく。

鈍っていく思考すら甘い快楽に感じるそれに抗う気はなく、流されるままにゆっくりとまぶたを閉じた。


§



気がつけばぼやけた視界はクリアになり、うつむいて第二次性徴を迎える直前の中途半端に小さな手を見ていた。

義父の様になりたくて、身体を作る為に自分なりに走り回って、剣を振って。早く筋肉がつかないかと豆の出来た手のひらを眺めていた感情を、毎日を思い出す。


身体は意識とは別に庭のベンチから立ち上がり、木陰を出て家へと向かう。

裏口の扉を開くと記憶の補正か、元よりそうだったのか記憶は薄れて思い出せないが見慣れた変わりのない風景を映し出す。

その希少さにも目もくれずにそのまま靴を脱いで廊下へとあがり、キッチンへと歩いていく。


「――…。―。…―。」

いつの間にか角を曲がってキッチンの前に立っていた意識は、言葉にならないノイズを耳に閉ざされた扉へ視線を移す。

理解しようとしても聞き取ることが出来ないその雑音が気になって惹きつけられて、近づいてその扉に耳を当てると、意味となって言葉が聞こえてくる。

悲しげな声と共に。



「顔を見れば分かるが、どうだった。」

「…ううん、そんな成分のものは見つかってないって。」

「そうか、ヴィルヘルム殿にお聞きしても駄目か。」


「――の毒を中和できなくても少しでも緩和できれば、何か見えるかもしれないのに。」

「…そう思い詰めるな、昨日今日でどうにかなる話ではないだろう。」

「分かっているけど…。」


「昔は布団からも出れない日も多かったが、最近はあんなに元気そうにしてるじゃないか。まだ時間はある、そうだろう?」

「違うの…。」

「…何が違うんだ?今だって元気に遊びに行ってるじゃないか。」


「あの娘、今は解熱剤を服用してるだけで本当は今だって苦しいはずなのよ、…我慢が上手になっただけで。薬の副作用だってあるし、立ちくらみだったり吐き気とか頭痛とか、今も苦しんでるはずなの。」

「…なんで、言ってくれなかったんだ。」


「あの娘にあんなに必死に誰にも言わないでって言われたら、言えなかったの。」

「それだって、私には教えてくれたって良いじゃないか。」

「分かってる、遅れてごめんなさい。」


「…すまない。考えた上で話してくれたんだよな。言い過ぎた。」

「……あの娘、ユアに知られたくなかったのよ。ずっとユアと外で遊びたがってたから。ユア優しいから、気を使っちゃうんじゃないかって、あの娘も多分分かってるんだと思う。」

「そうか、ならまだユアには。」

「……言わないつもり。」

「…そうしておこう、いつかユアが大きくなってからでも遅くはないさ。」


「いつまで生きれるかな…。」

「三十年は生きられるんだろう。」

「でも、動いていられるのはもっと短い、明日倒れてそれきりになってしまうかもしれない。そう思うと、私。」


「…君は頑張ってるよ、未だに特効薬が見つかっていない難病なんだ。また少しずつ進めていこう。」

「私に出来るのかな、私一人で。」

「…この研究に従事している先生と繋いでいただいて連絡をとっているだろう、先方が見つけてくれるかもしれない。それに私だって居る、子供たちだって居る。一人じゃないだろ。」


「…そうだね。――もユアも私の可愛い子供。」

「ああ、そうだ。もう五年以上も育ててきたんだユアだって私達の子供だ。二人とも大事に育てていこう。」

「うん…。」


「さあ、流した分水を飲もう、水差しを持ってくるから…」



そこまで聞いて扉から耳を離して、かろうじて動いた頭の思うまま音も立てずに逃げ出す。

逃げた、逃げ出した。

裏口の靴を履いて、外へ。


気がつけば、また振り出しに戻る。

座り慣れた木陰のベンチにぐちゃぐちゃな頭を抱えてへたり込んでいた。



その当時、僕は幼い頃から。…出会った頃から病床に伏せ気味だった彼女が外を出歩けるようになって、やっと身体が良くなってきているんだと、そう思っていた。

傍に座って話している時に熱を出して苦しそうな顔をしながら、たおやかに笑うその姿を見ているのが嫌だった。

だから、ようやく本当の笑顔が、楽しんでいる姿を見ていられるのだと、そう思って安堵あんどしていた。

けれど、それはまやかしだった。


綺麗な花を見つけて見せた笑顔も、美味しい物を食べて笑った姿も、共に見つけたしょうもない事に笑った顔も。

全てそのままだった、僕が見抜けなくなっただけで何も変わっていなかった。



「ユア、休憩?」

前を向くと、虚像きょぞうが見えた。

十歳位に縮小された輪郭のぼやけた顔の見えない、イモウト。

『もう五年以上も育ててきたんだユアだって私達の子供だ。』

栗色の髪を見る、僕とは違う色のついた淡くて綺麗な髪を。

が止まったみたいに触れるまで動き出すことのない像を置いて、思考は進む。


思い出す姿はいつも苦しげな姿だった。

咳き込んでばかりで、食も細くて、熱に浮かされてまぶたの落ちた、血色の悪い白い肌をした、窓際で穏やかな陽気に当てられた布団に入ったままに座る、無理した笑顔。

何かしようと心ばかり焦っても何も出来なくて、母の。義母の真似をして、強く握ったら折れてしまいそうな手を繋いで、どうしようもない会話を繰り返すことしか出来なかった。


いつの日にか、そんな姿は薄れて。僕の中で思い浮かぶ姿は、木陰で笑うその笑顔に、何気ない横顔に、どこかへと駆けていく後ろ姿で、陽気に当てられて隣で穏やかに眠る姿で、

変わっていた。同じ角度で一つしか思い浮かばなかった姿は、色んな角度に色んな背景に紐付いた複数の姿になっていた。


背が伸びていっても僕より少しだけ身長を超すことはない彼女は、綺麗になった。

そんな彼女を、いつの間にか守りたいと思っていた。

その笑顔を、作られていたものだとしても、笑いかけてくれた彼女を。

そのために必要なのは力は力でも知恵なのだと気付いた。

だから、僕は剣を捨てて。日に日に手は柔らかくなって、握られているものはペンになった。


それでいいと、思っていた。

村長に直談判して、手伝いをした代わりに本を借りて。毎日離れに閉じこもって知識を詰め込んで、詰め込んで。いつか正解を導き出せるように頭を捻って稚拙な研究を重ねて、もっと上の知識を得るために学校に行かせてもらえるように無理を承知で頼み込んで、優しさに漬け込んでいる僕にすら優しい人達のおかげで一歩一歩前に進んでいけた。


進んでいけたと、思っていた。


思い描いていた道は正しかったのか、そんな問いに意味はない。

それでもどうしても考えてしまう、そんな考えは甘かったんだろうかと。

結局子供が見た現実味のない、夢物語に過ぎなかったのだろうかと。


彼女の虚像を見ると、尚更にそう思ってしまう。

木陰に、背景の光の中に消えてしまいそうなぼやけた姿に。


「――――…。」

言葉にならない何かナニカを話す彼女に、震えた腕で手を伸ばす。

掻き消えていく姿の中に、はかない笑顔を思い出していた。



§


――意識が覚醒して開いていく掠れた視界に、揺れた綺麗な青い瞳が映った。

「…ぁ。」

締まった喉から出そうとした声は音にならずにうめくような言葉が出る。

掛けられた毛布を落として軽くうつむいて起き上がると、目頭から涙が流れて落ちた。


寝起きで止まった脳みそのままに起きるのを待っていると、その頬を涙で濡れた頬を白いハンカチがぬぐった。


「…すみません。」

ぼやけた頭の中で自分でも何に対しての謝りなのかも分からずに反射的に言葉が出て、また一つ涙が流れる。

少し起きた意識は、再度頬に触れたその手が微かに震えていることを教えて。ゆっくりと彼女の顔を見上げると、硬い表情の中瞳は揺れていた。

そんな顔をしながらもそれでも頬をぬぐう。その優しさが、寝起きのむき出しの冷えた心に温かかった。


「いつも、そんな眼をさせてしまってますよね。」

「え…。」

思ったことを口にそのまま出すと、頬に触れたまままのハンカチを掴んだ手に重ねて、ゆっくりと膝まで落とす。

血の気の感じない冷たくも暖かくもない手の甲に、視線を落とす。


「悲しそうで、今にも泣き出しそうで。」

けれど暖かで、慈愛を感じる。


「貴方にもいつも笑っていてほしいのに、僕が泣かせてる。」

「………。」


「メインさんにはメインさんの事情があるのに、僕の事情に付き合わせてばかりで。いつもなぐさめられて。」

「不甲斐なさに消えてなくなりたくなります。」

ぽろりぽろりとこぼれ出る言葉が本当は言ってはいけない言葉なのだと心のどこかで分かっているのに動かない頭のせいにして、吐き出した。


「…わたしは、逆です。」

「貴方が居るから、誰も居ないこの場所でも生きていれる。」

触れた手を逆手にして手のひらを上にして、ハンカチに包まれるように上下逆さまに合わせる。

「貴方が居るから、わたしは生きていたいと思えるから。」

青い瞳は薄暗くなり始めた部屋に小さく輝いて、真正面からこちらを見る。

その瞳は揺れていなかった。


甘えた言葉にも優しい言葉を返すその彼女の眩しさに、自分自身に辟易へきえきとする。

辟易として、いい加減に目を覚ます。



逆さまに繋がれた、触れた手を離す。

「ごめんなさい、甘えてしまいました。」

「……いえ。」


空気を変える為にもう一つ自分勝手を通す。

「それ、なんですか。」

脇の机の上に置かれた、巾着袋に入った厚い板のようなものに注目を当てる。


「それは…、今じゃない方が良いと思います。」

そういうとハンカチを手に立ち上がり、バスケットを持つ。


「…また明日。」

「また明日…。」

オウム返しに挨拶を返すと早々に、ちらりとこちらを見て、いつもより早足で立ち去っていく。

そのどこか慌てたような様子に、思い当たる節が多すぎてどの感情を優先させて良いのかがわからない。

できれば、嫌われてなければいいのだけれど。どう考えてもそれは、甘い想定だろう。

自己嫌悪に取り憑かれながら、座ったままに窓から外を見た。


暮れていく日を見ていると、壁へと歩き明かりをつけ、箱を開けて作業に取り掛かった。



§


荷物を座った横に置いて、あかつきの空を見上げながら靴を履き直す。

つま先をとんとん地面を蹴ると、念の為に背負い鞄の口を開けて中身を取り出して確認する。

一度出してそれらを全て戻して、口の紐に結んだ紐をくくりつけた木の板に貼られた地図をちらりと見て確認を終える。

そうしていると、扉が開く音がして視線を移すと、硬いわけでもなく笑顔なわけでもない表情を浮かべてゆっくりと階段を降りてくる。


「おはようございます。」

「…おはようございます。」

綺麗な礼を見終えると、まずはと声を出して腰を曲げる。


「昨日はすみませんでした。謝って済むようなことじゃないと思いますけど。」

「いえ、そんな。」

焦るように黙り込む彼女にこれ以上はただ迷惑なだけだろうと、頭を上げる。

ずらされた視線に、横を向いて頭をかくと「渡したいものがあります」という言葉に視線を戻す。


「まずお弁当です。」と渡された箱に礼を告げてとりあえず脇に置くと、続いて差し出されたそれに目を向ける。


「後、これを。」

「…なんですか、これは。」

昨日見た巾着袋から彼女が目の前で取り出したそれは、厚さの割に小型な水晶板の中に青いインクで魔方陣が描かれていた。

「こちらに触れていただけますか?」

片手で持ったもう片方で指された箇所に言われるがままに指で触れると、インクは僅かに光り輝いて表面上に三重の円を映す。

円の中心に青白い光が二つ並んでいた。


「こちらは自分を中心とした半径に存在する一定以上の大きさを持つ生命との距離を測定するものです。」

実際に森の中で使えばどういうものかは分かると思います、という言葉とともに巾着袋に戻されて渡された水晶板は角が整えられていて、明らかに貴重品といった部類で持ち歩いて良いものではなかった。


「これを、お借りして良いんですか。」

「はい、是非持っていって下さい。」

いつもと違って、有無を言わさぬ言葉に有り難く使わせてもらおうと、仕舞うために屈む直前、ポケットの中に入れた手に視線を戻す。


「それと…。」

控えめな言葉と共にポケットから取り出されて差し出されたのは、綺麗に染色された布切れをった小さな袋だった。

「お守りです。」

「その中には毒虫よけの香が入ってます。ですから、よかったら持っていって下さいませんか。」

まだ暗い空の下、どこか不安げな表情を浮かべて言葉を続ける。


「どうか、お気をつけて。」

そんな言葉と渡された独特な、けれど悪くないどこか落ち着く匂いのするそれを受け取ると胸ポケットの中に入れる。


鞄を背に立ち上がると、頭を再度下げて、見送ってくれながら挨拶をする。

「行ってらっしゃいませ。」

「……失礼します。」

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