第3話 マイナーチェンジ
白靴下
俺は自分の扱うメーカーの車が好きだ。ボディの特徴は、ほぼ全車種で統一されたデザインのフロントマスク。正面から見た時に人間の目に見立てられるへッドライトカバーが、ちょっと垂れ目っぽくてかわいいなあと思う。
さて、うちのコンパクトカーがマイナーチェンジをするらしい。内装も変わったようだが、それはどうでもよかった。
問題は、スポーティを銘打った新しいモデルが追加されたことなのだが。
「なんかブスになったと思いませんか」
ミーティングで渡された宣材資料を馴染みのメカニックと共に見ながら、呟く。
「いや、言ってやるなよ」
特徴的な垂れ目気味のヘッドライトが細くなり、なんというか、最近近くが見えにくくなったわーと言って、目を凝らす中年といった様子。
「従来の垂れ目が好きなお客さんと一緒にこき下ろすしか用途がないな、このモデル」
「いや、曲がりなりにも自社製品だろう」
「こういうの、一緒になって叩くとなんか現行モデル買ってくれるお客さんいるんすよ」
「なんだその、いじめで一致団結する中学生みたいな話」
一つのものを共に嫌い合うと絆が生まれる。これは個人的な営業の極意だった。
「ま、見た目はともかくこのスポーティモデルはこれ専用のサスペンションが搭載されてて、それに合わせてタイヤも――」
メカニックはどこからか取り出した自動車情報誌を開いて、長口上を始める。
適当に相槌を打った。細かいことには興味がわかない。そういうの知らなくても売れるし。
「口任せで売ってるといつか痛い目見るよ」
などと上長には怒られるが、今のところその気配はない。俺に挫折を教えてくれ。
平日のため、客足はそう多くなかった。定時で仕事を切り上げる。
さて、一度帰ってジムにでも行きますかね、とスマートフォンを確認すると、数原からのメッセージが入っていた。ついさっき送られてきたその内容は奇怪だった。
『今秋ビッグマイナーチェンジ。店来たら面白いものみれます』
ひとつも意味が分からない。お前車とか興味ないだろ、なんかイベントでもやってんのか。
店のSNSアカウントを確認してみるが、これといったお知らせは打たれていない。お手上げ状態で、返信をした。
『どういう意味』
『試乗お待ちしてます♡』
は?
埒が明かないので、店に寄ることにした。ジムにも行きたいから、顔だけ出してすぐに帰ると心に決めた。
先日くぐった扉を開けて、店内に入る。いつも通り静かで、この間のような満員御礼ではなかった。下手したらバーの中に自動車が一台詰め込まれているのではないか、と馬鹿みたいな想像をしながら来たから、拍子抜けする。
「あ! 来た来た〜」
数原も前回と打って変わって、にこやかに手招きをしてくる。
「なんだよ、あのメッセージ」
聞きながら、ふと数原の前に座る男に視線をやる。
「あ? 」
見覚えがあるような気がして、思わずその顔を覗き込む。
「あ……」
目が合う。持留だった。
持留だったのだけれど……、随分洗練されていた。
もさもさしていた髪の毛はすっきりと梳かれており、短くなった前髪から覗く眉毛も凛々しく整えられていた。まるで印象が違う。一驚を喫する。
なるほど、ビッグマイナーチェンジ。
数原の方を見ると、俺の反応を面白がっているのが分かるような笑みを、声は出さずに浮かべていた。
「あ、石田さん。その……こんにちは」
恥ずかしそうに前髪に触って、こちらを見れないという具合に視線をそらした。
「……いいじゃん。めちゃくちゃいい」
素直に口にして、まじまじと彼を見つめる。自社製品も見習え、と言いたい。
垢抜けて、ガキっぽさが薄れた。男子三日会わざれば刮目してみよ、だ。
「もちちゃん、武仁のために変身してきたんだってよ〜」
持留はまごまごしていた。
「その。石田さんのおっしゃるとおりだと思ったから美容室行って、髪の毛してもらって……眉毛も。色々ありがとうございました」
「礼言われるようなことは何も」
自分が言ったとは思えないような謙虚な言葉が出て、また一人で驚く。
「ん……その。あと、こないだ、人生で一番気持ちよかったです。それもありがとうございました」
俺にだけ聞こえるように、随分潜めた声で言ってくる。寄せられた唇が耳にくすぐったい。
「おー、まあそうだよな。俺の人生経験舐めてもらっちゃ困るな」
動揺を隠すため、わざと横柄に持留の左隣に腰掛けて、頭の後ろで手を組む。
なになに、こいつ、俺が言ったことを素直に聞いた上に? 俺のために? おめかししてきたのかよ。
なんというか、右ストレートを食らったような気分だ。
知らない気持ちになって、脳が揺れた。
上手く例えられないんだよ。幼稚園児が一生懸命折った折り紙のチューリップとかもらったら同じ気持ちになるかもしれん。
「……何飲んでんだ」
「ジンジャエールです」
「じゃあ俺も同じの」
数原に頼むと、ゆるい返事がある。
すぐ帰るつもりだったのに、予定が狂った。でも、俺のために来たとか言われたら、冷たい対応できなくないか。別に情が湧いたとかではなくて、これは誰でもそうなるだろ。
「お酒じゃないんですか? 」
「このあとジム行くつもりなんだ。筋トレするときは飲まないわけ」
「そうなんですか。仕事終わりにすごいですね」
持留がにこっと笑ってみせた。
折り紙のチューリップとか幼稚園児とか、そんなの思い浮かんでる時点で、俺らしくないから落ち着きたい。
出されたジンジャエールに口をつけた。
「いやー、あんな公衆の面前でべろちゅーなんてされちゃって、もちちゃん、もう店来れないんじゃないかって心配してたけど、なんかめでたしめでたしでよかったわ、ほんとー」
数原が明るく笑い飛ばした。持留も同調して笑い声をあげた。
「ははは」
会話が頭に入らないが、適当に合わせて笑っていると、左側から声をかけられる。
「もしかしてポッキーの日に目立ってたマッチョ? 」
そちらに目を向けると、二つ離れた席から体躯のいい男が瞳を輝かせていた。
「おお……多分そうだよ。見てた? 」
良い身体してる、とまず思う。ぴったりとした白セーターを押し上げるように筋肉が盛り上がっていた。太ももが太いのも好感度高い。口髭と顎髭が立派に蓄えられていて、丁寧に育てているのが分かる。お洒落な人だ。俺、あんまり髭は好きじゃないけど、それを差し引いても格好いい。ぜひ趣味に付き合っていただきたい。
「見てたよ。めっちゃ目立ってたし、いい身体してるから」
「それはあなたも。名前は? 」
「ケンゾウって呼んで。あなたは? 」
「石田」
「へえ、石田さんか。ポッキーゲームしてたけど、二人はカップルなのかな」
ケンゾウさんの指先が俺を通り過ぎて、持留を指す。慌てて首を振る。
「や、違う。たまたま会っただけ」
なあ、と持留に声を掛けると、微笑んで頷いてみせた。
胸が痛む。これは罪悪感だ。
なんかこいつ、傷ついている気がする。目が悲しそうだ。そりゃそうだよな、俺に会いに来たんだもんな。
でも、このいい身体の兄ちゃんとの縁も繋ぎたいんだよ、許せ。
「じゃあ僕も、石田さんと仲良くなりたいな」
「もちろん」
大人というのはホテルに行こう、なんていきなり直球で誘ったりしないものなのだ。
通っているジムの話をした。体脂肪率の話だとか、鶏むね肉を毎日食べている話だとか。
彼は大学生の頃、ボディビルの選手権大会に出たことがあり、今はパーソナルジムで働いているらしい。
出てくる要素全部が魅力的なのに、俺は右隣が気になってしまい、イマイチ乗れない。
「石田さん、この後、筋トレに行くんだよね? さっき言ってたの聞こえちゃった」
「あ……おお」
「せっかくなら一緒に行かない? 」
「あーそりゃいいな」
輝く笑顔に魅了される。もちろん、行きたい。行きたいのだけれど。
「カズハさん、お会計してもいいですか? 」
持留が言う。こちらの会話を邪魔しない程度に声を潜めているが、隣なのでもちろん耳に入る。
「え、いいの……? 」
カズハが訝しげに聞いた。
「はい。お願いします」
持留を見やると、ものも言わず目を合わせて会釈した。やけに健気に見えてまた胸が痛くなる。
ていうか、そうだ。うん。
俺には一つ、どうしても気になることがあった。
「持留、ちょっと待っとけよ」
「え、はい」
俺はケンゾウさんに向き直り、スマートフォンを取り出した。
「ごめんなさい。ケンゾウさんみたいないい男と筋トレ、めちゃくちゃ行きたいけど、今日はこいつとちょっと話したいことがあって。とりあえず連絡先だけ交換しません? 」
眉をひそめられた。そりゃそうだ。そっち選ぶのかよってなるだろ。
それでも、ケンゾウさんは連絡先の交換を承諾してくれた。絶対に連絡するから、と念押しして言い含めた。
俺は席を立って、数原に二杯分の代金を押し付ける。一杯は持留の分だ。
「はーい毎度あり」
財布を握りしめて、俺の言葉通り大人しく待っていた持留は、ぽかんとしていた。
「ほら外出るぞ」
「えっ」
立つように促して、先に歩を進める。俺は名残惜しくてケンゾウさんを振り向いて、何度も手を振った。手を振り返してくれる、呆れたように笑う顔がセクシーだった。
扉を出てから、持留が言った。
「自分の分は自分で出します」
「いや、もういいから」
額に手をやって、ため息をつく。
「……さっきの方、すごくいい雰囲気だったのに。本当によかったんですか? 」
「よくねー」
俺、何やってるんだろう。自分に呆れながら、ラブホテルへの道をたどる。持留はついてくる。
「よくなかったなら、なんで」
一旦無視して横目でそちらを見ると、不思議そうな顔をしていた。あどけない。
「ねえ、石田さん」
うざい。馬鹿らしい。
「靴下」
「……え? 」
「お前の靴下が気になったんだよ」
「え、ええー、マジですか。そこか。それなら今見ますか? 」
「色気ないなお前、本当に。ホテルで見せろ」
一拍置いて、元気のいい返事が返ってくる。
ようはこいつに尊敬するような態度を取られて、気分が良くなってしまったわけだ。
そうだ。本当にただそれだけだよ。
持留はくるぶし丈の黒の靴下を履いていた。
「普通だな」
「よかった」
褒めてはないのに嬉しそうにしていた。
「あの靴下で居酒屋の座敷上がってました」
「やば……よかったな、ちゃんと教えてもらえて」
恩着せがましい嫌味は彼には通じなくて、素直にお礼を言われるから、調子が狂う。
ラブホテルに来たからにはヤるしかない。前回と同じ手順を踏んでお互いに触れた。
彼は変わった。煌々と照らされた部屋でもぴーぴー言わないし、幾分緊張が抜けて俺の手を拒まず快楽に浸っている。
この間よりも素直になった身体と、それでもなお恥ずかしそうにするかんばせは、歪だった。だからこそ、
「やらしいなあ、持留」
ぐずくずになったものに触れる。刺激されるままに漏らす声は、甘えて泣いているように聞こえた。汗と俺の唾液で湿った肌は、雨上がりの草むらみたいだった。
「きもちいい」
浮ついた瞳で俺に顔を寄せてくる。唇を奪われた。入ってくる舌と同時に、彼の言葉も受け入れる。
俺も気持ちいいよ。
口にはしないけれど。
キスを続けながらお構い無しにしごきあげると、息を吸うためか唇が離れた。
「もう、だめ、です」
あ、と思う。前回もそうだった。ここは変わっていない。
持留は、出そうになったら息を止めるのだ。
ぎゅっと瞑ったまぶたが苦しげだった。精通したてのガキみたいだ。ダサいところを、またひとつ見つけた。
手を止めると、持留は薄く瞳を開いた。
「息、止めない方が気持ちいいから」
そうしていることを自分でも分かっていないようで、息があがったまま、応えずにこちらを見つめる。
動きを再開すると、目を瞑って少ししたらやっぱり息を止める。思わず笑んでしまう。
「ほら、ばか。ちゃんと息吸って、吐いて」
リラックスしてほしくて、優しく片手で背中を撫でた。
性的な意図以外で人に触るのなどいつぶりか。いや、これもまあ性的か。
持留はかすかに瞳を開けて、言われるがままに浅い呼吸を繰り返す。心肺機能まで含めた、こいつの全部を支配下に置いているみたいだ。悪くない。
息を吐く度に自ずとこぼれる声に耳が痺れた。
持留が達するまで背中を撫で続けた。
二人とも終えて、ベッドの上で揃って天井を見上げていた。
俺は煙草に火をつけて咥える。持留の視線を感じながら、煙を吐いた。文句は出ない。
彼の方に寝返りをうつ。シーツに頬を預けている持留と目が合う。どんな反応するだろう、と思いつきで声をかけた。
「煙草吸えよ」
小さく首を振る。気怠そうで、いっちょ前に賢者タイムに入っているらしい。
「なんで」
「だって、まだ早いから」
「未成年だから? 」
頷く。つまんないな。
俺の言いなりにしてやりたい。俺のアドバイス(を通り越した暴言)を素直に聞いてきたところが評価できるのだから。
会話が止んでしばらくすると、持留は瞼を下げて、睫毛の奥に瞳を隠すようにうとうとしだす。髪を鷲掴んで、弱い力で引っ張ると目が大きく開いた。
「寝んな」
「ん……すみません」
幼子のように手の甲で目を擦っていた。
「なあ、持留」
「はい」
「今度は尻、挿れさせろよ」
照れたような、喜んでいるような曖昧な笑みを浮かべた。
「また僕としてくれるんですか? 」
こいつ、俺のことめっちゃ好きじゃん。口元が綻びそうになるのを食い止めた。
「おー、ただ条件がある。無駄毛処理してこいよ」
「無駄毛……。どこまで」
「全部」
「陰毛も、ですか? 」
「そう」
「えー。ん……」
ちょっと嫌そうな顔をするから、俺は興ざめして舌を打つ。持留は慌てたように、頷いた。
「分かりました。でも、きれいに剃れるかな」
「脱毛クリーム使ったらいい」
納得はしていない表情で、また頷いた。
「つるつるじゃないとやんないからな」
「はい」
「次は俺の家、来いよ。尻用のローションとかあるし」
「え、家行っていいんですか」
「おお、手取り足取り教えてやるよ」
持留の瞳がラブホテルの照明を反射する。期待しているのが伝わってくる。こんな素直で大丈夫なのか、悪い大人に騙されるぞ、と心配になるが、多分、俺がこいつにとっての悪い大人だ。
だから、無垢に信じてもらわないと困る。
「自分で後ろいじったことあんの? 」
「あります」
「じゃあ洗浄とかは大丈夫か」
「ある程度は知ってます」
「ませたエロガキだな、まじで」
からかって言うと、拗ねたみたいな顔をしたが、すぐに愛想笑いに切り替えた。
ふいに筆舌に尽くしがたい気分になる。あえて言うなら苦しい。苦しいのは求めていなかったから、知らんぷりをした。
「石田さんは、経験人数何人なんですか」
持留が聞いてくる。その手の質問は今まで何度も受けていたから、考えるまでもない。
「十人超えたあたりから数えなくなった。だから、一九歳から数えてない」
答えつつ、その頃の俺とこいつは同い年なんだ、と思い至る。つまり、俺もマセガキだったということだ。罠に引っかかった感覚になる。自爆だけど。
「すごーい」
引っかけた本人は感心したように無邪気にはしゃいでいる。ほんと馬鹿でいいな、こいつ。
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