第15話

 ギターを持って姿を現したおれに、奏平は意外そうでもなく、片眉を少しだけあげてこちらを見た。だけどそのまま、ふいっとまた、視線を、しぃちゃんの消えたほうへ向ける。

 その、視線。しぃちゃんに一身に注がれた、その眼差し。

 憧れた。羨ましかった。おれはお前に、なりたかったんだ。

「弾けよ」

「あん?」

「いいから弾けって。……なんでもいいから」

 仏頂面でおれを見返し、なにか言いたげに口を開いた奏平は、けっきょく押し黙って、しぶしぶ芝生の上で足を組んだ。弾むような、軽快な旋律が、その指先から流れ出す。――“Change the world”。

 目をそらして、うつむいてしまいたかった。だけど、目に焼き付けるように、ギターを抱える奏平の姿を、ひたすらに見つめる。

 曲が終わり、余韻が漂う。やがて奏平は、お前も帰れ、とそっけない言葉でおれを刺した。

「……高校受験のとき」

 聞こえないふりをして、そしらぬ顔で切り出すと、奏平は訝しげに眉をひそめた。

「志望校を変えたのは、しぃちゃんと一緒にいたかったからだ」

「……そんなこと、知ってるよ」

「だけどおれは、お前とも同じ高校に行きたかったんだ」

 はじめてできた、友達だった。

 自分のことにしか興味なかったおれの、小さな狭い世界を壊してくれたのは奏平だった。

 おれの世界は、奏平に出会って変わったんだ。

「お前は本当に、馬鹿だな」

 呆れたように、肩をすくめて苦笑する。

 その目が潤んでいるのに、おれは気づいていて、だけど見ないふりをした。

「あいつを泣かせていいのは、俺だけだ」

「……奏平」

「お前が泣かせてみろ。たたって出てやるから」

 別れを、切り出されているのだとわかった。

 振り切るように背を向ける。奏平が立ち上がる気配は、ない。

 根を張ってしまったような足を叱咤し、前に踏み出す。そのときだ。

「佑也!」

 名を呼ばれ、おれはふりかえった。いたずらっこのように無邪気な顔で、奏平はにっと、笑った。

「またな」

 頷く。そして、走る。もう二度と、振り返らない。振り返っちゃ、いけない。

 ――おれが〝しぃちゃん〟と呼びはじめて、しばらくして奏平は、そう呼ぶことをやめてしまった。おれが奏平と呼ぶようになっても、奏平は絶対に、おれを名前では呼ばなかった。面倒だったからじゃない。しぃちゃんに、佑也くんなんて呼ばせたくなかった。それだけだ。それほど、あいつは。

「意地っ張りめ……!」

 一歩、また一歩、先に進む。前へ、前へ。


 ずきん、と覚えのある痛みが再び後頭部に走る。

 おれをのぞきこむ、人の顔が増えていた。けれど気にせず、よろめきながら上半身を起こす。じっとしていろと怒鳴る声が聞こえたけれど、かまっちゃいられなかった。

 ひどく、騒がしかった。サイレンや、怒号や、悲鳴。たくさんの、ひとの行きかうざわめき。目の前で、二台のバスが横転し、黒い煙をあげている。救急車が到着し、人が運び出されていくのが見える。

 どくんどくんと動悸がけたたましく鳴り響いている。そんな心臓の動いている感触が懐かしい。当たり前のことなのに、それだけでひどく、安堵する。自分の体がようやく自分の元に返って来たような。

 それなのに、震えが止まらない。もくもくと立ち込めている煙から、目が離せない。

 一筋の、あたたかいものが頬を流れた。

 止まらない。次から次へと、あふれだして止まらない。どうして。でも。だけど。

「……しぃちゃん」

 おれより先に、駆けていったしぃちゃん。あそこに、いる。わずかな息で、きっと生きながらえている。

 確信があった。奏平はきっと、ただで死んだわけじゃない。隣にいたはずのしぃちゃんが死んでいなかったのはきっと、奏平がかばったから。

 ――お前が、しぃちゃんを守らないはず、ないんだよ。

 奏平が願ったから、ここにいる。心の底から帰ってほしいと、あいつが望んでくれたから、おれも、あの子も戻ってきたのだ。

 おれは、知ってる。これから直面しなくてはならない、現実を。なにが待ち受けているのか。なにを思い知らなくてはならないのか。だけど、だからといって立ち止まってはいられない。

 決めたんだ。約束したんだ、あいつと。――大人になると。

 涙を拭う。その足に力をこめ、おれは立ち上がった。

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いつか、ネバーランドで 橘もも @momotachibana28

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