第2話 べろ出して





 ワンセブンからほど近い、俺の行きつけのラブホテルに二人で向かった。

 道中、持留は大人しく俺の後ろをついてきていた。たまに彼を振り向くと、唇の感触を確かめるみたいに、ずっと指で触れ続けていた。

「何してんだ」 

「いや、ちゃんとあるかなって……唇ごと食べられたかと思った」

 鼻で笑う。

「んなわけあるか」

「そうですよね」

 そう言ってはにかんだ。それでもしきりに口元に触れた。


 ラブホテルの無人のフロントにて、部屋の写真が並んだパネルの中、一室だけ光っている部屋番号のボタンを押す。最後の一室というわけだ。さすが華金。

 エレベーターに乗って目的の階を目指す。

 会話はなく、箱が登っていくモーターの音だけが響く。持留が癖になってしまったみたいに、噛んだ下唇に手をやるので、苛立ってその手首を掴み、俺の側に引く。責められている気分になる仕草だった。

「それ、やめろ」

 命じると一瞬、困惑が瞳に浮かんだが、抗弁はせずに頭を下げるみたいに頷いた。その時ちょうどドアが開く。

 掴んだままの手を引っ張って、番号プレートが光る部屋の入口まで連れて行く。持留は勢いに驚いたのか、小さく声を上げた。扉を開けて部屋のなかに入った。音を立ててドアが閉まる。

 電気のついていない、薄暗い入口で彼に顔を寄せた。

 掴んだ肩が強張って、身構えるのが分かる。

 キスをした。表面だけ触れ合って離れる。

「べろ出して」

 暗闇に隠れるくらいの声で囁く。闇の中に赤色が浮かぶ。素直にちろりと舌を垂らす彼は、きっと普段から大人しくて目立たない人間なんだろう。そんな気がした。

 こちらも舌を出して、それを触れ合わせる。温かくてぬるついて、ウーロン茶のつまらない味がする。持留に聞かせるために、唾液を絡めて舌を鳴らして音を立てた。

「ん、ん……ふ」

 彼は息を零す。それが顔をくすぐる。多分、身長差がちょうどいい。首や腰が痛くなったり、違和感があったりもせずに口腔が溶け合った。

 唇を離して、彼の瞳を覗き込んだ。

「ちゃんとあるだろ、唇。感覚も」

「……はい」

「そんで、気持ちよかっただろ」

 暗がりでも分かる火照った頬を肯定だと受け取る。実際、はい、と彼は認めた。素直でよろしい。

 壁に手を沿わせて、電気のスイッチを押した。俺の中の欲望は形を得ていた。好みじゃなくてもちゃんと反応するんだよな、これが。

 興奮していることが分かる顔色で、しかし、自分を落ち着かせるように、持留はラックに用意されていた個包装のスリッパを取り上げる。

 一つビニールを開けて、俺の足元に置く。こいつは気遣い屋らしい。こんなことをして得はあるのだろうか。しゃがむ彼を見下ろしながら、靴を脱いで履き替える。

 もう一つ開けて、彼も靴を脱ぐ。

 それを眺めていた俺は、衝撃を受けた。

 勃起したものがちょっと萎むくらいに。

 靴の下から現れたのは、無地柄の白のリブソックス。リブ、ってあの凸凹してる縦線みたいなやつが入ってる編み目のことで、ようはスクールソックスだ。

「お前、ちょっと待て」

「え? 」

「ダッッサい」

 思わず、ダの後を長く溜めてしまった。ビビる。ちょっと良い雰囲気だったのに、こんなの履いてたのこいつ。いっそキャラものの靴下とかの方がまだマシかもしれない。いや、それはそれで無理だけど。

「おい、その白靴下、正気か」

「普通の靴下ですけど」

「いや、普通じゃない。ダサすぎる」

「えっ、そんなにださいですか」

「中学校の指定の靴下だろ、ってくらいにはやばい」

 腑に落ちない、という顔で持留は自分の白い足先を眺めている。

「あー萎えた。馬鹿らしい」

 また苛立ちが復活して、ベッドまで足早に寄って倒れ込んだ。スプリングが寿命を迎えた、反動のないマットレスに体が沈む。

「……すみません。靴下脱ぎます」

「もーいいから。さっさとシャワー浴びてこいよ」

 持留はベッドの脇に立って、不安そうにしていた。風呂場に一向に向かわない。怒られるのを待っているみたいだった。そういう風に見えたから、傷つけるだろうと噤んでいたことを口にする。

「……お前さ。髪型もダサい」

「え」

「シルエットがダサい。美容院行ってさっさとなんとかしてもらえ」

「はい」

「あと、眉毛も整えろ。眉毛もダセえから」

「……はい」

 吐き捨てるみたいに詰ると、指摘された箇所を、その都度、自分自身の手のひらで撫でていた。

「あ、そういえば尻できんのお前」

 これは大事な確認だった。それでこの後、何をするのかが決まる。

「……やったことないです、すみません」

 そんなことで謝るのか。意地悪でため息をついてみる。持留は、反省しているみたいに、深刻な表情で突っ立っていた。

 やったことないなら、やり方を教えよう。と、なるほど俺は親切ではない。何事も初心者というのは面倒くさい。殊にアナルセックスに関しては。

「いや、別にそれならそれでいいよ。いいからさっさと風呂行ってこいって」

 磨りガラスになっているバスルームを指差す。持留は申し訳無さそうに微笑んでから、そちらへ向かった。

 え、ここで笑って見せるんだ。変なやつだ。反応に一々驚いてしまう。

「あ、おい。髪の毛は洗わなくていいからな。体だけ洗えよ」

 後ろ姿に声をかけると、了承する声が返ってくる。ダサい奴って、なんとなくラブホでやる前に髪の毛まで洗っているイメージがある。

 いや、どんなイメージだよ。自分で考えながら、少し笑ってしまう。シャワーの音を聞きながら、体を起こして脱いだジャケットをハンガーにかけた。

 交代でシャワーを浴び、支度を終えて、ベッドのある場所に戻る。寄る辺ない風情で、持留はシーツの上でちょこんと体育座りをしていた。なぜ体育座り。チビではないけど、そうやっているとなんだか小粒という感じがする。

 ベッドの端に腰掛けて、一息つく。未成年とするのは初めてかもしれない。年齢などいちいち聞かないから、もしかしたら今までした中にもいたのかもしれないけれど。あれ、でもそういえば今って一八歳で成人なのか。

 まあ、なんでもいい。

 体を横たえて、こちらの様子を窺っている彼の袖を引く。言わずとも伝わって、持留も俺のそばに寝転んだ。緊張しているのを隠すためなのか、こわばった頬で無理やり笑っている。

「こういうの初めてじゃないだろ」

「ん、はい」

「経験人数何人? 」

「三人」

「思ったより多いな」

 髪の毛に触れてみる。柔らかい毛はガキっぽいけれど、手触りが良くてさらさら触れ続けた。たまに耳たぶに触れる。それに反応して、持留は小さく息を漏らした。

「初めての時何したわけ」

「三人とも、抜き合いしただけでした」

「キスはしなかったのか」

「そういう雰囲気じゃなかったです」

「ふーん」

「相手の車、とかでしたので」

「ふーん、やっぱマッチングアプリとかで会うわけ」

 話しながら、彼の洋服の前をはだける。すると、抵抗して俺の手を押さえた。ささくれができた痛々しい指先が添えられる。

「えっと……電気。消してもいいですか」

「は? カーセックスなんてしてるやつが何お上品なこと言ってんだ。駄目に決まってんだろ」

 襟ぐりを強く引っ張って、胸元を晒させる。白い、なまっちろい体が見えた。

 明るい方が表情の変化がよく見えていい。俺はこいつがどんな顔をするのか見るためにここに来たのだから。

「でも、車でした時も暗かったから」

 身をよじろうとする腕をベッドに縫い付ける。俺は持留を馬鹿にして、笑った。

「抵抗されると興奮しちゃう」

 バスローブを引っ張って、嫌がるのも無視して全部見てやった。

 お代官様おやめください。よいではないか。あ~れ~、みたいな時代劇の感じでベッドの上を、持留は無駄に転がる。

 若い肌は照明を跳ね返して、つやつやうるうるしていた。無駄毛は邪魔だけれど触り心地もいい。かろうじて彼の腕に引っかかっていた布切れを、地面に投げ捨てた。

 隠すものを失って、耳まで赤くなっている。

「惨めだな? 」

 嘲笑って、染まった耳朶じだを舌でなぞると、小さく震える。固くなって主張する彼のそれに手を伸ばした。




 事後、持留はシーツを体に巻き付けて、己を守るみたいにくるまった。最中は甘ったるい声で散々喚いていたのに、一転して静かだった。嫌がるくせに、気持ちいいとか出ちゃうとか、そういうことは素直に口にするから、たまに手が止まった。なんだコイツ。

 やることやってほこが収まった俺は、頭が氷点下に冷え切ってしまった。簀巻きになった彼に声もかけず、鞄から煙草を取り出して火をつけた。ラブホテルのライター。

 一日の疲れがドッと押し寄せてきた。明日もいつも通り仕事だ。さっさと家に帰って、自室の寝床で眠りたい。

 帰路のことを考えつつ、煙草を吸い終えて灰皿に押し付ける。

 バスルームで簡単に体を流して、スーツを身につける。寒い季節だから、一度脱いだものを着るのにも抵抗は薄い。俺が帰り支度を終えても、持留は顔を見せようとしなかった。

 拗ねてんのか、恥ずかしがってんのか。めんどくせー。財布から五千円札を出して枕元に置いた。馬鹿らしい出費だけど、流石にこんな年下と割り勘というのも後味が悪い。

「じゃあな。あと三十分はいられるから、まあ適当に出ろよ」

 捨て台詞を吐いて、ベッド際から離れると持留が慌てたように体を起こしたのが気配で分かる。

「えっ、五千円も受け取れないです」

 お札を一枚出して小銭でお釣りが来る程度の室料だ。押し問答が面倒くさくて、筋肉のない体なんて萎えた気分で見たくなくて、振り返らずに手を振った。どうせ向こうは裸だから、扉の外までは追いかけてこれない。

「あの、石田さん……」

 無視して扉を開いて、廊下に出る。

「……ありがとうございました」

 最後にお礼が背中を追いかけてきた。お礼?

 やっぱり変なやつだ。金になのか、舐めさせてやった(下手くそだった)ことになのか、気持ちよくしてやったことになのか。何に対する言葉なんだ。頭をかいた。



 家に帰りついて、風呂に入ってベッドに倒れ込んだ。それは心地良い眠りだった。

 翌朝、支度をしながら昨夜の出来事をぼんやりと思い出して、ダサすぎる靴下が脳裡を掠めて笑った。

 なんというか本当に子どもだった。一九にしても幼いだろう。ああいうのって、ちゃんと大人になれるのだろうか。

 まあ、もう二度と会わないだろうし、知らんけど。



 なんて、そんな風に思っていたのに。

 俺達はあっさり再会することになる。

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