第2話  おどくーさま

おどくーさま


 私の子供の頃は、夏は無茶苦茶暑くて、冬は無茶苦茶寒かった記憶がある。それでも朝になると、おどくーさまに炊きたてのご飯をお供えするのが、私の家のルーティンだった。

 この、おどくーさま、というのはかまどの神様のことで、総じて火を扱う台所の守り神であった。

 それで分かるように、私の家は農家である。その頃はご飯をかまどで炊いていた。台所は土間。その土間の上にかまどと煮炊きをするガスコンロがある。さらに台所の隅に今の時代、ほとんど見かけることのない五右衛門風呂があった。

 おどくーさまは、天井近くの大人の身長よりずっと高い位置に祀られていた。それで横に梯子が掛かっていた。

 子供の私はよくこの梯子を使ってお供えをした。それは湯気が立っている熱々のご飯である。

 この神棚には桐でできた小さな社・ろうそく立て・榊・塩・酒の器が置かれていた。その中央にご飯の小皿を置き、そして夕方にはそれを取り下げるのだが、不思議なことに小皿にのっているはずのご飯がよく減っていた、あるいはまったくないこともあった。

 それで私は、かまどの神・おどくーさまは本当にいるのではないか、と真剣に思ったものだ。後になってそれはネズミの仕業だと分かったのだが、その頃はそう思っていた。

 ところで、このおどくーさま、という呼び方だが、関西の方ではかまどの神様のことを、おくどさん、と言ったりするようだが、それが訛って、この辺では、おどくーさま、と呼ぶようになったのではないか、と私は推測している。

 今、この辺ではと言ったが、あるいはひょっとすると、それはうちとこだけの呼び方であったかもしれない。なぜなら、他の家で、おどくーさまと言うのを聞いたことがないからである。



 家のすぐ裏がちょっとした山で、子供の私にとっては格好の遊び場であった。私だけではなく、この辺の子供たちはみなこの山で遊んでいた。男の子はたいてい自分の秘密基地を作って楽しむものなのだ。

 私も山の中腹に秘密基地を作った。と言うと大仰に聞こえるが、いたって簡単で大木の三股になったところにベニヤ板を置いた、ただそれだけのものだ。地面から、たかだか一メートル半高いだけなのであるが、そこからの眺めは格別なものがあった。

 小学校が休みの日は、たいていその基地やその周辺で遊んでいた。もともと私は引っ込み思案で友人と遊ぶより、一人で遊ぶ方が好きな子供だった。

 ただそのくせクラスで孤立している仲間がいると声を掛けずにはいられない性分だった。


 五年生の新学期が始まってすぐに新しいクラスメイトがやってきた。

 都会から来たという男の子は、田舎者の私と同じようにシャイなところがあった。それで私は真っ先に声を掛けたのだ。

 高木というこの子は、新しくできた団地に引っ越してきたが、その団地は工業地帯にある某会社が建てたもので、農家の私からすると、とてもハイカラなイメージがあった。

 高木には二つ年下の妹がいて、登下校はいつも一緒だった。

 高木と私は妙に馬が合い、よく一緒に遊んだ。学校が休みの日にはお互いの家を訪ね合った。


 高木は私の家の裏山をとても気に入ってくれた。今まで都会暮らしで、山など登ったことがないからだろうか。

 私は自慢の秘密基地を見せた。

 高木は目を輝かせて、

「君はいいね、山がすぐ裏にあって。僕もこんなものを作ってみたいよ」と言った。

「君の団地こそ、うらやましいよ。うちとこは農家で、いまだにとっぽんなんだぜ」

「とっぽん!? そりゃなんだ?」

「汲み取り式便所のことだよ。夏になるとすごく臭くて、うじがわくんだよ」

「なるほど。確かにそれは嫌だろうね。しかしこの山なら一日中遊んでいても飽きなさそうだ」

「うん。僕もこの山が大好きだ。よく自分で遊び場を作るよ。ちょっと前に木の枝にブランコを取り付けたこともある。しかしそれは危ないので、すぐにやめたけどね」

「なぜ危ない?」

「傾斜があるだろう。一つ間違ったら麓まで転がってしまうよ。学校のグランドとは違うのさ」

 高木は顔を上にあげて

「この山の天辺はまだ上の方だけど、そこには何かないの?」と聞いた。

「何かって?」

「珍しいものさ」

「珍しいものと言われても、あっそうだ、祠があるよ。この山の神様を祀っている」

「この小さな山に神様がいるのか?」

「山の大きさは関係ない。どの山にもたいてい神様がいるものだ」

「なぜそんなことが分かる」

「なぜって言われても、答えようがないが、じつはぼくの家にも神様がいるんだぞ」

「それは何の神様だよ」

「おどくーさまと言って、かまどの神様だ」

「かまど!? そりゃー何なんだ」

「君とこは電気炊飯器でご飯を炊くだろう。うちとこは薪をくべてご飯を炊くんだよ。それがかまどさ。帰り際に見ていったらいい」

「いやその前に山の天辺にあるというその祠を見てみたいね」

「いいよ。じゃあ僕のあとについてきて」

 当然ながら私はこの山に詳しい。どこにキノコが生えるか、狸の巣がどこにあるのかを知っている。

 山神様の祠は、山の天辺の松の大木の下にある。石でできたお堂で、子供の背丈ほどのものだ。

 いつ誰がこの祠を作ったのか誰も知らないが、しかし、それが山神様の依り代であることはこの辺の者はみんな知っている。


一般に山の神は女神であることが多い。しかしこの山の神はどうも女神ではないらしい。

 というのも、私はこの祠を訪れると必ずその夜は夢を見るのだが、その夢に現れるのは、いつも決まって不思議な動物だったからだ。

 しかし、その姿形はとてもまともな動物ではなかった。異形といっていい。だからこそ神なのかもしれない。


 一見、丸々と太った豚のように見える。しかし、目も鼻も耳も口もない。

というか首そのものがないのだ。まるで角が丸くなったサイコロのようで、足は六本。さらに驚くことに、翼が四枚、背中に生えていた。


 後になって私は、それは紛れもなく中国の神獣・渾沌(コントン)であることが分かった。だが、だとすれば、なぜ中国の神獣がこの日本のど田舎にいるのか、という疑念がわいた。もちろん夢の中に登場するだけなのだが、私には理解できなかった。実際、子供の頃の私は渾沌という中国の神獣を絵本でさえ見たことがないのだ。

 ただヒントになる言葉を、私は聞いたことがある。それは私の祖母から聞いたのだ。裏山には目も耳も鼻も口もない、妖怪のような神が住んでいる。だから、山の中腹以上を登ってはならないと。しかしそのときでさえ、足が六本とか、背中に翼があるとかは聞いていないのだ。


 渾沌という神獣は、善神なのか悪神なのかよく分からないところがある。

 耳がないのに音楽に造詣が深いとか得体が知れないのだ。

 とにかく触らぬ神に祟りなしで、私は祠の近くでは、常に神妙にしていた。


 またこれは別の人から聞いた話であるが、昔私が生まれる前に隣村の若者が、この祠をいじって精神に異常をきたしたという。石の祠だからいじりようがないのだが、たぶん祠に腰を掛けたか、あるいは足で蹴ったりしたのだろう。

 若者はその夜高熱を出して、以来頭がおかしくなった。

 その人は今もときおりこの山をうろついていて、私は何度かその姿を目にしたことがある。髪がぼうぼうで視線が定まっていない。そして訳の分からない歌をいつもうたっていた。


 高木は祠を見て笑った。なぜ笑ったのか、聞くと、豚のような変な動物が見えると言うのだ。

「顔はあるのか?」と聞くと、

「無い。だから笑ったのだ。君には見えないのか。そこにいるだろう」

 高木が指さすところを見ても、別段そのようなものはいないのだが、しかし高木の言う顔が無いというのは、渾沌のことではないのか。

「それでは足が何本か? そして背中に何かあるか?」と私は立て続けに質問した。

「そうだね。足が六本、背中に翼が四枚あるよ」

 高木には見えて私には見えないというのはどういうことなのか。いずれにしても、それはまさしく渾沌である。私は一言もそういう話を高木していないので、高木は本当に渾沌の姿を見ていることになる。

 ひょっとすると高木は霊感者で、日頃からいろんな妖怪を見ているのかも知れない。だから渾沌を見ても恐れないのだ。

 もっとも、渾沌は牙も角もない、丸っこい愛嬌さえある体型であるから、実際に私が見ても恐いとは感じないだろう。

 このとき高木は何を思ったのか、渾沌に近づいて、その背中をなで始めた。いや、背中かどうか私には見えないのだが、高木はまるで自分の飼い犬をなでるようになでていた。

「やめろ!」と私は叫んだ。「それは神様だぞ。へたに触って、どんな目にあうか分からないぞ」

 高木は笑顔で振り向くと、「大丈夫だよ。まるでペットみたいにおとなしいよ」

「バカ、神様をペットのように言うやつがあるか。この祠をいじっただけで祟りがあるというのに、その本体である神様をいじっては、ただではすまないぞ」

 高木はようやく渾沌から離れた。笑顔が消えていた。

「神様はまだ見えるのか?」と聞くと、

「いや、もう消えた」と答えた。

「怒っていなかったか?」

「分からない。顔が無いから。でも背中の翼をパタパタさせていたな」

「それがどういう意味なのか。もしも今夜高熱があったら、それは祟りの始まりだぞ」

「もしそうなったらどうしよう」

「祟りなら、同じ神様で対抗するしか方法はない。僕の家にはおどくーさまがいる。おどくーさまにお願いをして、君を助けてもらうようにするから」

 高木は困惑した顔で、私を見た。



 山から下りて、私たちはすぐにおどくーさまの神棚のある台所に向かった。

 昼間でも台所は薄暗い。私は、梯子の掛かった天井付近を指さした。

「あれが、おどくーさまの神棚だよ」

 神棚を見た高木はちょっと拍子抜けした感じだった。石造りの渾沌の祠からしたら、あまりにも貧弱だったからだろう。

「さあすぐに手を合わせて拝め! 今日の過ちを報告しろ。山神様に対して失礼なことをしたことをあやまれ」

 本当は山の祠でそれをするのが一番いいのだが、二人はそこまで気が回らなかった。

 私は井戸水をコップに入れて、高木に飲ませた。別にそれが霊水というわけではないが、おどくーさまの見守ってくれる台所の井戸水を飲ませることで、少しでもその霊験を授かりたいという気持ちが私にはあったのだ。


 おどくーさまのお陰か、高木は高熱にもならず次の日を迎えた。


 学校での高木は、まるで別人かと思うほど陽気になっていた。

「夢の中で昨日の妖怪を見たよ」と高木は言った。

「妖怪じゃあない、山神様だ」

 そして私は言った。

「夢なら僕も見たが、どうせ君も顔の無い六本足の神様だろう」

「そう。それが僕になついて、家にやってきた」

「なんだとー!」私は叫ばずにはいられなかった。「神様が君になついてどうしようというのだ。山の神は年に一回麓に降りるが、それは田植え前の時期で、ちょうど今頃だ。山の神は田の神でもあるからな」

「どうでもいいけど、こっちの田んぼは赤いね」

「赤い!? ああ蓮華草のことか。今が真っ盛りだからな。明日は祝日だし、その赤い田んぼで遊ばないか。ところで山の神は、君んちで何をしたのかい?」

「山の神は何もしなかった。が、僕の父が山の神を面白がって蹴とばしたね」

「蹴とばしただと、夢の中とは言え、祟りがあっても知らないぞ」


 その懸念は的中した。高木の父が職場で足を骨折したのだ。危険な工場で足の骨折だけですんだのは不幸中の幸いであったと言えなくもないが、山の神を蹴った足を骨折したわけだから祟りであった可能性も高いのだ。


 翌日はよく晴れていた。

 団地のそばの広い田んぼにも、蓮華草の赤い花が一面に咲いていた。が、一応他人の土地だから、私は自分の家の田んぼに高木を招待した。ここなら蓮華草を蹴散らして走り回っても誰も文句は言わない。

 高木は妹の真理子を連れてきた。

 一面の蓮華草の中に小さな真理子はよく似合った。赤い蓮華草の花を一本一本手でつんでいた。


 蓮華草の花は、ほとんどが赤色なのだが、まれに白色の花があったりする。


 幸運にも、うちとこの田んぼにもその白い蓮華草の花が咲いていた。しかしそれは、ほんの数本だけで、かたまってある。

 そして、面白いことにこの白い花は、遠くで見てこそ分かるのだ。というのは、あそこにあると思って近づくと、まるで魔法に掛かったかのようにその白い花が見えなくなるのだ。


 私は真理子に、白い蓮華草があるよ、と教えた。

「白い蓮華草、それどこにあるの?」

「ぐるっと遠くの方を見てごらん」

 言われたとおり真理子は、ぐるっと一回り見渡した。

「見つからないわ」

 とあっさり答えた。

「ほんの数本だからな。ヒントをあげよう。こっちの方角だ」

 私は、白い蓮華草の方を指さした。

 真理子はその方角を見つめた。


 だいぶたって「あった、あった! あそこに」

 と真理子は叫ぶと、走ってその場所に向かった。が、やはり白蓮華草に近づくと見失ったらしく、立ち止まって辺りをキョロキョロ見回していた。

 こういうときは、あてずっぽうに歩き回っては白蓮華草を踏んでしまうおそれがある。それで、いったん遠くに離れて確認する必要があった。

「真理子ちゃん、またこっちに戻っておいで」と私は声を掛けた。

 真理子は戻って来た。そして、改めて確認して再度近づくのだが、それを二三回くりかえして、やっと真理子は白い蓮華草の花を手に取ることができた。


 数本の白い蓮華草を胸に抱えて微笑む真理子は、とても可憐でいたいけだった。

 私はシャイな人間だが、このときは真理子に何か語り掛けたかった。

 で私は、

「白い蓮華草を手にした人は、将来幸せになるんだぞ」

 と自分でも歯が浮くようなことを言った。


 真理子の顔はさらに微笑み、さらに明るくなった。


 私は何度も高木の家に遊びにいって、その父親とも顔見知りだった。

 しかし母親はいつもいなかった。不思議に思って高木に聞くと死んだという。

 ということは、父親が一人で二人の面倒を見ていたのだ。

 そして今回父の足の骨折で、反対に子供が親の面倒を見ることになった。


 渾沌という神獣は、音楽の造詣が深いこともあって、そう執念深いわけでもなかったのだろう。


 私としては、おどくーさまが渾沌に働きかけて、手加減させたのではないかと思いたかった。なぜなら、おどくーさまは、私の家の守り神であり、どの神様よりも強くあってほしいからだ。


 いずれにしても高木も私も、あれ以来、山の天辺にある祠には近づかないようにしていた。

 山の神に関することは、以上でおしまい。


 端折るようだが、あれから五十年が経ち、私と高木たちとの関係もいつしか途絶え、あの団地も消滅した。

 歳を取ると昔のことが、恋しくなるというが、高木たちは、今どうしているのだろうか? と最近、私もよく思うようになった。


 容貌も頭脳も平均的だった高木は、やはり平凡な家庭を築いているように思うが、私は高木よりもその妹の方が気になる。

 真理子もかなりの年齢になっている。だが、私が真理子を思い出すときは、いつも決まって、白蓮華草を胸に掲げて微笑む姿であり、幸せなのか、それが次に私が思うことなのだ。


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明るい日本のホラー教室 有笛亭 @yuutekitei

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