第4話 唇が空っぽでさみしい
ラブホテルを出る前に、持留と連絡先を交換した。スマートフォンに、裕という名前のアカウントが浮かぶ。
「ゆう、か。ひろし? 」
「ゆうです」
一息つくように呼べる名前。呼ぶ気はないが。
いしだ、とローマ字で記載している俺のアカウント名を読み上げてるのを、液晶に向かって伏せられた睫毛を、ぼんやり見ていた。
後日、俺は無事にケンゾウさんと筋トレに行って、食事を共にした。
もつ鍋の店に入り、個室で鍋をつつきながら、声を潜めて聞く。
「ケンゾウさん、ネコだろ」
「えーなんでバレた」
相手が何を求めているのか、なんとなく分かる時がある。だてに経験人数を積み重ねてはいない。
「だってカワイイからさ」
「何言ってんの」
ケンゾウさんは嬉しそうにしなを作って微笑んだ。
俺はいわゆる挿入する側のタチも、反対のネコもどちらも出来る。だから、相手に合わせて役割を選ぶのだけれど、気づけばいつもタチばかりしている。なんか知らんけど挿れられたがる男の相手をすることが多い。
もつ鍋を食べ終えてまた会う約束をして、その一週間後にばっちり交わった。ケンゾウさんも俺と同じ平日休みで、公休日が一緒だった。
筋肉の弾力に体を埋めて、腰を振った。
彼は何をするにもスマートだった。ホテルに行った当日も準備してるか、なんて聞かなくても彼が持ち込んだローションやらゴムやらで意思が通じた。
肉体美、ケンゾウさんはどこから見ても美しくて、遠慮なく欲をぶつけることができた。
同い年だったから、親近感もあった。
小中学生の頃にしていたカードゲームの話になって、必ずデッキに混ぜていたカードが一緒で盛り上がった。
この人が運命の人でいい。運命といってもあくまでセフレだけど、こんな素敵な男はそうそういない。
というくらいには、満足感のある逢瀬だった。
それなのに、俺は細っこくて若い、素直なばかりで面白くない男を、結局家に招いている。
「お邪魔します」
一度見たはずなのに、持留の変身がどうにも新鮮で履物を脱ぐ様子をつぶさに見つめてしまう。彼は靴を三和土の端に寄せて並べて、靴下で室内にあがった。
黒の靴下。普通だな。
キッチン兼廊下を通って手狭なワンルームに招いた。ワッフルコートを脱いで、所在なさげにしていたので、察して部屋にかけているハンガーを指さした。コートを掛けると、細い体躯が現れる。筋肉はないがまあスタイルはいいのだ、こいつは。
「洗面所、お借りしてもいいですか? 手洗わなくちゃ」
「いいよ、そっち」
洗面台にて手を洗う持留の後ろにつく。鏡越しに目が合う。
ひとっ風呂浴びてからきたようで、シャンプーの残り香が甘ったるく鼻をくすぐった。
「準備してきた?」
聞きながら、尻を撫でた。持留は泡まみれの手をぴたりと止めた。
俺は返事を聞かずに、彼のスキニーパンツに手をかけて下にずらした。
「わあっ」
「はは、ちゃんとつるつるだな」
持留の息子さんを見て、俺は感想を漏らした。本当にしてくるとか。
「だって、石田さんがしないとやらないって言ったんじゃないですか」
「ああ、そうだな」
尻に直接手をやって、割れ目に指を這わすと彼の体が明らかにこわばった。持留は思い出したように手の泡を水で流す。指を沈めると、そこはすんなりと受け入れる。柔らかくて、ぬるついている。自分でローションなりなんなり使ってほぐしてきたのが分かる。
「ちょ、ちょっと石田さん。タオルっ! タオルどこですか」
真っ赤になっていながら、濡れた手をどうすればいいのか、と彷徨わせている持留は面白い。
「ちゃんと自分でやってきたんだな。えらいじゃん」
「い、言わないでください」
「褒めてやってるのに可愛くないな」
うなじに顔を埋めると、外気に晒されていた名残で冷たい。浅い場所をいじり続けると嫌がって首を振った。
「やだ……汚いからそんな触ったらだめです」
「汚いなんて言ったら可哀想だろ。つーか、今からここにいれるんですけど」
一度指を抜く。指先は付着したローションでてかてかと光っていた。
「いいから、手洗ってください」
素直に石鹸で洗いながら、タオルがある棚の位置を伝える。そこから一枚出して、手を拭いた後、持留はそれを広げて待っていた。泡を流し終えて、水分をぱっと払うと、俺の手を包んで拭いてくれた。
優しい手つきと染まったままの頬は、噛み合わなくて余裕があるんだかないんだか分からなかった。
部屋に戻り、ベッドに腰掛けると持留も倣った。服を脱ぐように言いつけると、ちょっと居心地悪そうにしながらも、素直に脱ぎ始める。裸になって膝を立てたまま座り、シャツで体を隠すみたいにしていた。
「石田さん、脱がないんですか」
自分だけ全裸なのが耐えられないらしく、上目遣いで伺ってくる。
「あとで。先にお前の尻ほぐす。脱いだら寒いし」
暖房をきかせているとはいえ、裸になったら流石に寒いだろう。全裸になったやつを目の前にして言うことではないが。
「え、いいですよ。もう後ろ触らなくて、すぐいれてもらって大丈夫なくらいにはしてきたんですが」
「挿れられるの初めてだろ?」
「はい」
「お前がどんな風に穴で遊んでたのかは知らないけど、自分ですんのと
だから、初心者はめんどくさい。気を遣って、しつこいほどほぐさないと気持ちよくなれないし、挿れる側も怪我をさせないか怖いのだ。タイパが悪い。
そのため、まだ尻を使ったことがない、という奴は極力相手にしないようにしているのだが、こいつは別だった。
俺はタチでもネコでも、心の底からどっちでもいいし、なんなら挿入にこだわらない。相手の嗜好を探って、そこそこ気持ちよくなれたらそれでよかった。
だけど、こいつには挿れてみたい。服従させてみたい。考えてみると、入る場所ではないところに他人の一物を迎えるというのはなかなかに献身的な行為だ。
それがほしかった。
「でも、恥ずかしい」
持留が心細そうな声で言う。ものが萎えているあたり、気分がのっていないのだろうが。
こいつが家に到着してから十分と経っていなかった。気後れしてしまうのは想像できる。
「面倒くさ」
電気のスイッチを操作して、常夜灯に変える。シルエットのようになった彼に手を伸ばす。
頬を手で挟んで顔を持ち上げて、唇を合わせた。歯磨き粉の味がする。言わなくても彼は大人しく口を開く。
次第に暗がりに目が慣れる。口内を舌で嬲りながら、ベッド端に置いた、薄いゴム製のサックの封を二つ開く。
マルチタスク。得意だ。右手の人差し指、中指の順番に装着する。短く切った爪に薄い膜が張り付いた。
目を瞑って唇に集中しているらしい彼を確認しつつ、右手を伸ばして、潤滑液のついているそれで後ろに触れた。ハッとしたように、内腿が震えたのが伝わってくるが、抵抗はせずにわずかに足を開いた。
ちょろい。雰囲気に飲まれている。
だらだらと続くキス、無理に下に伸ばした右手が痺れる。持留が俺の胸元の布地をぎゅっと掴んで離してくれない。口づけをやめようとしても、やめないでというように唇を寄せる。胸の内がずくずくいった。たまらなく苦しい。
「ばか、やめろ」
キスの合間にようやく言うと、持留は大人しく引く。
「尻出せ」
頷いて、持留は肘と膝をベッドについて四つん這いになった。仄暗いなかに、白く滑らかな尻が見えた。いい格好だ、と思うのと同時になんでだか、すごく悲しくなる。だから、仰向けになるように言った。
大人しく従って背中をベッドに預けた彼の体を腰から折りたたむようにして、腿を抱え込ませてその体勢を維持させる。後孔も性器も露わ、あられもない格好になる。自分から弱いところを差し出しているみたいだ。
暗い明かりで瞳がよく輝く。
唇が空っぽでさみしい。
ローションを手のひらにこぼして温める。尻に塗ると、息を吸う音が明瞭に聞こえた。指を飲み込ませて、丁寧に動かす。体にかけたシャツを強く握っているのが見える。
時間をかけて、俺の満足いくまでほぐした。持留は、寝転んでいただけにも関わらず、くったりとしていた。
二人とも喋らないから、持留の浅い呼吸が部屋に満ちた。
俺は指につけたゴムを外して、手についたローションをタオルで雑把に拭う。シャツもズボンも下着も脱ぎ捨て、コンドームを己の勃起したものにつける。
それを彼の尻にあてがった。八の字になった眉を見下ろす。視線を絡めながら、腰を進める。
「んっ、んんん」
持留は声をこらえて、顔ごと横を向いた。柔らかくなったそこは、硬いものをあっさりと受け入れる。根本まで入れて、俺はふうと息を吐いた。遅い速度で抜き差しをすると、持留が苦しげに喘いだ。
彼の太ももの上に、もはや乗り上げるようにして、押しつぶして顔を近づける。表情を見たかった。彼の、強く瞑った
服従させて興奮するはずだったのに、予定通りいっていない。興奮よりも、気遣いが勝っていた。
また胸がずくずく言う。言葉を発すため、一度口のなかに溜まった唾を飲み込んだ。
「痛いのか」
「……苦しくて、気持ちいいです」
持留は笑ってみせた。
慣れるまではゆっくり動いてやった。少し表情が緩んできたら、彼の中を擦るようにして、強く抉った。体のあちこちに触れた。胸の先をなぞった。
彼が嬌声の合間、俺の名前を呼ぶ。
「キスしたいです」
誰がするか、と言いたくなりながら、噛みつくように、唇をそっと触れ合わせた。
下も上も深く求め合う。粘膜が絡む音が、不規則にした。持留の腕がすがりつくみたいに、俺の背に回った。密着、熱気がこもって肌が汗ばむ。
彼が、バカ正直に毛を剃り落としてきたそこに触れると硬くなっていても皮膚自体はふわふわ柔らかくて気持ちがよかった。
持留は泣きそうな顔をする。首を振る。
「一緒に触るのだめ」
苦しくて気持ちが良かった。
最後は夢中で腰を振った。
ベッドの上で後処理を終えて、持留に脛に剃り残しがあったと指摘する。撫でるとふわふわしていて、脛に触れると感触ですぐに分かった。
驚いた顔をして、けれど取り繕って笑顔を見せようとした。笑えていなかった、羞恥が滲む顔で唇を歪めただけだった。
俺はそれを何度もからかった。何かにつけてからかわなければ、という義務感に追われていた。
持留はシャワーで体を清めたら、すぐに部屋を出ていった。長居するのが申し訳ないと言った。
面白くなかったが、引き止める理由もなかった。
出る直前、彼に洋服の詰まった紙袋を渡した。筋トレによって体格が変わってしまって、着られなくなってしまった、俺のお古だった。少なくともこいつの私服よりはお洒落だろう。お礼を言って中を覗いて、持留は苦笑いした。
「石田さんみたいなお洒落な人の洋服、僕に似合いますかね。柄の入ったシャツなんて着たことないです」
「知らん、いらないから持ってけ」
と押し付けた。
一人になった部屋には、淫靡な気配が残っている。
行ってしまった。体が空になった。
考えているのは、明日の仕事でもなくて、今までで一番素晴らしかった逢瀬でもない。
俺の思考を占めるのは、痛いくせに、苦しくて気持ちがいいと言って、なんとか笑ってみせた顔だった。
すがるようなキスの後、ひどく孤独を感じた己の唇だった。
俺の手をタオルで
ベッドに顔を埋める。
ひりひりするから俺の心に残らないでほしくて、全部くそだなと呟いて掻き消すことにした。
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