甘くもないし親切でもない

安座ぺん

第1話 No.1706527





 輸入車ディーラーに勤めている。俺の仕事は高級な車を販売することだ。


 店には金持ちばかりが来るわけではない。手元に金がなくとも高級車は買える。

 たとえば。

 残価設定ローン――通称残クレ、を使えば、数年後の車両のリセールバリューを差し引いた金額で月々の支払い額を決めることができる。頭金もいらない。

 ただし、ローン完済後、その車は売却しなきゃならないから、手元に残るのはその車に乗っていたという思い出のみ。


 リセールせずに自分のものにしたいなら、始めに差し引いた金額を全額支払わなけりゃいけない。

 そういうデメリットもちゃんと説明しつつ、耳障りのいい言葉を並べ倒して、まあ場合によっては? だまくらかして売りつける。


 残クレを使い倒して、十年以上もローンを払い続ける客もいる。利息で払う金額を計算していると俺はゾッとするが、件の客は五年乗った車を自分の所有物にするべく、再ローンを申し出た後、ケロッとした顔で店を出ていった。


 身の丈に合わなくても、高級車に乗りたい奴は多い。俺だってそうだ。


 ちなみに、社員は福利厚生の割引を使って自家用車を安く購入できる。それで、自社製品を三年のマイカーローンを組んで手に入れた。いくらかは安くなったが、人生で一番高い買い物だった。




 俺の愛車は高い。一方、俺の人間関係は安い。軽薄、小賢しい、気持ちいいの3Kを心がけている。

 男と寝ることが趣味だった。寝る、ってのはすやすや寝息をたてることではない。エロの方だ。

 マッチングアプリやら、ゲイバーやら、SNSやら、昨今肉体関係を持つための手段は溢れている。学生の頃、男が好きだと気づいて以来、その身体を求め続けてきた俺が生きるにぴったりの時代だ。

 身体。そう、身体だ。

 筋肉がついた身体だとなお良い。可能なら俺くらいの、ジャケットを脱いだらシャツの上からでも鍛えていると分かるくらいの。

 気持ちはいらない。目に見えないし刺激もない。恋人もいらない。いたことはあったけど、みんな三ヶ月位で駄目になった。付き合うか、なんて言われてオッケーは出すけど、俺の心に火がついていないのはすぐにバレた。

 恋人同士でするのは、特別な興奮があって悪くない。でも賞味期限の短い興奮のために、惚れた別れたすったもんだは面倒くさい。

 だって、あくまで趣味だから。


 そんなわけで後腐れのない関係を求めて、今日もマッチングアプリを開くし、バーにも行く。

 十一月は日が短くなってやたらとセンチメンタルになるし、冷え込んで人肌恋しくなる時期だ。

 今日は華金。仕事終わり、久しぶりに知り合いの店に足を向けることにした。

 ま、華金といってもサービス業勤めの俺は明日も仕事があるんだけれど。

 金曜日の酩酊した街の雰囲気が好きだった。


 知り合いの名前は数原かずはらという。俺の五歳年上のいとこだ。ガキの頃からお互いを知っている。

 数原の店は細道の奥にあり、初見では分かりづらい。店名はNo.1706527。ナンバーワンセブンオーシックスファイブトゥーセブン。

 信じられないかもしれないけど、疑うんなら黒地に金色で店名が掘られた看板を見てみればいい。

 常連客はワンセブンと略して呼んでいる。

 珍奇な店名は置いておいて、俺はこの店で数多の男を食った。一時期、来店すると高確率でまぐわった相手がいる、という状態になってしまったから、足が遠のいていたのだけれど、流石に人の入れ替わりもあっただろう。

 期待をもって扉を開くといつも静かな店なのに騒がしい。満席近いようで、予想を裏切られた。入るか一瞬迷ったが、ここまで来て帰るのも馬鹿らしい。店内に足を踏み入れて、空いている席を探した。

武仁たけひと! あんたなんだってこんな忙しい時に来るの」

 カウンターから数原の声が飛んできた。心底迷惑そうな声、舌打ちしかけた顔。いとこは俺に優しくない。

「いや、忙しいとか知らんし。勝手に飲んどくからほっとけ。ジントニックくれ」

 カウンターが一席だけ空いていたから、そこに座った。なぜ、こんなに繁盛しているのか。華金だから、といっても普段は金曜でも満席になんて滅多にならない。

 疑問を解消したく、店内に目をやると飽きるまで見た馴染みある風景のあちこちに、見慣れないお菓子が並んでいるのに気づく。それはグラスに刺さったポッキーだった。

 カウンターにも同じものが並んでいる。俺の右隣には物静かにグラスへと視線を落としている男がいた。その男の隣は壁、お一人様が横並びに座ったことになる。

 男の手元にあるワイングラスにもポッキーが数本無造作に突っ込まれて、丸くなった底で先っちょ同士がくっついていた。

 数原は忙しそうにカウンターの内側を立ち回り、飲み物を作ったり奥の厨房に姿を消したりしている。俺にはおしぼりすら出す気がないようだった。

 手持ち無沙汰で苛つきながら、右の男に話しかける。

「なあ、今日ってなんでポッキー置いてあんのか知ってる? 」

 毛量の多い髪の間から覗く横顔が幼くて、年下だと見当をつける。男はこちらを見て、答えた。

「今日、ポッキーの日だから。イベントやってるみたいです」

「ああ、今日十一日か」

 細っこい男だった。膨らんだようなシルエットの黒髪に、手入れされていない眉毛、野暮ったい印象を受ける。

 好みじゃないけれど、笑うと目がなくなるようにまなじりが下がって優しそうだった。整ってはいるが、パーツそれぞれにあどけなさが残っている。まだ大人になりきれていない顔立ち。

 その彼の瞳が一瞬すがめられて、品定めをする色が浮かぶ。うずいた熱が伝わって来る。

「ホテル行きませんか? 」

 男は出し抜けにそんなことを言った。成立しない会話に思考が停まる。浮かべた表情にはからかう気配はなく、ただ懇願するような熱が浮いていた。

 性欲旺盛なガキ。一気に心象が悪くなって、俺は顔をしかめた。

「お前、距離感おかしくないか。まだ名前すら知らないのに」

 不機嫌を露わにして突っぱねると、男はしまったという顔になった。睫毛が伏せられて、悔いるように肩を落とす。

「すみません、僕は持留もちどめと言います。あなたが格好良くて、つい。不快にさせて申し訳ないです」

 謙虚に謝られて居心地が悪い。おかしな奴ではないらしい。無作為に出会いを探していると、たまに薬やってるんだろうな、と想像がつくような男に当たることもある。その類かと疑ってしまった。

 蝿を払うように手を振るった。俺が魅力的なのは分かるけれども。

「もういいよ。俺は石田。お前、いくつなんだ」

「一九歳です」

 俺は二七歳。八歳差。

「未成年かよ。性欲が抑えられないわけだ」

 気まずそうに愛想笑いを浮かべて、持留は飲み物に口をつけた。

「俺の飲み物来ねえ。お前何飲んでんだ」

「ウーロン茶」

「はぁ? まじ? 酒じゃねーのかよ」

「未成年だから、飲めないです」

 つまんない奴だな、と心底蔑む。この店は一々年齢確認なんかしないし、適当に誤魔化して飲めばいいのに。筋トレしててアルコール控えているとかならよかったのになあ。

 時代に反した思想だというのは分かるから口にはしないけれど、とにかくこいつとは気が合わなさそうだ。

「ウーロン茶ねえ」

「そんなに気に入らないですか……。石田さんは何頼んだんですか」

「ジントニック。持ってくる気ないみたいだけど」

 ちらりと数原に目をやるが、カウンターの外にあるテーブル席に声をかけにいっている。

「今日はカズハさん、忙しそうだから」

 カズハ、数原の源氏名だ。

「まあ、そうだな」

「ポッキー食べときますか」

 彼のおしぼりの端で指を拭って、無言で五本ほど奪い取る。残るは一本だけ。こういうのって一本ずつより一気にたくさん食べたほうが美味しい。

 口に入れて砕くとチョコが舌の上で溶けて、クッキー生地と合わさる。安いスナック菓子なのに、ちゃんと美味しい。

「美味いな」

 文句も言わずに持留は、よかった、と安堵したように優しさが滲む表情をする。彼は笑顔を崩さない。愛想だけはある。俺なら初対面の人間に礼も言わずに食べ物を取られたら、少なくとも嫌な顔はしてしまう。我慢強いのか我がないのか、微笑みに興味が湧いた。

「お前、ヤる相手探してんの」

 持留の言葉が発せられる前に、目の前におしぼりが現れる。

「お待たせしました」

 数原がおざなりにおしぼりを俺に押し付けて、コースターとその上にライム浮かぶジントニックを置いた。

「忙しそうだな。イベントとかやんの珍しくね」

「たまにはね、変わったことしないと新しいお客さん来てくれないし。ていうか、もちちゃん。大丈夫? この男になんか変なことされてない? 」

 数原が心配そうに頬に手を添えて、持留に話しかけた。心外だ。変なこと言われたのはこっちなんですけど。

「いや、大丈夫ですよ」

「大丈夫ですよ、じゃねー。俺、こいつに開口一番口説かれたんだけど」

「ええ、そうなの。もちちゃん、こういうのもタイプ? 」

 持留は数原と俺にあたふたと視線をやって、仕草のみで肯定を表した。

「意外な組み合わせだわ〜。ああ、でも……まあ確かに目的は一致してるかも」

 白い歯を見せて数原は、右手と左手の人差し指をぴたりとくっつけるような動作をして見せた。

「どういう意味だよ」

「そのままよ」

 それだけ言って、厨房に消えていった。気まずい二人が取り残される。

「お前……ヤる相手探してんの」

 ジントニックは放っておいて、先程の質問を繰り返す。もう聞くまでもなく明らかではあったけれど。

「そうですね。とりあえず今日だけでいいから、誰かとヤりたいと思ってここに来ました」

「はあ、奇遇だな。俺もだよ」

 視線を合わせて、お互いを探る。

 筋肉ないし芋っぽいし、ただ、笑みを絶やさないような面立ちが心に引っかかる。この笑みを取り去りたい。ベッドの上で俺の手で触れて、それでも笑えるのか試してみたい。何やっても怒んなそうだし。

 でも、ついさっきすげなく断ってしまったから、安易に誘うのは癪だった。思案した末、閃く。

 それじゃあ、ゲームでもするか。

 俺は笑って、目を細めた。持留はこちらの表情の変化に怯えるかのように、眉を下げて瞬きの回数を増やした。

「お前、俺とホテル行きたいんだよな」

「はい」

 即答。その意気や良し。

「じゃあさ。ゲームしようぜ」

 彼は首を傾げてみせた。あどけない所作に幼い表情が際立つ。

「ポッキーゲーム。これで俺に接待試合できたら、ホテル行ってやっていい」

 首を傾げたまま、持留の口が半開きになる。鮮やかな口腔の色が覗く。喉の渇きを感じて、俺はジントニックを飲んだ。

「接待試合……? 勝たせたらいいってことですか」

「おお、そうだな。俺が、勝ったな、って思ったらいい」

 椅子に掛けたまま、前屈みになって顔を近づけるがどうにも距離が縮まらない。これでは落ち着いてポッキーゲームが出来ないではないか。ジャケットの襟を正しつつ、床に足をつけて立ち上がる。持留にも同じようにするよう促し、お互いに向かい合って立つ。

 俺のほうが少しだけ身長が高い。彼が着ているのは安っぽい生地のパーカーに、特徴のないジーンズ。立ち姿もなんとなくダサかった。

 すぐ近くのテーブル席から、酔っぱらい客に声をかけられる。

「見つめ合ってどうしたの〜? 」

「ポッキーゲームするだけ」

 テーブル席一同から囃し立てられた。狭い店内の視線が注がれるのが分かる。持留は怯んだように、周りを見渡した。

「見られてるの嫌です」

 そして、初心な少女みたいに肩の布を握りしめて首を振った。

「え〜、ここまで来て引ける? 」

 俺は目立つのが好きだから、周囲の熱い視線を受けて気分が高揚していた。困った表情のまま、持留は諦めたみたいにふっと力なく笑った。ああ、そうするとちょっと色っぽいな。

「ポッキーゲームって、先に退いた方が負けですよね? 」

「そう」

「石田さんが気分良く勝った、と思ったらホテルに行く、でいいですよね」

「おお」

 彼は、俺の返事を受けて考え込むように顎に指を当てた。それから、オーディエンスに視線をやる。そして、困り果てたように気弱な、けれど俺にとっては挑戦的に見える笑みが浮かんだ。

「その。僕、キスするの初めてなので、何卒お手柔らかにお願いします」

 ファーストキス、とカウンターに座る客が口ずさむように囁いた。

 持留はポッキーの最後の一本をつまみ上げると、甲斐甲斐しく俺の口元に差し出した。

「何々、これは」

 厨房から戻ってきた数原が、注目を集めている俺達の様子を見て、客に聞いていた。

「あの二人、ポッキーゲームするんだって。なんかよく分からないけど、あの奥の子ファーストキスらしい」

「またわけの分からないことを……。武仁、大人げないことしないでよ」

 大人げないこと。

 子どもで初心(なふりをしているだけなのは間違いがない)ということを武器に取った持留は、野暮ったいくせに艶やかに笑った。

 俺は口元に差し出されたポッキーを口に咥える。その向かい側の先端を彼が咥えた。短く脆い縁の先で彼の睫毛が伏せられた。頬が赤くなっている。演技なのか、素で恥ずかしがっているのか、見分けるのも面倒くさい。

 菓子を食べる音は振動になって、唇をくすぐる。さくさく、触れ合うまであと数センチ。おそらく引くタイミングを探して、持留が薄目を開けた。

 そこを捕まえる。

 お前のファーストキスなんざ、もらった程度で俺が勝ったと思うとでも?

 初対面のガキの初めてなんざ、俺が大事にするとでも?

 菓子を無視して、肩を掴んで、唇を押し付けた。驚いた声ごと咀嚼する。

 観ていた者たちが歓声をあげる。いい娯楽だろう。

 舌を押し込んで混ぜると、残ったクッキー生地がざらついて不愉快だった。飲み込みながら、彼にも飲み込むように強要して口づけたまま顎を持ち上げ、上を向かせる。逃げようと一歩下がるから、その動きのままこちらは一歩踏み出して、持留を壁に押し付ける。

 しばらく続けると俺の胸を押していた彼の腕がだらりと下がった。満足するまで味わって、チョコの味が消えた頃、持留を解放する。すると、壁に背中を預けたまま、腰が抜けたように床にへたり込んだ。

 彼を見下ろす。震える手で、しとどに濡れた唇

を、確かめるように触っていた。息も絶え絶えに耳まで赤く染めて、街中にライオンが現れたみたいな目でこちらを見上げる。

 勝ったな。

 彼に手を差し伸べる。

「はーい、俺の勝ち〜〜」

 い、の口でにやりと笑ってみせる。持留は泣きそうな顔に拍車をかけて、唇を噛んでみせた。

「意味が分からない」

 悔しそうにぽつんと呟く声が聞こえる。意味なんてものはない、やりたいようにやっただけだった。

 腕を伸ばして、彼の震えた手からつたって、手首を掴んで引っ張る。

「ホテル行くだろ? 」

 困った顔をして、何か言おうとして黙る。まだ立ち上がらない。そして、大きく息を吸って呼吸を落ち着かせてから、無理やり微笑んで見せた。こくん、と頷く。

 行くんだ。俺がしたのは嫌がらせに他ならないのに。

「武仁、あんた……。セクハラクソ野郎になってるけど大丈夫? 」

 数原がカウンターのおしぼりを握って俺に投げつけた。片手で受け取る。

「大丈夫だけど」

 同意の上だもんな、と聞くとまた同じように頷いて、腰を上げた。

 大人げ、というものがあったんなら俺はこいつに声もかけていない。

「持留、じゃあホテル行こうか」

 俺を誘ったことを後悔させてやろう。意地悪な気持ちを込めて、微笑みかけた。おしぼりで彼の唇を拭ってやった。

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