後編

 呪いによる後遺症などは無さそうだが、念のため午後は体を休めたほうがいいと氷沢に促した。

 彼女は素直に従い、保健室で眠らせてもらうことになった。


 放課後。

 氷沢の様子を見に行こうと教室を出ようとすると、彼女が現れた。


「氷沢さん、体は大丈夫?」

「ええ、もう平気。なんともない。ところで御先君……よければ一緒に帰らない?」

 聞いてくる氷沢に俺は、

「うん、いいけど」

 快諾して、スクールバッグを肩にかけ直した。


 これに教室に残っていた女子グループが小声で、

「なんか氷沢さん、雰囲気かわってない?」

「うん、まるで憑き物が落ちたような、すっきりした顔になったっていうか」

「気のせいか、どこか明るくなった?」


 それに続いて数人の男子も、

「なあ、いつもの素っ気ない感じ、しなくね?」

「ホントだ、近寄りがたいオーラもないな」

「しかし、いつもぼさっとしてて学校も休みがちな御先にわざわざ声かけて一緒に帰るとか、何かあったのか?」


 そんな言葉に背中を見送られながら、俺たちは教室をあとにした。


 彼女がまとっていたけんのある空気はすっかり消えた。

 いずれ近いうちに悪い噂もなくなるだろう。



 学校を出て、街路樹が並ぶ道を歩く。

 澄みきった秋の風に髪をなびかせる氷沢の表情は柔らかく、物腰も落ち着いている。

 髪をとく指先は伸びやかだ。

 

 こうして美少女が隣にいると、見飽きた街並みも心なしか輝いて見えてくるもんだな。


「あらためて、お礼を言わせて。助けてくれてありがとう。ずっと胸に鉛でも詰められたような重い気分だったのが、今は晴れれと軽くなって」

「うん、そりゃあ良かった。呪いの影響も残ってないようだし」


 怪異に触れた者は悲惨な末路をたどる者も多い。

 助けられて本当に良かった。


「でも今思い出しても夢だったみたい。あんな化け物が出てきて、それを御先君がやっつけたなんて」

「俺がああいう力を使えるのはくれぐれも内緒で頼むよ」


 あのあとも一応口止めしておいたが、バレて下手に目立つと家業の内容的にもいろいろと厄介だ。


 もちろん分かってる、と氷沢はうなずいてから、

「それで、お礼を考えたんだけど、御払いが家業ならやっぱり御払い料? とか、謝礼金みたいものを払おうかと思って」


「いいよいいよ、謝礼金なんて大げさな。あんなの野良犬を追っ払ったみたいなもんだからさ」


「そう。……じゃあせめて、お茶でもごちそうさせて」

「それなら遠慮なくごちそうになるよ」



 2人はロードサイド店が並ぶ大通りに出た。

「思い出すと怖いけど、興奮するくらいすごい戦いを見た気がする」


「奴は不気味だけど見かけ倒しで、真っ向から戦う力は弱いほうだよ。あそこまで派手に能力を使って倒すほどじゃなかった」


「でも、御先君があの黒いので私を守ってくれて、最後に悪霊をボコボコにしたところなんて、なんだかほら、スタンドバトルを目の前で見てるみたいだったもの」

「え、スタ……氷沢さん、少年漫画なんて読むの?」


「? 普通に読むけど? おかしい?」

「いや、だって、学校じゃ漫画に親しんでるような印象が全然なかったからさ。難しい本しか読まないって聞いてたから、見向きもしなさそうで」


「まさか御先君、私がゲーテの詩集や高尚な文学作品しか読まない、なんて噂を信じてたの?」

 違うの? と聞き返すと、彼女はふふっと小さく笑い、


「そんなわけないでしょ。私、本は漫画からラノベまで幅広くなんでも読んでるから」


 ハードカバーや無味乾燥な表紙の文庫本を愛読しているイメージがあったが、それは周りが作った勝手な想像でしかなかったわけか。


 しかしああいう固有名詞がポンっと出てくるってことは、彼女相当好きだな。


「あんなバトル漫画みたいなこと、いつもやってるの?」

「いつもってわけじゃないけど。それに、あれくらいは大した相手じゃないし、俺もまだまだだよ。俺の師匠すじの人なんて、それはもう強力な怪異と対峙して戦ったり、鎮めてきたんだ。都市伝説やネットロアで有名なやつとかね」


「へえ、じゃあ八尺様とか、あの蛇の、なんて言ったかしら、ガラガランダみたいな名前のとかを?」


「カンカンダラね。なんでわりとメジャーな怪異より、仮面ライダーの怪人が先に思い浮かんだの? もしかして漫画だけじゃなく特撮も好き?」

「別に好きじゃないわ。ニチアサを欠かさず見てるだけ」


 それは一般に好きと呼んで差し支えないんだが。

 しかし深窓の令嬢である氷沢の、日曜朝のルーティーンが俺と同じとは、意外性に富んでいる。


 よく考えたら、俺は彼女が噂になる以前の過去をあまりよく知らないのだ。

 なんだかひどく、興味をそそられてきたな。


「今の話のお師匠さんはたしかな実力者なんでしょうけど、私はあなたも勇敢さでは負けてないと思う。だって、あいつの前に立ちふさがって戦う御先君の背中、なんだか本物のヒーローを見てるみたいだったから」


 氷沢は憧れのヒーローを見るような憧憬どうけいに満ちた、いやそれ以上の熱視線を向けてくる。


 わざわざ俺なんかをそんなふうにたとえるとは。

 さては氷沢、かなりの特撮好きだな?



「あそこにしましょう」

 氷沢は、7つの星と剣が描かれたグリーンの看板を指さした。

 シアトル系コーヒーショップ、スターバースト。


 お茶というからワゴンでティーセットが運ばれてくるハイソなアフタヌーンティーの店にでも招かれると思ったが、こっちのが気軽でいい。



 ガラス張りの店内で、氷沢は慣れたふうに注文を始める。


「御先君、つまむお菓子は私と同じでいい?」

「ん、ああ。コーヒーはブラックで」


 すぐにオーダーされたものがトレイにのって出されたが、

「う、コーヒーの隣にある、このブツは……?」

「カスタードクリーム入りのキャラメルドーナツ、上にかかってるのはチョコチップとキャンディングアーモンドとシュガーパウダー」


 三千世界の甘味の欲望を一まとめにしたかのような、糖分のかたまり。

 カロリーの化け物にして、もはや食べる大罪。

 口にすれば、どうあがいても脂肪。


「これ、1度食べてみたかったの」

「この罪悪感が形になったようなドーナツを?」

「ええ。少し前に出た新作なんだけど、1人のときはどうしても注文しづらくて」

「今日は俺がいるから、これ幸いと、この機会に注文したってこと?」

「同じでいいかって同意の確認はしたでしょ?」

「いや言ったけど。まさか、そのためにこの店を選んで連れてきたんじゃ」

「私はそんな策略家じゃないわ。これは本当に気持ちばかりのお礼のつもり。それに一緒に食べれば、ハイカロリーの罪悪感も少なくなるものでしょう?」


 まあせっかくのお礼だ。

 ここは素直にお供しよう。


 テーブルに着いてソレを持つと、思っていた以上にずっしりと重い。


 一口食べるとキャラメルの口溶けはなめらか。

 だが、あらゆる種類の甘さが一気に味覚と嗅覚に押し寄せてくる。


 スパイシーな激辛料理ならガツガツいけるが、これはコーヒーの苦味で相殺しながら、ちびちびかじって攻略するしかないな。


 一方、氷沢はというと、両手で持ってパクパクと美味しそうに食べている。

 飲んでるものも何やら、シロップやらチョコソースやらがドバドバぶっかけられたものだ。


 今朝まではコーヒーショップにいても、苦いエスプレッソを片手にアンニュイな顔で窓の外を眺めてそうな、そんな雰囲気だったのに。


 だが饒舌じょうぜつでコロコロ表情の変わる氷沢もかわいい。

 彼女は不気味だと避けられていた呪縛から解かれ、等身大の女の子に戻れたんだ。


 俺の観察に気付いたのか、

「なに?」

 彼女は小首をかしげる。


「いや、氷沢さんが想像してたよりよくしゃべるからさ。もっとこう、クールでドライな性格なのかと思ってて」

「そんな、エアコンの設定じゃないんだから。……でも、そういう態度をし続けていたら、だんだん自分の感情がどこにあるのか、分からなくなることもあって……」


「それも奴の呪いの術のせいだよ。今までの悪いことはなにもかも。氷沢さんに責任はない」

「……うん」


「そうだ、親にも報告したほうがいいんじゃない? 調子が良くなったなら、きっと喜んでくれるよ」


「……そ、そうかな」


「? もしかして、両親も呪いの影響で重い病気か何かになってるとか」


「ううん、両親はなんともないの。なんとも」


「そうか。……何もないに越したことはないけど、普通は1番身近な親から狙われるはずなのに」


「うちの両親、私が小さい頃から仕事で世界を忙しく飛び回っていて、ほとんど会わないの。家族で揃って出かけたり、遊んでもらった記憶もほとんどない。友達より会う頻度が低かったから、呪いの標的にもならなかったのかもね」

 氷沢は自虐的に、悲しげに笑った。


「一応、急に不幸が続いてるって相談したことはあるんだけど、そんなのは偶然、単なる気のせいだからって、全然話を聞いてくれなくて」


「そうだったんだ」


「家族を他人より遠くに感じるときって、寂しいものよ」


 彼女の心にぽっかりと空いた穴を見た気がした。

 陰険なタイプの怪異はこういう心の隙間を好む。

 奴にしては術が効きやすくて好都合だったろう。

 皮肉な話だ。


「人の家族関係について俺はどうこう言えないけど……氷沢さんはその孤独な状況で周りに被害が及ばないようにと、何とかしようと1人でもがいてたんだな。……今まで本当に大変だったね」


 彼女は少し涙ぐんで、

「でも御先君のおかげで助けられた。あのままだったら私、あいつの言う通りに、いつか自分の命を」

「もう悩んだり苦しむことはないよ。これからは友達も作れるし、ずっと笑って過ごせる」

「……ありがとう」


 重ね重ねになるが、怪異に人生を壊される者も多いなか、助けられて本当に良かったと思う。


 氷沢はこぼれそうな涙を拭うと、

「だけど、いきなり抱き締められたときは驚いたな。小さい頃から考えてみても、あんなに痛いくらいに抱き締められたのは御先君がはじめて」

「え、ああ……あれは勢いっていうか、怖かっただろうから落ち着かせようと、ごめん、いきなり」


 俺は彼女が泣き止んで落ち着くまで、しばらく抱き締めていた。

 術で外部との干渉を遮断していたので、泣き声は屋上の外には漏れてはいない。


 しかしだ。


 同級生であろうと、女子高生に同意なく触れることはすなわち、法に触れることを意味する。

 ましてや強引に抱き締めたなんて日には、ネットニュースでみっともないトピックスになることは不可避。

 と危惧したが、


「ううん、うれしかった。本当に救われたんだって安心できた」


 それに、と彼女は目線を1度下に落としてから、上目遣いでこちらを見ると、

「御先君にギュッてされてると、すごくあったかくて、なんだか胸の奥まで、あったまるような」

 そう言って、視線を外しながら髪を耳にかけ、そわそわ、もじもじし始めた。


「そんなにあったかかったかな? 俺、体温は平均より少し低めなんだけど」

 額に手を当てて熱を見るような仕草をしていると、氷沢は眉を寄せて唇を尖らせていた。


 あれ、急に不機嫌?

 なんかまずいことでも言ったか?


 まあそれもほんの一瞬のことで、俺たちは他愛のない話をして過ごすと、店を出た。


 コーヒーにドーナツにちょっとしたおしゃべり。

 昼間の報酬としては十分だ。


「ごちそうさま」

「うーん……命の恩人へのお礼としては、やっぱりちょっとチープだったかしら」

「だから恩人とか大げさだよ。いいよ、楽しかったし」

「そう、良かった。私も楽しかった」


「今度は友達作って、みんなでワイワイ一緒に来れば良いんじゃないかな」


 明るめに言ったのだが、氷沢はうつむいた。

 心に大きな不安とわずかな希望が同居しているのが、その顔から分かる。


「私、周りに結構冷たい態度を取ったり、きつい口調で接してきたから……友達、できるかな」


 悪い噂は消えるだろうが、すぐにすぐ、何人もと仲良しに、とはいかないか。


 じゃあさ、と俺は切りだし、

「よければ、俺と友達にならない?」


「え、あなたと友達に?」

「ああ。氷沢さんの今までの事情も分かってるしさ。たまにおしゃべりする程度の仲でもいいから」

 フレンドリーな雰囲気で提案してみる。


 だが彼女は、困惑した表情を浮かべてから、横を向いて大きく視線をそらした。


「……あなたとは友達にはなりたくないの」

「え……」

 俺は思わず、ぐ言葉を失ってしまう。

 さっきまで過ごした時間からすれば、わりと良好な反応をもらえると思っていたから。


 リアクションに困っていたが、なんとか気持ちを立て直すと、

「そ、そっか。……食い下がるわけじゃないけど、駄目な理由とかあるかな」


「そ、それは、その……」

 やはり目を合わさないまま、言いよどむ。

 俺が立場を考えず、出すぎた真似をしてしまったか。


「あ、ああ、氷沢さんはお金持ちでルックスも良いから、これからクラスや学校の人気者たちといくらでも友達になれるものね。俺みたいなぼさっとしてて、家業の遠出で休みがちだから、教師からもぼんくら扱いされてる奴じゃ、とてもつり合いが」


 自分でも卑屈な言い回しをしていると、伸びてきた彼女の両手が俺の頬を引っ張った。


「!? いっ、いひゃい、いひゃいって、なに、ひひゃわさん」


「勝手に早合点しないで。あと自分をそんなふうに卑下するようなことも言わないで」


 俺は離してもらった頬をさすりながら、

「じゃあ、なんで」


「私はただの友達関係にはなりたくないと言ったの」


「え、だから」


「あなたと「単なる普通の友達同士」になるなんて、今の私にとっては絶対に我慢ならないことなの」


「普通の友達同士じゃ我慢ならない、ってのは?」


 もうっ、と氷沢は少しれったそうな顔をして、

「なるなら絶対、友達以上の関係からってこと!」


「ええ、友達以上!? いきなりなんで、どういうこと?」


「どうもこうも、あんな絶望的な状況から救いだしてくれて、心細いところを優しく慰めるように抱き締められたら、その、だから……す、す、好きになっちゃうに決まってるでしょ!」


「氷沢さんが俺のことを、す、好き!?」


「そ、そうよっ」


「す、好きなの? 俺のことを、氷沢さんが」


「なんで倒置法で聞き直すのよ。何度も言わせないでよ、恥ずかしいでしょ、バカッ」


 透き通るような肌を上気させた赤面が、彼女の感情をダイレクトに伝えてくる。


 これは冗談とかではなく、俺の善意の行動がはからずも、彼女の心の琴線をきならし、ハートまで射抜いてしまったのか?


 氷沢は覗き込むように俺を見て、

「……だ、だめかな? 友達以上からの関係」

「だめだなんて、そんなことないよ。むしろ大歓迎だ、氷沢さんとそういう仲になれるなんて」

「良かった、じゃあ」

 そう言うが早いか、彼女は間近に寄ると、俺の腕に自分の腕を絡めてきた。


 胸が当たってる、どころか、制服が窮屈そうなほどボリューミーなバストの片側を、俺の二の腕に完全に預けてきている。


「友達以上になった証として、こうやって仲良く帰りましょう」

「こうやってって、いきなりこんな──」

 頼りないほどのふわふわ加減とこれでもかと存在感を主張する弾力。

 本来矛盾して然るべきはずの二大要素を完璧なバランスで兼ね備えた胸の感触に、俺はしみじみと感動した。


 この腕にかかる重さは、置かれた信頼の重さか。



 しかし、あの昼休みからまだ数時間程度だっていうのに、この積極性とスキンシップ。

 クールに見えて、実は人一倍アクティブな性格をしているんじゃなかろうか。

 この氷沢リリアという少女は。


「ずっと感情を抑えてきたからなのか、呪いがなくなって、今すごく開放的な気分になってるの」

「それはなにより」

「だから御先君との「友達以上の関係」からのステップアップも、案外早いかもね」


 え? と驚いた俺に氷沢はニッコリと笑った。

 彼女の顔にはもう、凍り付いたような表情はどこにもない。


 友達作りをすすめはしたが──

 この笑顔を隣でしばらく独占するのも悪くないな。

 高い高い秋の空の下、俺はそう思った。

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孤立して毎日ボッチ飯をキメてた銀髪美少女同級生が憑かれていたので俺の術で助けたが「あなたとは友達にはなりたくない」と言われた。でもなんだかんだで幸せです。 @chest01

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